月の名前
満月の四日後のお月さまを、寝待月(ねまちづき)という。
なんでも、日没から何時間か待ってやっと登ってくるので、寝て待たないと疲れてしまうのだとか。
だから私の見たあの橙色の月は、寝待月だったんだ。
駅からの帰り道。まっすぐ続く幹線道路に低く浮かぶ、橙色の丸い月。
よく見ると、ほんの少しだけ、ねずみが齧ったように欠けている。
さて、今日は満月から何日目だったろうと考えた。このくらいのお月さまを、居待月(いまちづき)と言わなかったか。
十六夜(いざよい)、ではないよね。あれは、満月の次の日のお月さま。
いざよい、て言葉は、ためらう様子を表す「いざよう」という言葉からきてるんだったかな。
満月よりも少し遅く、ためらうように昇るから、いざよい。
ああ、あまりにも当たり前に繰り返す、東から天体が昇り西に沈んでいく営みに、
人はどれだけの名前を与えてきたのか。
そして名前と共に、どれだけの意味を与えてきたのか。
あの月だって、
あるときは人を待たせて、
あるときはウサギを乗せて、
あるときは願いをかなえて、
あるときは美しい女性のように、
あるときは幼子のようにふるまって。
月に限らず、自然の中にあるものひとつひとつに、人は意味を付与してきた。
それに飽き足らず、意味を集めてつなぎ合わせて、物語まで作ってしまった。
物語は「神話」と呼ばれ、
意味は人格に昇華し、「神」と呼ばれた。
そんなふうに、人はいつだって、世界に意味を求める。
でも、本当は、「求めて」なんかいない。
本当は、自分の世界からあふれた意味と、外の世界を照応させているだけだ。
「神話」も「神」も、人の中に在る。
月は今日も、人の中から溢れた神話を、静かに受け取ってくれている。
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