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【小説】あかねいろー第2部ー 78)僕らがすべきことは、過去の振り返りではない
水曜日にはそれなりに激しいコンタクトの練習をした。特に、タックルの後の争奪戦の部分、密集への入り方については、廣川工業はとにかく上手くて速くて強い。ここに1、2年生を使って、コンタクトが起きたら、2名、3名と、すぐにラックの上を越えようとする動きを入れて、それを僕らが1人でスイープしていくような動きを繰り返し練習した。ここは、そうは言っても、1人で、相手の2人、3人もをスイープするというのははそうそうできないので、それならば、そういう時にどう体を使う、ボールに働きかけるか。この辺りは、グラウンドにiPadを持ち込んで、廣川工業の動きを確認しながら、ああでもないこうでもないと議論とアクションを重ねた。
モールの練習では、押し切れない時の対応、そのチョイスに幾つかの決め事を設定した。どちらのサイドに動かすのか、どのエリアで接点を再設定するのか、そして、小道がドロップゴールを狙う際の立ち位置や、ボールの投げ方、あからさまなブロックはダメだけれど、チャージをしにくる相手に対して、いかに前に立つ人がブロックコースに立つか。こういう細かいところも繰り返し確認をしていった。
木曜日は軽いライン合わせと、サインプレなーなどの確認だけにして、体の調整をし、金曜日は、練習の最初に理科室でメンバーを発表し、背番号を配布する。
いつもは、練習後のグラウンドで大声で叫びながらやるこの儀式は、今回は練習前の理科室で静かに行ったのは、この後、みんなで、理科室のスクリーンを使って昨年の試合を見るためだった。
火曜日から水曜日にかけて起こった、応援団からの提案による動画作りは、僕たちに改めて重要な思いを喚起した。それは、この試合こそ、僕らにとっての「リベンジマッチ」であり、まさに僕たちにとって、越えなければならない「スタート地点」だということだった。もちろん、誰もがそのことはわかっている。昨年の試合を忘れていない。そこが出発点であることもわかっている。
だけど、わかっているのと、それを、本当の意味で「原動力」にできているかは、まるで違うことだ。そして、あの火曜日の夜からの出来事は、僕らにとって、あの試合、去年のあの試合の思いが「薄まっている」ことを突きつけていた。極端に言えば、プレーをしている僕らよりも、高田とか、周りの方がよく認識をしているようにすら思えた。
そして、「それではいけないんだ」という思いは、僕らの誰の中にも共通の危機感として認識される、そんな出来事だった。だからこそ、試合に向かう前に、全員で、もう一度あの試合を見よう。タウファは僕らにとり、越えなければならない強敵だった。しかし、廣川工業との試合は、僕らのアイデンティティーを掛けたリベンジの場だ。その想いに、もう一度火をつけなければならない。
理科室の重たいブラインドををギギギと下げ、教室の電気を消す。そして、高田がPCから試合を再生する。試合を最初からもう一度見る。
この試合に出ていたのは、今の3年生では、バックスでは僕と笠原、FWでは、一太と浅岡、それに大野だった。リザーブにはも、今回出るメンバーのほぼ全員が入っており、ほとんどのメンバーはグラウンドレベルでこの試合を見ていた。
僕は、実はこの試合の映像を見ることを避けていた。理由はうまく言えない。自分のプレーを見たくないという思いはあったし、あの試合のことを思い出したくないという気持ちもあった。だから、正直言って、この間の映像作りでこの試合を部分的に見たのが、ほぼ1年ぶりのことだった。最後の最後、相手の11番がノックオンをした時、時計は37分を越えていた。僕らのFWは、ノックオンをした11番の横で、みんながガッツポーズをし雄叫びあげていた。
しかし、冷たい風が吹き、試合はロスタイム10分まで進み、最後の最後のスクラムで反則を取られる。13番が真ん中からPGをすっと決め、逆転となったところで試合終了の笛が吹かれる。
あの瞬間の映像を見て、そこに映った、敗戦を受け入れられずに右を左を見渡している自分を見て、僕は、自分を叱責したい気持ちに駆られた。そこに映っている自分に、1年前の自分に、無性に腹が立ってしょうがなかった。
1年前の僕は、やれることをやり、出し切ったと思っていた。そして、その結果を、偏ったレフリングによって不当に捻じ曲げられたと思っていた。その不満が、画面の上の顔にありありと出ていた。しかし、1年たった今、僕は全く違う気持ちを感じる。
お前が弱かったんだよ。お前がヘタレだったんだよ。お前たちが未熟だったんだよ。
それだけなんだ。
できるならば、レフリーのせいにしている、相手のせいにしている僕を、ぶん殴ってやりたかった。そんな思いだから、そんな思いを持つような努力だから負けたんだよ、と。思いっきり、腹の底からの罵声を浴びせてやりたかった。
試合を全員で見ながら、1つ1つのプレーにあれこれ言いながら、僕はどこか違う世界にいた。
思い出すまでもなくわかっていた。そもそも、逆転した後のキックオフ、残り2分のところを、さらりと蹴り返したところが間違っていた。今ならば、そんな選択をするわけもない。その程度の判断もできないくらいに、僕らは未熟だった。残り3分で、逆転できると信じ切っていた廣川工業の15人とは、経験値も、メンタルも、技術も違ったのだ。
でも、今は違う。去年の僕らではない。2回り、3回り成長した僕らだ。去年の未熟な試合を見てやんやとやることにはあまり興味が持てなかった。
後半が始まる。僕は腕組みをして目をつぶる。
次の試合、僕は15番に戻る。去年は12番で戦った。会場は去年とは違う。今年はメイングラウンドでの試合だ。時節の頃は同じだ。天気も良さそうだ。
僕は、グラウンドの芝生の匂いを想像する。夏の強さの残る、短めの芝だ。グランドにはまだ誰もない。今週はほとんど雨が降らなさそうだから、芝は乾き、ほんの少しだけ青色の草いきれの匂いがする。それを、大きく鼻から吸い込む。ずっと向こうに、ゴールのHのポールが見える。鼻から入ってきたその匂いは、喉の奥を抜けて、僕の肺へ届く。そして、肺の中で酸素と結びつき、肺静脈から左心房、左心室へといき、心臓から全身へ送り出される。そうして、僕の全身は新しくなる。静かに、けれど確実に。その匂いの粒子たちは、足の小指の爪の先で折り返してくると、今度は全身から、昨年の僕らの思い、こびりついている僕らの思考の垢をこすり取り、静脈を通り、大静脈に集まり、右心房へ戻り、右心室から肺に戻される。僕は、大きく、できる限り全ての空気を肺から外へ出そうとする。
そうして僕は、完全にリニューアルされる。血管から、細胞まで去年の僕はいなくなる。
試合は逆転後のロスタイムへと移っている。誰かがロスタイムの時間をはかる。相手の11番がノックオンをした時、確かにロスタイムに入ってから7分34秒が経っていた。でも、レフリーがノーサイドの笛を吹く前に、勝手に試合を終えているのは僕らだ。レフリーは浅岡の派手なガッツポーズを横目で見て、すぐに試合の継続を告げている。
そして、だらしのないスクラムが始まる。浅岡と一太の呼吸はまるであっていない。3番と1番が、全く違うタイミングで相手にあたろうとしている。それを誰もコントロールしていない。
ペナルティが吹かれ、逆転のPGが決まる。ノーサイドの笛が吹かれる。廣川工業のメンバーは、次のキックオフに備えて、多くのメンバーは自陣に戻っていた。笛を聴いて、初めて、少しだけ笑顔を見せた。
理科室にはため息が漏れる。しかし、それ以上に静かな空気が流れる。
全員が思ったはずだ。
この試合は、すでに越えている。僕たちは今、このレベルではない。この試合を見て、感傷に浸り、ロマンティックなことを言うようなレベルではない。僕たちは、去年の僕らではない。谷杉が作ってきた山際高校ラグビー部は、進化し、大きく成長した。
「さ、いくか。」
画面が消えたことを確認して、一太が立ち上がる。
「うっす」
理科室に低い返事が響く。
僕らがすべきことは、過去の振り返りではない。二の舞を防ぐと言うようなことではない。いかに勝つか。ただそれだけだ。強く唇をかみしめて、グラウンドへ出る。