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【小説】あかねいろー第2部ー 3)高田の帰還

 新体制での練習がスタートし、案の定、仕込みの時期ということで、きついトレーニングが続いた。特に、ランパスの本数が増え、タックルの練習については、コンタクトダミー、タックルダミーの量が増えたこともあり、練習量が一気に増えた。また、練習後に、一人一人に、トレーニングの課題が提示された。朝練などで自分で鍛えてこいというもので、課題が提示されるだけで、トレーニングのメニューは自分で考えろ、だった。
 明らかに体にかかる負荷大きくなり、先週の「花園行くぜ!」という志の高さはあっという間にどこかに行ってしまい、練習のたびに谷杉への愚痴、並びにそれを伝える一太や小道への愚痴が多くなった。特に1年生たちは、練習後のトレーニングについては、一太が勝手にメニューを考えて、全員残して、かなり厳しいものを課していった。練習後に、1500m走を2本、手押し車で200mを3本からの、肩車スクワットを30回を5セットなど。優に1時間を超えるようなものもあり、2年生が先に帰る中、1年生はそのメニューを問答無用でやらされてから、グラウンドを整備して、持ち物を整理して帰るので、いつも、全部の部活を通じて一番遅い時間になっていった。当然に1年生たちからは怨嗟の声が、一太のいないところで起こるが、一太は気にも留めない。それどころか、どこか楽しそうで、彼にはもともと鬼軍曹の資質があったのだと思わざるを得ないし、それを見抜いたのかどうかわからないけれど、抜擢した谷杉の目の付け所にも改めて驚いた。
 
 12月の1週目の火曜日の練習の時に、高田が退院をして、来週から学校に登校するということを知らされた。今年の春に、僕の代わりに、初めてセンターで試合に出て、その試合で頭を強打し、ずっと昏睡状態だった高田。3週間前、前の代の最後となった試合、廣川工業との試合の最中に、病院で、何事もなかったように目覚めた高田。
 谷杉の話だと、結局、昏睡状態であった原因も、それが解消された理由もしっかりとはわかっていなくて、脳の強打が原因であることだけは間違い無いので、流石にラグビーをするのは難しいということだった。
 その高田が、登校の前に、今週の土曜日の練習を見にくる、親と共に挨拶をしにきたいということだった。
 
 冷たい風が西校舎の脇から校庭の向こうの城跡の方に吹き抜けて、コンタクト練習の1つ1つが体に染み込んでくる。風のある日の練習はとにかく痺れる。当たる時も痛いし、待っている時の風がさらに痛い。そして、ボールを受けるときに、取り損なって指に当てると、これもなんとも言えない痛さが走る。
 そんなしかめてばかりの顔が50個以上並ぶ校庭を、高田はゆっくりと見ている。とても楽しそうに、とても大事そうに。黒い大きなフードのついたコートとブルージーンズ。手には厚手の手袋をしている。防寒をしっかりとした彼は、半袖でコンタクトダミーに当たっていく僕らを羨ましそうに見ている。時折、おお、とか、うわ、とか言いながら。
 まだ、長い時間立っているのは辛いようで、少ししてから彼には椅子とテーブルが用意された。そして、寒さも体に良く無いのだろう、お母さんからはホッカイロが手渡されて、手袋の上から持って顔に当てたりしている。
 高田の目に僕らはどう映っていたのだろう。高田だって、記憶はないだろうけれども、どうしてこういう状況になっているのかはわかっているだろう。その原因となったラグビー部を、あるいは僕とのことをどこまで言われているのかわからないけれども、僕のことを、どういう思いで見ているのだろう。その日の僕は、そのことが気になってしかたがなかった。
 僕を恨んでいるのではないか、僕を憎んでいるのではないか。僕らの元気な姿を見て、自分の不幸を呪い、僕らに怨嗟の念を抱いているのではないか。そんな思いを頭から払いきれなかった。
 でも、練習前に高田と挨拶をし、彼が僕のこと、僕らのことを認識できていて、そして、その後の練習を見ている彼の姿を見て、違うんだ、そんなことじゃないんだと感じた。
 高田は、本当に嬉しいんだ、この場で、僕らのラグビーをやっている姿を見て、本当に喜んでいるのだと感じた。僕は、初めは正直、自分が練習をしている姿を見せることが、少し後ろめたかった。しかし、彼のその視線を受けるたびに、僕には、彼の声が聞こえてくるような気がした。違うんだよ、そんなんじゃないんだよ、僕は、今、みんなの痛そうでしんどそうな姿を見て、本当に幸せなんだ、と。

 練習後に、高田と、高田のお母さんからの挨拶があった。だけ
 高田は、寒い中2時間も練習を見ていたためか、すこし辛そうで「来週から学校に来るので、またよろしくお願いします」という短い挨拶だけだった。その代わり、お母さんが、用意してきたメモを見ながら話をしてくれた。
「高田の母です。今日は練習を見させてくれてありがとうございます。学校に行く前に、登校する前に、どうしてもラグビー部の練習が見たい、みんなに挨拶がしたい、というので、今日は先生に無理を言ってお願いしました」
「見ての通り、まだ亮太の調子は難しいところがあり、激しい運動はできません。体に負担がかかるようなこともできる限り避けるように言われています。だから、ラグビーをすることは当面できません。それでも、この子が真っ先に行きたいところは、皆さんのところでした」
「この子は、皆さんのこの前の試合の最中、私たちも病室で皆さんの試合を見ていて、大いに盛り上がっていた時に、その後ろで目を覚ましました。まるで、皆さんのプレーに込められた想いが、彼に伝わったかのような一瞬でした。私たちは、その時、人生で初めて、人間には不思議な力が備わっているのだということを、心から実感しました。誰になんと言われようと、この子が意識を取り戻したのは、皆さんのおかげなんです。皆さんの想いが、プレーが、1人の男の子とその家族を救ってくれたこと、そのことに対して、私たちは感謝などという薄い言葉では言いようのない気持ちを持っています」
「だから、私たちは、私と主人と、そして亮太は、もしも許されるならば、今後もなんらかの形で皆さんのお手伝いをしたいと思っています。ボール磨きでも、道具の整理でもいい、あるいは、本当に応援するだけでもいい、なんでもいいんです。何かの形で、力になりたい、そう思っています。」
高田のお母さんは、そこまで話して少し言葉に詰まる。あるいは、言葉はそこで途切れたのかもしれない。
「ラグビーやりたいけどさ、ダメだっていうから。でも、できればラグビー部にいたいんだ。」
その横で高田がぼそりという。
 冬の夕暮れの足は早い。冷えてきた空気の中で、50人、みんながみんな何かを噛み締める。僕たちは、不思議な力について考える。考えざるを得ない。奇跡を目の前にすると、人間の表現力など無力だ。ただただギュッとなるしかない。でも、今日感じた胸の締め付けは、幸福だ。そして、前向きだ。
「一太、小道、それと吉田、お前も一緒に考えておけ。高田に何をしてもらうか」
谷杉の言葉に僕は小さく顔を動かす。一太は元気に返事をする。
「よし、じゃあ、お前ら、最後に、高田の前で、”明るい農村”をやってやろうじゃないか。一番きつい練習を、一番きつい顔を見せてやろうじゃないか」
谷杉は破顔一笑、嬉しそうに言い放つ。
「先生、2年生の先輩もっすよね?俺らだけじゃないですよね?」
1年の仁田が言う。ここのところ彼らは毎日、練習後に、一太からしごかれている。
「あたりまえだ。2年も一緒に、校庭を1周しろ」
「よっしゃー!」
1年生たちから奇声が上がる。高田は意味がわからずぽかんとする。
「全員終わるのが遅かった方が、もう1周にするか」
谷杉がニタニタしながら付け足す。
「それはやめておきましょう。絶対に俺と浅岡のいる俺らが不利です」
一太が慌てていう。110キロクラスの2名が、農村では圧倒的に不利なのは誰もが知っている。谷杉はガハハと笑う。
「よし、いいからやれ、早く早く!」

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