私の生理人生 〜更年期を目前に振り返る〜
生理卒業へのカウントダウン
更年期の諸症状をチェックしても、まだ更年期は始まっていなさそうですが、
「更年期=生理の卒業」
と考えると、30年以上付き合ってきた生理との思い出を振り返りたくなりまして。
最近では小学生の娘に生理を含め体の変化についても折をみて話すようにしています。
彼女はあと数年したら生理が始まりますが、そう考えると母から娘へ生理のバトンを渡すような、なんともドラマチックな気持ちになります(大袈裟でしょうか)。
今回の内容は、あまり人にシェアするようなものでもないと思ったんですけど、どなたかの参考になれば(なるか?)と思い、症例1として残しておきます。
生理との出会い
私と生理が初めて出会ったのは、確か小学校5年か6年の頃でした。
私が初潮を迎えた時代は、性教育というのも盛んではなく(今もそういう傾向はありますけどね)、なんとなくわかっているようでわかっていないまま大人になりました。
体のしくみについても、妊娠してから初めて知ったことも実はたくさんあります。
小学校4〜5年生の頃に一度、学校で男女にわけられて体の仕組みや生理の話を聞きました。
確か多目的室だったんですが、座っていたのが一番後ろの方だったので先生の声がほとんど聞こえないまま、配られたナプキンを持ち帰りました。
それから学校では女子が集まると必ず生理の話題が出て、
「〇〇ちゃん始まったんだって」
「お腹ってみんな痛くなるのかな?」
「ちょっとぉ、男子はあっち行って!」
なんて盛り上がっていたのを覚えています。
悲しかったエピソード
この頃にひとつだけ、母の対応に傷ついたエピソードがあります。
今だに母には伝えていないのですが。
「いつくるかわからないから、ナプキンは持ち歩いておいた方がいいよ」
という学校の先生のアドバイスに従って、親戚と集まる際の自分の荷物にもナプキンを入れておきました。
道中母に、
「ねぇ、見て」と、そっとナプキンが入っているのを見せました。
母はそれを見て笑っていました。
その後親戚一同食事をしているときに、
「さっきね、〇〇ちゃん(私)がかばんから『これ』って見せたのよ、ナプキンを」
すると親戚一同大笑い。
そばにいたおじさんも
「〇〇ちゃんももうすぐかぁ〜まだか?」
なんてからかってきて、当の母も笑っていました。
今の私がこれに類することを言われても傷つくことはないし、むしろ大抵のことはネタとして笑い飛ばせます。
でも、この時は母の発言が本当に信じられなかった。
みんなの前で笑い物にされたようで、小学生の私はすごくすごく傷ついたんですね。
私は母だから打ち明けたのに。
そんなにおかしいことだったの?
恥ずかしい。
みんなの前で笑いのネタにするなんてヒドイ!
多分母にしたら面白いエピソードのひとつくらいだったんだと思いますし、母を含め今となっては誰も覚えていないでしょうけど、私にとっては忘れられないんですよね。
このエピソードがあったからといって母と不仲とかはないです。
親子として過ごしていたらこういうことは生活の中にいくつも転がっているものでしょうし。
ただ、ここからの学びとして
「自分に悪気がなくても傷つけてしまうかもしれない、子供は繊細ということを忘れてはいけない」
と、子供に接する際の自分への戒めとして忘れないようにしています。
初潮到来
ある日突然血が滲んだショーツを見て
「もしかしてこれが生理?!きた?」
と思い、母親に
「なんか血がついてる」
と伝えると、おもむろにナプキンを差し出されました。
私としてはどのように使うのか説明してほしかったのですが、
「あけたら大体わかるから。ゴミはここね」
と言われたきりでぎこちなく最初の生理を迎えたのでした。
今思えば母親も初めてのことで気恥ずかしかったのかもと思いますが、当時の私は生理が恥ずかしいものという認識はみじんもなく、
「包丁の持ち方は丁寧に教えてくれたのに、なんでこれは普通に教えてくれないんだろう」
と思ったことを覚えています。
その割に夕飯はお赤飯で割としっかりお祝いされたのですが。笑
昔のナプキンのクオリティ
その頃のナプキンは、羽が付いていないものが多く、しかも分厚い。
夜用ナプキンともなると、4枚切りの食パンか?!というくらいに分厚い。
「2日目の夜は漏れやすいから」
と、厚切りナプキンを2枚重ねて就寝。
違和感を感じるレベルです。
それでも横漏れや後ろ漏れをしたことは数知れず。
もちろんショーツなどは自分で洗いましたが、
「漏れるのは普通だから」と、面倒くさがることもなく母は毎回シーツを手洗いしてから洗濯してくれていました。
そういう対応は、今思い出してもありがたかったなと感じます。
汚して申し訳ないという気持ちになるのですが、
「みんな通ってきた道だから」
と言われると、女同士のちょっとした結束みたいな気持ちが生まれました。
祖母と生理
祖母は、生理について割とオープンに色々と話してくれました。
「使い捨てナプキンがある時代で本当いいね。」
「おばあちゃんの頃は、生理のこと「メンス」っていったり「アンネちゃん」って言ったりしていたの」
「お月様」とか「女の子の日」という別名は知っていたけど、他にも呼び方があるんだ〜と興味深く聞いていました。
軽く調べてみると、
・ストロベリーウィーク
・トマトが落ちてきた
・毎月のパーティー
・サンタがやってきた
こんな風に呼んでいる国もあるようです。
面白いですね。
他にも祖母からは
「経血はお湯で洗うと取れにくくなるから、必ず冷水で洗いなさい」
「お風呂は入りなさい。湯船に入っているときは血は出ないから」
など教えてもらいました。
ブルマ
生理で嫌だったことの一つに体育があります。
現在は廃止されましたが、当時の女子の体操服は「ブルマ」でした。
ブルマって、今の子供たちに言ってもきっと知らない子の方が多いですよね。
紺色の、パンツの上に履くパンツ、といったところでしょうか。
「ハミパン」も今では懐かしい言葉です。
ブルマの裾から下のパンツがはみ出してしまっている現象のことです。
ブルマの裾が気になって、体育に集中できなかったりするんですよね。
特に生理のときはナプキンをつけるので、すごく気になってしまいます。
昭和の時代にブルマで体育を受けたことのある人は、女子の大敵の代名詞の一つであることを共感頂けるんじゃないでしょうか。
私もショートパンツの現代で体育を受けたかった、、、笑
羽付き&薄型ナプキンに感動!
時代と共にナプキンの進化もめまぐるしく。
「あ、エリス派なんだ?
私はウィスパー。」
メーカーによっても着用間が違っていて、友達との話題でもどこのを愛用しているという話もよく出ていました。
ちなみに私は今でもロリエを愛用しております♡
厚切りナプキンも嫌でしたが、薄くなったらなったで、どういうことなのか?
このミリ単位の薄さに、厚切りと同じ経血量が受け止め切れるのか?!
もう不思議!
信じたいけど信じられないと、あーでもないこーでもない議論が友人間でしばし交わされます。
タンポンデビュー
私のタンポンデビューは、中学の運動会でした。
そのときは深く考えていませんでしたが、よく考えたらセンセーショナルなタイミングですよね。
友達でタンポンを持っている子がいて、トイレの中から指示を受けながらトライしました。
今みたいにプラスチックで簡単に使えるタイプではなかったように記憶しています。
タンポンは反対という家庭もありましたが、
「タンポン+ナプキン」
が私にとっては非常に過ごしやすく、その後も取り入れていました。
一度タンポンが2個出てきたことがあって、、
非常に稀ではあるようですが、長時間タンポンが入ったままだと「毒素性ショック症候群(TSS)」が引き起こされる可能性があるようです。
最悪死に至るケースもあるようですので、普段使いの危険度は低いですが、そこは注意が必要ですね。
(私も反省しました)
月経カップ
私は2018年に月経カップの存在を知りました。
ナプキン、タンポンに次ぐ第3の生理用品として、徐々に認知度を上げています。
膣の中で経血をキャッチしてくれ、煮沸洗浄すれば何度でも使えるため経済的でエコというのが謳い文句。
価格にバラつきはあるものの、それほどお安くもないんですよね。
中には5000円くらいするものも。
でも使いやすくて継続使用できそうなら、長い目で見たら経済的です。
メーカーや生産国によって大きさや形、シリコンの硬さも微妙に違います。
私もいくつか購入して試してみました。
きちんと膣の中にセットできないと違和感があって、うまく出来ればいいんですが、慣れるまでは後処理なども外出時は大変かもと思いました。
画期的な商品だとは思いますが、私はやはりナプキンとタンポン一筋で卒業したいと思います。
最近では、ショーツそのものが経血を吸収してくれる「吸水ショーツ」なるものも出ているようなのでちょっと気にはなるものの、布ナプキンと同じで後で洗うのが面倒なのでこれもおそらく手を出さないだろうな。
尽きることない思い出
生理にまつわるエピソードを思い返してみると、他にも温泉にプール旅行、子供との入浴など、まだまだわんさか出てきます。
そりゃあアナタ30年の付き合いですから。
キリがないので今日は一旦ここでおしまい。
もしまた機会があれば、他のエピソードも綴ってみようと思います。
(需要はなさそうですが笑)
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