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【小説】あかねいろー第2部ー 1)キャプテンを決める

 新チームがスタートするにあたり、まずは、次のキャプテン、部長を誰がやるのかが最初のテーマだった。
 高校の部活のキャプテンの選び方は、学校や先生、監督によって考え方にかなり違いがある。プレイヤーとしての中心選手を選ぶケースもあるし、まとめ役としてのリーダーシップを大事にするケースもある。また、監督が指名するケースもあるし、選手間で相談をして決めていくというケースもある。ただ、どのケースであろうと、多くのケースは「たぶん、次のキャプテンはあの人」という暗黙の空気感があって、基本的にはそこに落ち着くケースが大半だ。
 僕らのラグビー部は例年、谷杉の鶴の一声でキャプテンは決まった。谷杉は、どんな根拠か、どんな理由かとかを説明することもなく、最初のミーティングで「次のキャプテンはお前がやれ」と指名をして、みんながそれを追認した。だって、も、しかし、もなかった。
 そういう流れを知っていたので、僕は、自分がみんなの前で指名をされたら、これは逃れられないだろうなと思っていた。僕らの代においては、僕はずっとプレイヤーのトップランナーとして上の代にまじりレギュラーを張ってきた。県代表のセレクションに1個下から選ばれているのは僕だけだ。リーダーシップがあるかどうかについては自信はないけれど、僕がキャプテンをやることに反対をしたり、それはおかしいと思ったりする人はいないと思われた。
 
 でも。
 でも、本当にいいのだろうか。本当に僕が次のキャプテンでいいのだろうか。11月の最後の金曜日に、新チームの結成式のような集まりが予定されていて、そこでキャプテンは決まるだろう。その日が近づくにつれて、どうにも落ち着かない気持ちになっていった。
 キャプテンをやることに異論はない。自分自身そう思う。それでいて、僕がキャプテンをやるべきではないのではないか、という気持ちもどうしても拭えない。それは、高田のこともあるし、あるいは中学校の頃の野球部の部長としての経験もあるかもしれない。野球部の部長としては、散々に当時のコーチから叱られ続けた。その理由はいろいろあるけれど、試合中のことよりも、練習中の責任感がどうのこうのということが多かった。また、先代の小川さんの様子を見て、尻込みをするような思いもあった。
 でも、そういう去来する1つ1つの想いは、渡り鳥のように、どこかから飛んできては、少しすると去って行った。あるいはまた舞い戻っても、同じように時間が経つとどこかへ消えていった。所詮は全て言い訳だと自分でもわかっていた。弱気な言い訳。それに負けるわけにはいかないと思えていた。
 しかし、それらとは別に、僕の頭の中の右上の内側あたりに、何かがしっかりと離れずにこびりついているのを感じていた。それが微生物なのか、何かの腫瘍なのか、あるいは観念的な存在なのか、物質的な存在なのか、僕にはわからなかった。存在がある、しかし、見ることも、感じることもできない。ただ、そこにあって、それは自分の一部であることが間違いなく、その存在は、今にも降り出しそうな、不吉な雨雲のようにじっとこちらをみて何かを待ち構えている。
 なんだろう、この存在はなんなんだろうと思う。
 1つだけはっきりしているのは、それは確実にそこにあり、それは、今に始まった事ではないということだ。これまでも僕は、その存在を度々認識してきた。野球を辞めた時、沙織と付き合っている時、高田の事故の時。僕は、本当は、叫び出したいことがあったはずだった。この世界に向けて、在らん限りの声量で叫びたかったはずだ。確実にそれはあった。そして、本当は、そうすべきだったとわかっている。
 けれど、僕は叫ばなかった。理由をつけて野球をやめ、沙織と静かに別れ、高田には本心を隠した手紙をお母さんに残した。今もまた同じことをしようとしているように思えた。
 
 水曜日の放課後に谷杉から理科室に呼び出され、次のキャプテンをやらないか、と言われた。
「次のキャプテンは、吉田、お前がやるしかないだろうと思っているがどうだ」
呼び出しがあった時から、おそらくそういう話だろうと思っていた。けれども、こう谷杉に言われても、まだ心を決めきれないでいた。僕の本心は、「N O」と言いたかった。僕はキャプテンをやるべき人間ではないと思っていた。しかし、僕にはそれをいう勇気がなかった。
「僕でいいんでしょうか・・」
「やりたくないのか」谷杉は短く切れ込んでくる。
「いや、そういうわけではないんですが・・」
僕は視線を落とす。
 晩秋の理科室はしんとしていて、十分に冷え込んでいる。エアコンもつけていなければ、ストーブも入っていない。遠くで何人かの馬鹿笑いが聞こえてくる。
「どういうわけだよ、じゃあ。やりたいのか、そうでないのか、どっちなんだ」
「やる気はあるんですけど、僕でいいんでしょうか・・自分が相応しいとは思えなくて・・」
谷杉は少しため息をつく。僕の胸の鼓動が速まる。
「今までキャプテンは、俺が、こいつだ、と思ったやつを指名してきた。うんともすんとも言わせなかった。基準はわからん。強いて言えば、どいつも馬鹿だよ、馬鹿で勇気があって、優しいやつだ。だから、なんとかみんなついてきてくれた。俺がめちゃくちゃやっても、なんとかキャプテン中心にまとめてきてくれた」
「ただ、今回だけは、迷うんだよ。吉田。お前は、プレイヤーとしては、うちの学校始まって以来のレベルに行けるはずだ。そういう星の元にいるよ。だけどな、俺はお前のことを、心から信用していいのか、どうしても迷うんだよ。」
「なぜだかわからん。みんなお前が次のキャプテンだと思っているだろ。下級生もそう思っているよ。同期は誰も異論がないだろう」
「だからな、お前の顔と目を見て、俺の迷いがいらん迷いなのかどうか、確かめたかったんだよ」
「どうなんだよ、それで、お前の本心は」
僕は下を向き続けている。理科室の緑の床しか見えない。
「明日、明日まで返事を待ってもらっていいでしょう。すいません。」谷杉と目を合わせずにいう。
「おお、もちろんだ。いいぞ。死ぬほど考えてくれ。お前がいい顔で、うんというなら、俺はお前を信用する。いいチームになるさ。そして、お前がやらないというのならば、その理由を聞きたい。お前をちゃんとコントロールできる人間をキャプテンにする必要があるからな」

 何かから逃げ出したい、と思ったのはこれが4度目だ。
 これまでの3度とも、僕は上手に逃げてきた。そこには、完璧な理屈や、偶然性があった。誰も僕のことを「逃げた」などと思っていないはずだった。
 しかし、今度はそうはいかない。
 僕がキャプテンになることから逃げ出せば、それは、誰もが、「吉田は逃げた」と思うだろう。僕はそれを隠すことのできる理屈や出来事を必死に考えてきた。考えてきたけれど、今日谷杉に会う時にも、その理屈は見出せなかった。
 どうしてキャプテンをやりたくないのか、自分に聞いてみる。理論的に考えれば、新しいチームは僕がキャプテンをすべきだと思う。僕自身にその資質がないとも思わない。(もちろん、十分にあるとは言えないにしても)頭でわかっているのに、どうしてやりたくないのか。僕の最大の問題は、それを自分ですら言葉にできていないことだった。僕自身が言葉にできないのだから、それを誰かに伝えることも現状は難しいように思えた。そのくせして、僕には、この自分の黒点を騙して、見ないふりをして、誤魔化しながら、キャプテンを引き受けることができない、その気持ちだけは明確だった。何かの原因があって、その原因はわからないのに、その結果だけが明確というのは、随分と気持ちの悪いものだった。

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