憧れの先輩ロングバージョン

新入社員の田中圭介は、憧れの先輩・山本龍二と出会ったことで人生が大きく変わっていった。


田中は地方の大手企業に入社したばかりの24歳だった。高卒で就職し、夜間の大学に通いながら努力を重ね、ようやく念願の大手企業に内定を得ていた。将来は幹部候補として登用されることを夢見ていた。


入社した本社は東京の一等地にあり、ビルの中は清潔で近代的な作りで、田中は圧倒されるばかりだった。配属先の営業部門では部長の言葉一つ一つが頭に残る緊張した毎日が続いた。


そんな最中、田中は山本龍二と出会った。山本は営業部の係長で、39歳の存在感のあるエリート社員だった。言動には気品と品格があり、落ち着いた口調と豊富な知識に、田中は惚れ惚れするばかりだった。


営業部長は、田中の指導役として山本を指名した。山本の取り組む案件は成約率が非常に高く、社内でも確かな手腕を買われていた。山本は段取りの立て方、資料作りの極意、交渉の緻密なテクニックなど、実務的な指導に加えて、仕事へのアプローチ方法までも細かく教えてくれた。


「仕事は相手のことを第一に考えることから始まる。商品を売るのではなく、お客様の本当の願いを実現するのが営業マンの役割だ」


そう語る山本の言葉に、田中は大きな衝撃を受けた。営業マンとはそういう存在なのか、と目から鱗が落ちた思いがした。


もちろん、山本の指導は厳しいものだった。日々の報告書の書き方からプレゼンの練習まで、細かく指摘を受けた。しかし、その一方で、山本が「できる」と認めると、労いの言葉をくれた。そうした言葉が、田中を奮い立たせ、より頑張る原動力となった。


半年後、田中は無事に育成プログラムを終え、一人前の営業マンとしてデビューを果たした。しかし、心の支えは相変わらず山本だった。不安な気持ちがよぎると、過去の山本の言葉を思い出して自分に言い聞かせた。


「圭介君には将来の大物営業マンになれる資質がある。だが油断は絶対にしてはいけない。今の自分に満足せずに、常に高みを目指し続けることだ」


山本も田中の成長を喜んでいた。アドバイスに来る田中の姿に、自分の後継者を確実に育て上げられたことを実感していた。


「圭介君は私の分身のようなものだ。だからこそ、いつかは私を越えてくれることを期待している」


そんな師弟関係が続く中、突如として事態は一変した。ある日のこと、山本が急性肺炎で倒れたのだ。救急車で運ばれた病院で、山本は人工呼吸器をつけられ、重体とされた。


田中は慌てて病院に駆けつけた。元気のよかった山本が、そんな姿で病床に横たわるなんて、とても受け入れられる気持ちにはなれなかった。涙が込み上げてきた。


「龍二さん…龍二さん…」


そう呼びかけると、山本は弱々しく、しかし穏やかな口調で応えた。


「圭介君。私を心配させてごめんね。でも、大丈夫だ。肺炎なら治るよ」


「本当に!? 本当に大丈夫なんですか!?」


「ああ、大丈夫。医者に言われたことだ」


山本は苦しげな表情を浮かべながらも、田中を何とか安心させようと努めていた。


「私はな、圭介君を信頼している。だから、安心して療養に専念できるんだ」


「龍二さん…」


「営業部の仕事は、この期に及んでは圭介君に任せたい。私がいないことで営業部が軌道から外れることは、ないと信じている」


田中は頷いた。師匠の山本に代わり、営業部を守り立てる。


それが、田中の新たな使命になった。


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次の日から田中は営業部の業務をすべて引き継いだ。


それまで山本が取り扱っていた大口のプロジェクトについては、下準備の段階だった。それに加えて、新規の案件についても山本が幾つか抱えていた。


山本が不在となり、田中は一人で全案件を任されることになった。


最初は正直、不安と重荷に押しつぶされそうだった。今まで山本に遅れを取らないよう懸命に努力してきたつもりだったが、実際に山本の仕事を引き継ぐと、その分量と質の高さに圧倒された。


「龍二さんの仕事ぶりは、本当に凄かったんだ」 


資料の作り方、顧客対応のやり方、プロジェクト全体の進め方など、これまで教わってきたことを地で行ったが、あくまで一面的な知識に過ぎなかったと痛感させられた。


「俺は本当に、これをやり遂げられるのだろうか?」


そんな不安をよそに、田中はひたすらエンジンをかけて汗を流し続けた。山本に教わった営業の心得を胸に刻み、一つ一つの案件に向き合った。


同期の仲間たちは次々と夜遅くまで残業する田中の姿に、「俺もあんな風になりたい」と思うようになっていった。


ある営業マンは、田中に直々にこう声をかけた。


「君は本当にがんばり屋さんだね。いつも夜遅くまで残業しているから、みんな尊敬しているよ」


田中は複雑な気持ちになった。


一生懸命努力してきたことは事実だ。しかし、この仕事をやり遂げられるかどうかは、すべてがこれからの問題なのだ。


深夜まで残業することは当たり前だった。ただ机に向かっているだけでは、山本の仕事を決して消化できない。徹底的に資料を読み込み、考え抜く日々が何年も続いた。


「頑張るから上手くいくわけではない。頑張る前に賢く準備して、行動を起こさなくてはいけない」


そう山本に教わった言葉を胸に、田中は奮闘した。案件ごとにリストを作り、やるべきことを階層化し、優先順位を設けて作業に当たるようになった。


しかし、うまくはいかないことも多かった。フォローアップの連絡をミスしてしまったり、地味な入力ミスから重大なトラブルに発展したりと、つまずきの連続だった。


そんな時、山本から電話がかかってきた。


「圭介君、元気か?」


「龍二さん!はい、元気ですが…」 


「私は君を信じている。だから今どのような状況かは聞かない。きっと最善を尽くしているはずだ」


「はい…でも、正直うまくいっていません。ミスが多くて…」


「仕方ない。ミスはつきものだ。大切なのはそこで立ち止まることなく、次へと進んでいくことだ」


「龍二さん…」


「圭介君の力を信じている。君ならきっと乗り越えられる。だから、あきらめるなよ」


そう言われると、田中の中に希望が湧いてきた。山本ならばきっとこういう状況も乗り越えてきたはずだ。そう考えると、自分にも山本を追い越す可能性が垣間見えてきた。


それ以降、田中の営業ぶりは更なる飛躍を遂げた。営業の極意として、山本から教わった方針に沿いながら、さらにそれを深化させていった。


ある営業先で対面した企業の役員に、こんな話を持ちかけた。


「御社の強みは何でしょうか?」


役員は一瞬戸惑いを隠せない表情を見せた。


「もちろん、私どもサービス業の会社ですので、人材が大切な経営資源です。優秀な人材の確保と育成に重点を置いています」


「では、その場合、今後10年やそれ以上の長期を見据えた人材確保はされているのでしょうか?」


役員は目を白黒させた。


「確かに、確保はできていますが、将来に向けての育成の部分については課題が残っているかもしれません」


田中は狙い通りの反応だった。話をそこから持っていけば、自社の商品を提案する最適のチャンスが訪れる。山本の教えは、的確な問題提起から始まっていた。


役員は、田中の丁寧な質問攻めに説得された末、多額の契約を結ぶことになった。


山本に報告するため、隔日の病院の面会日に訪れた田中の顔は笑顔に包まれていた。


その姿を見た山本も、ほっとした表情を浮かべて言った。


「よくやった、圭介君。私はうまく伝え切れなかった気がしていた。しかし、君はそれを理解し、発展させて実践してくれた。本当に頼もしい限りだ」


田中は山本の言葉に感無量の喜びを覚えた。


「龍二さん、これからも精進します。龍二さんにはまだまだ追いつけません。でも、いつかは龍二さんを越える営業マンになります。きっと!」


山本はくすくすと笑った。


「ああ、そうだね。私を越えてくれることを期待している。だからこそ、私も休暇中にしっかり体を治さなくては!」


二人の笑顔は本当に素晴らしいものだった。師弟を超えた、互いにライバルでもありパートナーでもある仲間の表情だった。


病状が良く回復した山本は、2か月ほどで職場に復帰した。 田中は目を細め、改めて山本の仕事ぶりを間近で見守った。


「龍二さんの仕事スタイルは、やはり違う。俺にはまだまだ遠く及ばない」


しかし、そう自覚することで初めて、山本を超える可能性が視界に入ったのである。互いを尊重しながらも、切磋琢磨し合う関係が構築できた。


山本を超えることが目標だった田中は、その分努力に努力を重ね、やがて周囲からも一目置かれる存在になっていった。


一方の山本も、田中に匹敵する実力を取り戻せたことを実感し、さらなる高みを目指して奮闘していた。


このように、師弟は絆を深め、互いの成長を喜び合いながら年月が経過していったのだった。


そして10年後、師匠の山本が退職を迎えたある日のことだった。


「龍二さん、本当にご苦労さまでした。10年間、ありがとうございました」


田中はそう言葉を添えた。


すると、山本は懐かしげな笑みを浮かべながら、こう答えた。 


「10年間、ありがとう。お前こそ、本当に良く頑張った。最初は心配でたまらなかったが、今では私を超える営業マンにしてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ」


二人の絆ははるか入社当時に遡り、いつしか親子のような深い関係へと変わっていった。


同期であり、師弟であり、ライバルでありパートナーでもあったこの二人は、互いの人生を大きく変えた存在だった。


今後、田中は幹部候補として重用され、新人の指導役となる番がやってくる。山本の教えをしっかり受け継ぎ、後進の育成に尽力していくことだろう。


企業に入って出会う人間模様は様々だ。しかし、互いを鍛え合い、高め合う仲間がいてこそ、ひとは大きな飛躍を遂げられるのだ。

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