今までの自分の全てが嘘であった方が楽だと、思うこともある
自分ははっきり言えば、本当は誰がどんな集団に洗脳されていようが正直どうでもいいんだ。勝手に洗脳されてれば良いと思うし、自分がどんだけ何を言おうが聞かない人は聞かないし、そんな人はそもそもから自分の話を読もうともしない。
洗脳ってのは子供の頃から既に始まっている。親から教えられてきたこと、教育番組で見せられてきたもの、学校の先生に教わってきたこと、それらは全部洗脳。それに加えてエンタメとしても洗脳されたそれぞれの大人からも洗脳教育を受ける。エンタメはプロパガンダであり、日本昔話のような、これがダメな例と良い例を単純な形で植えつけられる。それが善悪の知恵であり、誰しもそうやって育ってきたので単純な善悪二元論にころっと騙される。
なぜ昔から過激なバラエティー番組や、今では過激なYouTube動画などが好まれてきたかと言うと、今まで抑え込まれてきた道徳的な模範を逸脱した世界が見られるから、自分にできない型破りなものを見てハッとする、だからその反動で愉快な気分になり笑いが込み上げる。しかし一方では心の何処かで罪悪感を感じて心の制御が働く。これはいけないことだと自己制御のストッパーを自ら備えてしまい、それがポリコレやら過剰な規制を求める声となる。
それを批判すれば今まで信じ混まされてきた善悪二元論の道徳的模範の中では正義となり、その批判と規制のエコーチェンバーのウエーブを他者への同調圧力として波紋を広げ続ける。
そこまで人生に絡んでくるほどの洗脳、自分がここで何をどう話そうが殆んどの人はこんな話は受け入れられない。だからいくら話しても無駄であり、自分はそんな無駄な話を永遠と続けてきた。解決策もなく、個人でどうにかできるわけもない人類レベルの話、そんなとりとめもないような内容を自分は語っている。
だから自分の話を信じろとは言わないし、それを鵜呑みにしろとも言わない。教祖にもならないしカルトも立ち上げない、集団も作らなければエコーチェンバーの山びこも作ったりはしない。誰が読もうが読まなかろうが関係なく語っている、ただ語りたいから語っている、解ってるから語っている、心に秘めていても仕方ないから形として、文字として綴っている。
本当は最も洗脳を解きたい特定の人がいる、自分はその特定の人の洗脳さえ解ければもうそれでいい、他に望むことなんかない。その何者かに植えつけられ染められてしまった全ての洗脳を解き真っ白にしたい、願うのはただそれだけ。
自分はそんなにたくさんの人の洗脳は解けない、たとえ何処かにいるカリスマ的な誰かが教祖をやっても全ての人の洗脳を解くのは無理で、世の中を変えるなんてことはできない。できるのはせいぜい献金集めか、それによって自身が裕福になるだけ。
しかし、自分が願うたった1つの思いすら叶わないなら、自分が今まで語ってきたこともやってきた事の全ては嘘となり無意味な事になる、全て無かったもので良くなる。インターネット上に自分の存在など必要なかった、最初から自分はこの世界には必要が無かった存在だと言う証明になる。
今まで自分が信じたことは、そう思ってきたことは全て嘘となる。陰謀を推理したと思っていたが、それは自分の妄想だったと。
陰謀論はそのまんま陰謀であり、カルト宗教が関与していても悪いのは特定の政党や政府となり、悪魔崇拝者はディープステートであり、ユダヤ陰謀論は真実となり、グローバリストはBRICs勢力に淘汰される。
そしてニューエイジは悪魔崇拝ではない超人間であり、スピリチュアリストの言う通りの良い時代になる。ワクチンは人口削減で接種者は数年後にバタバタと他界する。
プーチンはウクライナに勝利し、イスラエルはユダヤのシオニストと共に崩壊し、アメリカはバイデン民主党ディープステートと共に衰退しトランプ共和党が移民を排除してアメリカを建て直す。
日本は政権交代して消費税が廃止され民族主義で復活したトランプ政権と、勝利したロシアプーチン、習近平と北朝鮮と仲良くやって行く。イスラエルはおとなしくなりパレスチナとの戦争をやめるが、ハマスは大人しくはならない、イスラム原理主義者、過激派がおとなしくならないなら争いは今後も続く。
自分は、沈黙の天秤が言わなければ存在しなかった考え方、他に考える人が1人もいないなら、自分の考えなど最初から必要がなかったもの。インターネット上に残す価値などなかったもの。
あの日、3月3日に起きた何かは、たんなる妄想。過去に宇宙人に遭遇したのも幼少の頃の妄想、幻。夢も、この頭の中にあった不思議な何かも全て自分の妄想。
ファティマの聖母による奇跡、群衆がその奇跡を目の当たりした1917年の10月13日からの113年後となる2030年10月13日にも、何も起きたりはしない、自分が今まで見てきた数字のシグナルも全て気のせい、勘違い、妄想。
何もかもが嘘になる、今までの自分の全てが、嘘になる。
それも良いかもしれない、肩の荷が降りる気がする。正直言えば、これらのこと全て嘘になり忘れてしまえば、残りの人生を生きるのにはかなり楽で、余計な事など考えずに適当に生きていられる、神など信じず、愛など信じずに、適当に生きていたい気持ちもある。
そして何より、必死で何かをここに綴る必要もない。特定の誰かにこの想いが届くことを願って、一生懸命に何かを書く必要が無くなる。インターネット上で何かをする必要なんか無くなる。
自分はお金なんかいらない、富も名声も人気もステータスも、何もいらない。誰かにモテたくもない、その必要もない。本当に何にもいらない、なんにもいらない。
誰が何処でどんな思想主義でどう生きていても好きに、自由にしてればいいと思う。自分が誰かにとやかく言うような話でもない。そう生きるように選んだのはその人なんだから、それを変えようなんて思わない。
ただ、たった1つの願いだけは、捨てることなんかできない。それが無くなれば、失うなら自分の全ては嘘になる。
嘘でもいいかと、思うこともある、いっそのことその方が楽になると。
あまりにも苦しすぎるから