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先制攻撃についてⅡ

【先制防御とは?】

少し前に、政府が「我が国を攻撃しようとしている国がいた場合、先制攻撃も視野に入れている」と言いだしたことについて、自分の武道体験になぞらえて考えた記事を書きました。
「友人であること、友人になること」がまず防御策であるべきだ、が前稿の結論でしたが、その後、それを一歩前身させ具体化したような武道が存在していることを知りました。

NHKの総合で『明鏡止水』という古武道を取り上げた番組があるのですが、何とはなしにに観ていたら、そこに新しく創られた「護道(ごどう」という武道のお師匠さんが出ておられ先制防御という言葉を使っておられました。
私は、“先制攻撃”という言葉に敏感になっていたのでこの言葉には少なからず反応してしまいました。
この方、“強くなりたい” という想いで様様な武道、格闘技を経験されてきた方なのですが、息子さんが発達障害と自閉症のあるお子さんであったので、お子さんが時々パニックになると、自傷や他に対する攻撃的な行動(かみつく、ひっかきにくる等)に出ることがあるそうです。
そしてそういう時、攻撃から身を守らなければならないけど、まさか自分の息子の身体を傷つけるような形で守るわけにはいかない。

……そこで、これまで身に付けてきた格闘技術体系を「自分も守り、相手も守る」の理念で練り直したものが「護道」だそうです。
そして、そのメインコンセプトが先ほどの[先制防御]。間合いを制御しながら一番の攻撃手段である相手の手の動きを封じ、その後合気道などに通じる自他の身体の一体化からくる技法で自分の身体をクッションにしたような形で柔らかく押さえこみ、さらに自分の落ち着いた脳波(気)を相手に送り落ち着かせる……までが一連の型だそうです。
うーん、私はその自分も傷つけられるわけにはいかないけれど、相手にも傷も痛みも与えず、ただその攻撃性だけを制御する、そして自分の気を送って落ちつかせる、…というコンセプトにびっくりしてしまいました。
お師匠さん、さらに介護士の資格もとって現場にでることで経験を積み、体格差がある場合なども考慮に入れ、構えや型、錬成法をまとめていかれたそうです。
何と言えばいいのでしょう、攻撃してくる相手が我が子や保護を必要としている人であり、その敵に対する止むに止まれぬ親心が型になった武道……と考えるとちょっと涙目になるような感動を覚えました。
そして、武力というのはやっぱり何らかの意味で相手の意志を抑えこみ、自分の意思に従わせることだとしたら、止むに止まれぬ親心のような心の持ち主にだけ許されることなのではないか?……と強く思いました。

そして、このコンセプトを国どうしの争いに当てはめた時には、どう考えたものでしょうか? ちょっと予想もつかない感じです。しかし一つ言えるのは、今まで我々西側先進国が共産国が倒れた時や、独裁者統治のイスラム系国が倒れた時、そこの国民や国民の暮らしに対して “親心” というような気持ちを持っていたでしょうか? なかったと思います(少なくとも私は)。
“国を守る”ということには色々な考え方があるでしょうが、日本武道の極地は護道のお師匠さんの言われるような「神武不殺」、生きものを慈しむ神の心ではないか?……と直感的に思いました。
きっとこの観点がゼロで防衛問題を考えることはもうできないな、……位に私はこの武道のコンセプトに衝撃を受けました。
皆さんは、どうお感じになられたでしょうか?


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