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『ミステリと言う勿れ』の主人公・久能整は、将来どんな小学校教師になるのだろう?
『ミステリと言う勿れ』は、田村由美によるミステリー漫画である。2017年から『月刊フラワーズ』(小学館)に連載中で、2022年の1~3月にはフジテレビでドラマ化もされた。
ドラマ版で菅田将暉が演じた主人公の久能整(くのう・ととのう)は、「天然パーマで、カレーをつくるのが好き」という、ちょっと風変わりな大学生である。だが彼は、その類まれな洞察力と論理的思考力で、難事件やトラブルを次々と解決に導いたり、傷ついた人の心を救ったりするのだ。
この作品の特徴の一つは、主人公の久能がその思考を長い台詞で表現するところだ。その台詞の一つ一つは、他の登場人物を納得させて変容させたり、時には図星なだけに激怒させたりもするのだが、同時に読者の心にも深く突き刺さることが多い。
たとえば、ある事件がきっかけで、彼は池本という若い刑事と知り合いになり、久能のほうが年下であるにもかかわらず、ときどき人生相談をもちかけられるようになる。
あるとき池本から、「あのあとオレ、子どもが産まれてさ。もー大変」「ヨメが毎日ピリピリして」「いっつもイライラしてオレに当たるし」「そりゃ、おれ忙しくて帰れない日もあるけどさ」「でもね、オレもね、なるべく育児に参加しようと思ってる。手伝ってるつもりなんだけど」と、愚痴のような相談を持ちかけられた久能は、こう答えるのだ。
僕はたまにメジャーリーグの中継を観るんですが、メジャーリーガーや監督は時々試合を休むんですよ。奥さんの出産は勿論、お子さんの入学式や卒業式。家族のイベントで休むんです。彼らは立ち会いたいんです。一生に一度の子供の成長の記念日に。行かずにいられるかって感じで、行きたくて行くんです。
でも、その試合を中継してる日本側のアナウンサーや解説者が、それについてなんて言うかというと、「ああ、奥さんが怖いんでしょうねえ」。
彼らには、メジャーリーガーが行きたくて行ってることが理解できない。なぜなら、自分はそう思ったことがないから、ムリヤリ行かされてると考える。大切な仕事を休んでまで、と。
メジャーリーガーは子供の成長に立ち会うことを父親の権利だと思い、日本側の解説者たちは義務だと思ってる。そこには、天と地ほどの差があるんですよ。
また、ひょんなことからバスジャック事件に巻き込まれてしまった久能は、そんな状況下でも臆することなくその能力を発揮する。
彼を含めた人質の乗客たちは、犯人たちから過去の過ちについて告白することを求められる。
人質の一人である奈良崎という初老の男性は、大手保険会社で重役をつとめたこともある人物だが、過去に部下を自殺に追いやってしまった経験がある。そして今は、妻子にも見放されているのだ。
その奈良崎が、「ああ、部下に自殺されたことがある。わたしのせいか? 仕事が忙しいのはみんなだろ」「定年退職して、さあこれからと思ったら、妻と子供たちは出て行った。わたしのせいか?」「よく言うだろう。男ははっきり言われないとわからない。察してくれと言われてもムリな話。理詰めで話してくれないと対処できん。人の気持ちなぞわかるか!」と不満をぶちまけると、久能はこう切り返す。
あの、奈良崎さん、確かにそういうことはよく言われるんですけど、本当にそうですか? 僕はまだ社会に出てないのでわかりませんが、そういう能力って仕事には必要ないんですか? 人の気持ちを察しないとか、言われないとわからないとか、仕事はそれでできるんですか?
それに対して奈良崎が、「仕事は別だ。顧客のニーズを拾い、先を読んで備える。真心で奉仕の保険会社だ。上司の機嫌もちゃんととる。そうやって出世した」と反論すると、久能はそれを一刀両断にする。
じゃあ、そのスキルはあるんじゃないですか。どうして部下の人や身内にだけ発揮しないんですか? できるのに。何十年もやってこられたんでしょう。
・・・そんな久能は将来、小学校の教師になることを希望している。そのせいもあってか、学校を巡る問題や教師の言動に対しては、彼の本領が発揮される。
前述したバスジャック事件の際、人質の一人である淡路という青年が、子どものころにいじめに遭い、万引きをすることを強要され、逃げたくても逃げられなかったということを告白する。
それに対する久能の言葉はこうだ。
どうしていじめられてる方が逃げなきゃならないんでしょう。欧米の一部ではいじめてる方を病んでると判断するそうです。いじめなきゃいられないほど病んでる。だから隔離してカウンセリングを受けさせて癒すべきと考える。
日本は逆です。いじめられてる子をなんとかケアしよう、カウンセリングを受けさせよう、逃げる場を与えよう。でも、逃げるのってリスクが大きい。学校にも行けなくなって損ばかりする。
DVもそうだけど、どうしてなんだろう。どうして被害者側に逃げさせるんだろう。病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのはいじめてる方なのに。
別の事件では、殺人を犯した陸(ろく)という青年が子どものころの経験を告白する。
陸が小学校2年生のとき、親に石段から突き落とされて両足を骨折し、車椅子で学校に通っていた時期があった。そんな彼を「カエル」と呼んでからかっていた連中が、放課後に彼を公園に連れ出し、滑り台の上に引きずり上げて、何度も何度もすごい勢いで滑らせ、彼に大きな恐怖と屈辱を与えたのだった。
偶然、仕事の帰りに公園の近くを通り、その様子を見ていた担任の教師は、翌朝、彼をいじめていた連中をクラス全員の前に立たせて、
「彼らはカエルくんと遊んであげてて、優しくていい子たちだ。みんなもカエルくんと仲よく遊んであげようね」
と告げたのだった。
この話を聞いた久能は、次のように言うのだ。
その先生は、みんなと一緒にあなたをカエルと呼んだ時点でダメです。
そして、こう続ける。
僕はいつも、いろんなことに気づきたいと思ってます。
僕のクラスに陸さんがいたら、家で何かが起こってることに必ず気づくと思います。
・・・久能整。彼は将来、どんな小学校教師になるのだろう?
おそらく、前例踏襲を重んじる校長からは「扱いにくい新人教師」というレッテルを貼られ、煙たがられることだろう。また、何事にも横並びを求めるベテラン教師たちからは、毎日のように陰口をたたかれるに違いない。
だが、彼のような教師がいることで救われる子どもたちは、けっして少なくないはずだ。