有料(あるいは無料)であることの意味 2025/2/2

吉野家へカレーを食べに行った。「魯珈」というカレー店が監修した期間限定メニューで、通常のカレーよりスパイシーな感じがした。13時過ぎでかなり店は盛況していた。私は店内の誰よりも早く食べ終わり、レジへ向かうタイミングをうかがっていた。私のためだけに厨房からレジへ店員さんを呼ぶのが申し訳ないので、向かいの席のスーツの男性が席を立ったのを見計らって、私もレジへ向かった。スーツの男性がお会計を済ませるのをその後ろで待った。小銭を一枚ずつ財布から出していて時間がかかっていた。やっとのことで支払いを済ませた男性が出ていくと、すぐさま私はバーコード決済のスマホ画面を見せて会計し、颯爽と店を出た。

喫茶店に入って、『貨幣の「新」世界史』という文庫本を少し読んだ。貨幣の話の前段で太古の昔からの生物の進化の話が長々と続き、だいぶくたびれた。生物界において保存可能なエネルギーは、貨幣と似ているということらしい。理科が苦手で文系に進んだ身としては、苦痛だった生物の授業を思い出させるものがあった。

きょうは映画を観に行かない代わりに「品品団地」に課金してみた。これまでは手元にモノが残らないコンテンツに課金することへのハードルは結構高かったが、最近では応援の意味も込めて、興味を持てば購入するようになった。TaiTanと佐伯ポインティが話しているのはとてもアツくて面白い。ただ、また別の人との対談の、陰謀論的なものにまつわる話は、陰謀を暴くようなことを言っているものの、その話を聞くだけでは何が真実なのかよく分からず、その話こそまさに陰謀論なのではないかと思わざるを得ないような部分もあったような気がする。私がもうマスメディアに洗脳されてしまっているのだろうか。こういった話もやはり無料配信というわけにはいかないのだろう。テキストのコンテンツはまだあまりチェックできていないので、時間を見つけて読みたいと思う。

夜は「人文ウォッチ#9」を観た。最終盤に展開された渡邊渚『透明を満たす』についての論評は力がこもった素晴らしいものだった。正直、私は一連の事件・騒動についてつぶさに追いかけているわけではないので、視界に入ってきたニュースの見出しを見て、単なる便乗商法とばかり思っていたが、どうやら見当違いでありそうで、反省した。一人の優秀な女性が直面した不条理と、そこからのある種の再生の証がフォトエッセイという形で結実したと思うと、応援したくなる。こういう話こそ無料でもっと広く届くべきなのかもしれない。


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