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【小説】あかねいろー第2部ー 84)準決勝ー後半戦(1)ー

  引き続きの晴天。風はない。天高く、最高の秋のラグビー日和だ。
 後半は僕らのキックオフでスタートする。
 試合の展開を見ても、後半の最初のスコアをどちらがするかが、この試合の重要な分岐点になるのは間違いないところだ。廣川工業が取れば、7点差以上つくことになり、かなり精神的に楽になるだろう。強いチームが、心にゆとりを持ってプレーをしだすと、いわゆる大差になりがちだ。一方で、僕らが3点でもいいのでスコアすれば、この試合は最後までもつれていく、そんな覚悟を双方が持つことになり、最後までお互い固い試合展開を選択するだろう。
 その緊張感は、双方にあった。あったからこそ、最初の小道の、いわゆるミスキックを、廣川工業の8番が22mライン上でノックオンをしてしまう。高く蹴ろうとした小道のドロップキックは、思いもよらない変則ライナーになって8番にまっすぐと向かっていき、慌てて手だけを出してしまった彼の左手を弾いていった。
 両方が思った後半最初の分岐点がいきなりやってくる。
 廣川工業の22mライン付近、中央から左へ10mくらいよったところで、僕らボールのスクラムになる。
 僕らは小さくハドルを組む。
「いきなりいくか」
一太がいう。僕と小道が顔を見合わせ頷く。そして、3人でサムアップする。
 スクラムは互角に見えたが、きっちり圧をかければ押せそうには見えた。特に、浅岡のトイメンの1番は、少し浅岡のサイズに組みづらそうにしている。僕らはその3番側を、ほんの気持ちだけ前に出して組み、右側から押そうとする。一太はその分少し力を抜く。本当に少しだけ。しかし、その結果は大きなもので、スクラムは右側ずいぶん前に出る。
 バックスは、右側の広いスペースに、小道と笠原だけを配置し、左側の20mくらいの方に、僕が一番目に立ち、センターとウイングを配置し3人が浅いラインで並ぶ。清隆はシンビン中であと数分は戻れない。廣川工業はセンター2人が並び、ウイングもほぼ一列に並んでいる。人数的な優位はないけれど、普通に考えれば、左サイドを攻めるような布陣を引く。
 右側に大きなスペースとプレッシャーのかからなそうな布陣、そして、意図してスクラムをホイールさせ右側を前に出す。当然に、相手の7番、8番、9番の出足は遅くなる。その状況から導き出される解は1つだ。
 ホイールしたスクラムが止まりそうになるその時に、岡野が右サイドの小道の方にボールを出す。小道は、いつの間にか、ほぼスクラムの真後ろ、少し右のところ、ずいぶん深くに立っている。
 岡野からのボールを受け取った小道は、プレッシャーもさしてかからない中、悠々と、ほぼゴール真っ正面から、ドロップゴールを蹴り込む。
 後半開始の最初のプレー。さあここから攻撃、というところの最初のプレーがドロップゴールというのは、廣川工業も、数千人のスタンドのギャラリーも、誰もが予想をしていないチョイスに見えた。
 廣川工業のFWの足は完全に止まっている。ボールは、少しブレた回転のをしながらも、ポールの真ん中を、少し右の方へシュートの軌道を描きながら通過していく。
 山際サイドのスタンドから大きな歓声が湧き起こる。僕と小道は、自分たちが描いてきた通りのプレーができたことにハイタッチをする。
9ー12。
 後半2分で僕らは3点差に迫る。
 ただ、得点は迫るけれども、呆気にはとられたけれども、廣川工業としては、メンタル的には特に影響のないところだった。まだ勝っているし、崩されたわけでも、押されたわけでもない。逆の立場だったら、僕らもさして気に留めず「次行こ、次」と切り替えやすい状況ではあった。

 それでも、試合には流れというものが必ずある。科学的に説明できないけれど、この3点で、目に見えない風が僕らに吹いてくる。
 次のキックオフで、沖村のキックは、本当に数十センチ、ほんの少しだけタッチラインを出てしまう。素晴らしいキックだった。22m付近に蹴り込まれたそのキックを、僕らは自信を持って見送ったわけではない。フランカーと笠原で、どちらが取るか決めかねて、お見合いしてしまっただけなのだ。
 しかし、その結果がダイレクトタッチ。これは、廣川工業にとっては不運としか言いようがなかった。
 僕らは、ここをチャンスと決め込む。その後のセンタースクラムで、本日1番のプッシュを見せる。ダイレクトタッチで動揺の残る廣川工業は、1番がストンと頭を下に落としてしまう。
「コラプシング!」
レフリーが長々と笛を吹く。
 浅岡が頭を抜くや否や大声で叫ぶ。その声に呼応するかのように、スタンドが大きなどよめきに包まれる。あちこちで、僕らはハイタッチをする。このタイミングで外に出ていた清隆も戻ってくる。追い風がどんどんと吹いてくる。
 一太と僕と小道、そしてNO .8の大野がさっと集まり確認する。一太がレフリーに告げる。
「ショット」
レフリーが小さくいい、ゴール方向を腕で示す。
 スタンドが再び大きくどよめく。正面とはいえ、ハーフウエー上。50mの距離がある。
 実際のところ、50mの距離というのは、キック力のあるキッカーからすれば、距離そのものはそこまで難しいものではない。そして、中学の頃は、サッカーの県代表のキーパーだった大野にとっては、この距離は全く問題がない。問題があるのは、正確性だけだ。その正確性は、今のこの「風」に乗っていこう、そう考えた。というか、ハーフウエー付近からP Gを狙うことは、ケースとしては想定していたもので、1、2回は狙う機会があるのではないかと思っていた。たとえ外れても、しっかりチェイスをしていけば、リターンされたキックは22mから10mの間くらいまでで、そこから再度自分たちのボールで再開できるだろうという目論見もあった
 どよめき、ざわつく中、大野は持ち前の締まりのない顔で、ニヤニヤしながらボールをセットする。試合で蹴るのは久々だけど、練習の際は、毎日、小道と一緒にゴールキックの練習はしている。準備はできている。しかし、それにしても、緊張感のない顔で、周りの方が心配になる。
「気楽にけれよ」
同じ中学校出身の笠原が声をかける。
「ん?何を?」
天然なのだ。緊張感とは無縁のような顔に見える。
 ボールをセットする。助走はとても短い、3、4歩程度しかない。期せずしてスタンドが静まり返る。僕らはハーフウエーに並び、ダッシュの体制をとる。廣川工業は、何人かがゴールポストの前で逆向きに立ち、よもやのポストへの跳ね返りにケアをする。
 ゴールキックを蹴る前の静寂。空気が止まり、全ての人の目が1点に集まる瞬間。どこかに吸い込まれていくような感覚になる。
 さっと顔を上げた大野は、短い助走で躊躇なく、強い、低いボールを蹴る。真っ直ぐに飛んでいき、22mライン付近でその放物線の頂点を迎え、ポールを超える頃には、地上からまだ10mくらいのところにある。ボールは2つのポールのど真ん中を突き抜けていく。
 先ほどの小道のドロップゴールをの時を超える、歓声とどよめきがグラウンドを包み込む。大野は照れくさそうに頭を掻いている。その周りに僕らが集まり彼をもみくちゃにする。
12ー12。
 試合は振り出しに戻る。後半5分。ここからもう一度、双方の、本当の底力が試されていく時間になる。
「おい、すぐにセットするぞ」
一太が引き締める。
 そうだよ。もちろん、ここからが勝負だ。わかっている。

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