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序: 熱力学の目標

冷たいビールのほうが嬉しいものですが,冷たいビールも早く飲まないとぬるくなりますね.熱いコーヒーも部屋に放っておけばぬるくなっています.そしてぬるくなったコーヒーやビールは,もうもとに戻せません.例えばガスコンロや冷蔵庫を使えば,ガス代や電気代がかかりますから,何の代償もなく元に戻っているわけではありません.だから熱いコーヒーや冷たいビールのほうが,ぬるいのよりもありがたい.しかしそれはどれくらいありがたいのでしょうか?

緩和

ビールは冷たいままで,コーヒーは熱いままでいることはできなかったのでしょうか?世の中にはどうやら「安定な状態」というのが存在するようです.ぬるくなること,つまり「安定な状態へ移行すること」(これを緩和といいます)が起こるのは,当たり前のように感じるかもしれません.でも,よくよく考えると不思議です.ニュートン(Newton)力学によれば,運動は

$$
\begin{align*}
m\frac{d^2 x}{dt^2} = F(x)
\end{align*}
$$

のように書かれ,左辺が二階微分だから時間を$${t \to -t}$$のように逆回しにしても,方程式の形は変わりません.つまり,ミクロに見たときに原子たちが力学に従っていると考えれば,ぬるくなるのと逆のことが起こっても別によいはずで,一方向に現象が進む仕組みはありません.
緩和が何に起源をもつのかというのは難問で,実はいまだに解決していないので,盛んに研究されています.特にこのことは日本人が活躍している分野でもあります.

平衡状態

それはともかく,マクロな系ではどうも緩和は起こるものなのだ,と認めてしまって理論を組み立てることはできます.時間が経って緩和が起こり,もう変化しなくなった状態のことを平衡状態といいます.そして一度平衡状態に達してしまえば,その状態を記述するのにはいくつかの変数しかいらないことが知られています.このように少数の変数で記述できてしまうことも当たり前ではありませんが,そのことにも立ち入らないのが熱力学です.それなら平衡状態は単純に記述できそうだし,もっと複雑な現象を考える上での出発点にもなります.

熱力学とは何か

熱力学は,どちらの平衡状態のほうが偉いのか,そういった順序を議論します.熱力学は,平衡にある系の状態をいくつかの変数で指定して,平衡状態間の地図を与えるような理論であると言い換えることもできます.地図があれば,絶対にたどり着けないところを目指してもう無駄な努力をすることはなくなるので助かります.熱力学は,私たちが自然を思いのままに操作しようとしても,どうやら理論的限界があるらしいということに気付いた人類の,失敗と努力の賜物なのです.

そして,答えを先に言うと,「エントロピーが小さいほうが偉い」のです.エントロピーなるものが小さくなる方向には決して行くことができません.

このノートの目標

これはエントロピー増大則と呼ばれ,これこそが熱力学の核心を端的に表すものですが,これをきちんと定式化することをこれからの最初の目標にします.

もちろん熱力学の教科書は良いものがたくさんあるのだけど,なぜこれを書くのかというと,自由エネルギーを主役に据え,少しの要請から熱力学を組み立てなおしたいという,私自身の考えからです.エントロピーを主役にするのは,数学的にはわかりやすいのですが,物理を考える上では自由エネルギーでやるほうが自然だと思う理由があります.

余談ですが,私は高校のときに化学反応が進む方向について,エネルギーが小さくなる方に行く,というような説明を受けましたがわからなくて(だってエネルギーは保存するんじゃないの?),わからないのに問題を解く気になれず,化学の成績は悲惨でした.こうした混乱は今思えば,着目している系と着目していない系をきちんと区別できていなかったために起こったのでした.

さあ,次のノートでは,温度という概念の存在を示すことをしましょう.お楽しみに.

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更新履歴
Feb. 8, 2020 エントロピー増大則を理解するのが最初の目標という表現に改定

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kT@物理・化学
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