検察庁法改正案は何が問題なのか?
TTBです。
しばらく更新するつもりはなかったのですが、検察庁法改正について世間的に注目を集めている中で、思うところを書いていこうと思います。
私としても、検察庁法改正には大きな問題があると考えているのですが、やや抽象的な議論に終始している印象も否めないです。私なりに、今回の問題をどのように見てきたかについて書きます。
すべては1月31日の閣議決定から始まった
1月31日、政府は東京高等検察庁検事長・黒川弘務氏の定年延長を閣議決定します。というのも、検察庁法22条によれば検察官の定年は63歳とされているところ(ただし、検察官のトップである検事総長は例外的に65歳)、黒川氏は2月8日に63歳となるので、本来であれば2月7日付で定年退官する予定だったからです。
政府の閣議決定によって、一検察官の定年を延長することができるのでしょうか。政府は国家公務員法81条の3第1項が法的根拠であると説明します。
国家公務員法81条の3第1項 任命権者は、定年に達した職員が前条第1項により退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる。
検事長の任命権者は内閣総理大臣です。そして、検察官は国家公務員なので、黒川氏の定年延長が可能になるという論理です。
史上初の解釈変更
しかし、この説明には明らかな矛盾があります。検察庁法32条の2によれば、検察官の定年延長の規定は、検察官の職務と責任の特殊性に基づいて国家公務員法の特例を定めたものとすると規定されており、これによれば、国家公務員法の規定は本来検察官には適用されないことになります。
つまり、国家公務員法81条の3第1項を理由に検察官の定年を延長することは本来できないはずなのです。実際に、国家公務員法の定年延長が審議された昭和56年の国会で、人事院局長が「検察官はすでに定年が定められており、国家公務員法の定年制は適用されない」と答弁しています。
これに対して紆余曲折がありましたが(人事院と法務省との間で説明に食い違いが生じるなどありましたが、ここでは割愛させていただきます)、最終的に政府は解釈を変更したと明言することになります。
政府の目的は?
元々、黒川氏は法務省の官房長や事務次官を務めていたことから「政府に近い」と見られていました。そして、今回の定年延長は黒川氏を検察官のトップである検事総長にすることが真の目的ではないかと指摘されています。
検事総長は、東京高等検察庁の検事長から起用されるのが慣例になっているようです。検事総長であれば定年は65歳です。現在の検事総長である稲田伸夫氏は慣例上、7月25日頃まで在任すると思われます。そのため、定年延長しなければ、黒川氏は退任となり、その後任の東京高検の検事長(名古屋高等検察庁検事長の林眞琴氏が有力視されていました)が検事総長に就任すると見られていました(ちなみに林氏が63歳を迎えるのは7月30日)。
そして検察庁法改正へ
その後、3月13日に政府は検察庁法改正案を含む国家公務員法等の一部を改正する法律案を通常国会に提出しました。
これは、すべての検察官の定年を65歳に段階的に引き上げるとともに、内閣または法務大臣が「職務の遂行上の特別の事情を勘案し」「公務の運営に著しい支障が生ずる」と認めるときは、定年延長ができるという内容になっています。
結局、どこが問題?
検察庁は法務省の特別機関であるとされており、三権分立でいうところの「行政権」に属します(そのため、検察庁法14条に基づき法務大臣が検事総長に対して指揮権を発動することもできます。ただし、歴史上1度しか行使されたことはありませんが)。
しかし日本の法律上、検察官は、犯罪を犯したと疑われる者を起訴できる権限を唯一持っています(意外と誤解されているような気がしますが、「被害者」は起訴できません。民事訴訟で損害賠償請求をすることはできますが、刑事訴訟に乗せるためには検察官による起訴が必要です)。その意味で、「準司法機関」と呼ばれることもあります。むしろ司法権との関わりが大きい機関であるといえます。
検察庁法の改正が実現すれば、内閣や法務大臣の裁量によって検察官の人事に介入をすることが可能となります。そうすれば、内閣や法務大臣に忖度する検察官も出てくるかもしれません。そうでなくても、政治的な事件が不起訴になれば、そのように見られる可能性があります。まさに、今回の改正は、国民の検察に対する信頼を失い、司法の独立が歪められる危険性を孕んでいるということです。
極論すれば、内閣総理大臣を起訴することができるのはこの日本では検察官だけです(厳密には検察審査会という例外もありますが)。国家権力に悠然と立ち向かうことができるのが検察官です。しかし、改正が実現すれば、人事権をちらつかせ、これを阻止することが可能になる危険性があります。
本来、政治的中立であるべき検察官が、政府に忖度する可能性がある。むしろ、忠実に職務を執行する善良な検察官までもが、政府に忖度しているのではないかという目で見られるようになる。今回の検察庁法改正はその点にこそ問題があると考えています。そして、「#検察庁法改正案に抗議します」はこのように理解すべきだと考えています。
蛇足、三権分立を疑え
やや蛇足ですが、今回の議論で、首相官邸HPの「内閣制度の概要」における三権分立の図の中の、内閣と国民との関係性を示す部分の認識について強く批判がなされています。
教科書的には国民が内閣に対して世論によるコントロールを加えるべきなのに、内閣が国民を縛っているような図になっている。そのような指摘なのだと思います。
しかし、個人的にはこのことと今回の法改正がどう関係しているのか、よく分からないところでもあります。ここまで述べてきたように司法の独立という観点から今回の問題を見たときに、内閣と国民の関係ではなく、「行政機関と司法機関との関係」が問題であるからです。
そもそも、「世論」というのは法的なコントロールではありません。事実上のコントロールに過ぎません。これに対して、「選挙」は公職選挙法、「国民審査」は最高裁判所裁判官国民審査法に基づく法的コントロールです。
ここで考えてほしいのですが、日本における政治システムを説明する際、三権分立という概念が絶対的に正しいのでしょうか?「議院内閣制」という言葉があります。内閣は国会の信任に基づいて成立すると同時に、内閣は衆議院の解散権を持つことで国会に対して牽制しているという仕組みです。これによれば、国会と内閣は協同関係にあるということで、完全な権力分立で説明するのはやや無理があります。
そもそも、内閣の長である内閣総理大臣は誰が選出するのでしょうか?国民が選出していると言えなくもないですが、厳密には「国会」が内閣総理大臣を指名します。国会の構成員である国会議員は「国民」(これも厳密には有権者)が選出するので、間接的には「国民」が選出していると言えなくもないかもしれませんが、そのような説明にとどまるということです。
そのため、教科書的な三権分立とは異なる点を捉え、そのことと今回の検察庁法改正とを結びつけて議論するのは、個人的にもう少し説明を要する上に、そもそもそのような批判が妥当なものなのかについては検討を要するように感じます。
もちろん、個人的に政府の認識に疑義がないわけではありません(むしろ与党の改憲草案に対しては思うところが多々ありますが)。しかし、検察庁法改正との関係においては冷静な議論をした方が良いのではないかと思う次第です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?