君たちは何をつくるか
念願の新規事業開発部門に配属されたので、ぼくはこれから何を作るべきかについて毎日いろいろ考えている。「これから」すなわち「近未来」。未来はもうすぐ現在になる将来かもしれないし、ずっと先のことかもしれない。
電機業界にいるぼくら。未来について考える時、パーソナルコンピュータの父と呼ばれるアラン・ケイの言葉が頻繁に引用されている。
”The best way to predict the future is to invent it.”
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」
うん。確かに人間は物質化されたものしか、基本的に信じられない生き物だ。何かヒットしそうな製品のアイディアが浮かんだら、さっさとそれを作ってしまい、評価し、販売してしまった者が先行者利益を得られるのが資本主義社会の基本ルールだ。
ここで「未来」の定義について改めて考える。時系列で考えてどの程度先の未来を見据えるか、ということだ。発売するのが来年なのか、2,3年後なのか、10年先なのか。現在からの時間が離れれば離れるほど企画者の「先見性」が問われてくる。
先見性の鍛え方は3つの方法があるらしい。
1)過去に触れること
いつの時代も「歴史は繰り返す」ものだ。ファッションで言えばスリムなパンツが流行る時期があれば、パンタロンみたいな真逆の流行があるように、電子機器でもデジタル化とかIoT(Internet of Things)化のブームがあれば、ちょっと逆行するような、少しだけノスタルジックさを含んだ製品が流行る時期もある。
例えばデジカメ。ひたすら小型にサイバーにという流れの後で、フィルムカメラに似た形状のカメラらしいデジカメデザインのブームがやはりやってきた。オリンパスのPenシリーズとか富士フィルムのXシリーズとか。
例えば自動車。昔にも電気自動車やガソリン以外の燃料で走行する車は開発されていた。先に安価に大量生産できるようになったのがガソリンエンジンだっただけの話で、電気自動車が最先端なんて考えるのはナンセンスだ。
2)未来に触れること
手っ取り早い方法は、SF小説や映画、アニメなどを観ることだ。「2001年宇宙の旅」でも「スターウォーズ」でも「スター・トレック」でも、何でも良い。作品が作られた時点で夢のような製品を、本気にした人が現実にしてしまったものは幾つもある。携帯電話もそうだし、対話型のコンピュータだってそうだ。攻殻機動隊でも、アキラでも、手塚治虫の作品でも構わない。
少し話が逸れるが、この手のアニメ作品のうち、ぼくが好きなのは「プラネテス」だ。そのうちコンテンツ会議のタグを付けて書こうと思うが、想像性とリアリティのバランスが秀逸なアニメーションだ。
3)未来を想像すること、考えること
自分の現在地を特定し、過去のある時点から現時点への線を引けばそれはベクトルとなる。その線を方向を維持したまま現時点からさらに先にベクトルを伸ばせば、自ずと未来は想像できる。
何かを作る仕事なら、その製品なりサービスの中核となるコア・コンピタンスが何なのかをしっかりと認識し、いつまで成長しそうな市場なのか、国内向けなのかグローバルに展開できるのかなど、業界だけでなく世界を俯瞰して考えてみれば良いだろう。
もう少しヒントが欲しいのなら、若いオピニオンリーダーを見つけて、書籍なりWebサイトで彼らが何を考えどのように行動しているのかを探ってみるのも良いと思う。
という訳で、個人的には作りたい製品のビジョンがだいぶ固まりつつある状態だ。意見を聞いてみたい有識者も何人も居るし、プロジェクトチームメンバーも想定してある。
タイトル画像は依然ヒットが続いている吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」を使わせていただいた。この作品の主人公コペル君のように、あらゆる人々が、様々なことに興味を持ち、疑い、自由に考える。どう生きようが何を作ろうが自由な社会。それが本当の自由主義国家だと思うのだ。
未来は誰のものでも無いけれど、年寄りではなく若い世代の人たちが住みよい空間であってほしいとぼくは願っている。