不便益について考察してみた
週末、何気なくテレビを見ていたら立川にある「ふじようちえん」が紹介されていた。数年前(ウチの子が小学校に通う前)はこんな幼稚園に通わせたいな、と考えていたことを思い出しながらその番組を見た。あの頃は保育園・幼稚園探しが家庭の主題で、横峯式がどうだとか、モンテッソーリ教育とか、シュタイナー教育とか、そもそも保育園・幼稚園に通わせないことはできないのか、とか妻といろいろ検討したものだ。
で、ふじようちえん。「Kids first」「Do it myself」「見て、触れて、感じて、考えて、行動する」「体験は教えられない」などといった言葉がトップページにあることからも解るように、親ではなく子ども中心、子どもたちの発育を促すことを目的としている様が伺える。番組中における園長の発言はどれも興味深い内容だった。
・電灯は紐を引っ張ってON/OFFできるものを使っています。今の子たちは電灯をみて「リモコンはどこ?」って聞いてきますから、それではダメだと思ったんです。
・園庭は整地していないのでデコボコしています。大抵みんなコケます。でもすぐに立ち上がってまた駆け回ります。
・この蛇口、受け(シンク)が無いんです。センサで自動的に水が出る蛇口だと水をちょろちょろ出せないし、こうやって水を飛ばしたりできないでしょ。(と言いながら蛇口に指を当て、子どもたちに水を飛ばす。⇨子どもたち、キャ~と叫びながら逃げる。最高に楽しそう。)
・教室に壁がないのは隣の教室で何をしているかなんとなく解るように。隣のクラスから楽しい雰囲気が伝わることがあってもいい。
・我々は「不便益」という言葉をモットーにしています。
今の世の中、子どもたちの内過保護な子たちは6ポケット(両親とその両親合わせて6名のサイフで子育てできる家庭のこと)の恩恵に預かり「何でも買ってもらえて」、テレビには録画機能がついていてリモコンを使えば好きな時間に好きな番組を見れて、ハイテクなゲーム機やスマートフォンが当たり前の世界に生を受け生活している。
その反対に親が貧しい家庭では、義務教育でさえ満足に受けられない子どもが少なからず存在し、親に命を奪われるケースですら存在している。(現在上映中の『万引き家族』は観ておくべき作品。)
”勝ち組”家族には「不便」が存在せず、”負け組”家族は非効率な生活を余儀なくされるのだ。だがお金を使わず創意工夫をすることで、頭も身体も上手に使うことができるようになる。逆転の発想、これが「不便益」だ。
「不便益」(benefit of inconvenience) という言葉は京大の川上教授が考えられたそうで、便利になりすぎたこの国に、とてもマッチした言葉だと思った。
人間にとって利便性の向上は本質を隠しブラックボックス化してしまうデメリットをもたらす。
幼児期にそもそも◯◯はどういう仕組みで動いているのか、土や木に触れるとどんな感触なのか、あの子は何に興味があるのか、自分はどうなのか、いろいろなことを考え、自然を感じ、友達と遊ぶ。いいなぁ、ぼくらの幼少期と何も変わらないけど、それでいいと思うのだ。
このコンセプトはぼくらのチームの企画作りの参考にさせて頂こう。UXと不便益を掛け合せて… SDGsと不便益を掛け合せて… あぁ、アイディアがいくつも浮かんでくる。もう少し具体化したらnoteで発表しようかな。