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【小説】あかねいろー第2部ー 88)準決勝ー後半戦(5)ー

  沖村がボールを何度か上に投げる。廣川工業のメンバーが横一列に綺麗に並ぶ。その上半身は、明らかにセンターラインを超えている。獲物を狙う猟犬のように、今すぐにでも飛び出してきそうな顔をしている。
 スタンドからは、廣川工業の応援がひときわ大きいけれども、僕らの高校も随分と声を張り上げている。応援団のバカでかい声は、こんな時に役に立つのだと、初めて理解する。
 あと3分じゃない。去年はここから10分以上試合が続いた。彼らの鬼気迫る形相と、1つ1つの当たりの強さは、僕たちの骨の髄にしっかりと刻まれている。彼らは、文字通り命をかけてくる。いや、命をかけることができる。それが、伝統校の強さであり、とても僕らでは耐えられないレベルでの練習の賜物なのだ。
 去年、僕らはその気迫に飲み込まれ、最後は我を失った。ある意味、最後の最後は完全に自滅をした。
 でも、今年の僕らは違う、そう全員が確信している。みんなが確信していると、一人一人が思っている。
 
 沖村のキックと共に、会場に大きなうねりが起こる。たくさんの声が上がる。
 ボールは高く上がり、左サイドの22mと10mの中間あたりに舞う。双方のFWが大きくジャンプをする。しかし、絶対にペナルティをできないのは僕たちだ。キックの競り合いでの無用なペナルティを犯していけないという思いがあるぶん、捨て身で来る相手の8番に大野のジャンプは立ち遅れる。
 廣川工業が見事にキックオフのボールを確保し、8番が突っ込む。すぐに僕らも彼らを捉え、ラックを形成する。
 廣川工業の集散は一段とギア上がる。いつものことだ。最後の最後に、彼らは、もう1つギアチェンジをすることができる。多くのチームがそこでうっちゃられる。しかし、僕らも、今年は「この場面」をなん度も思ってきた。何度も戦ってきた。ここから、もう一つあげるギアを、僕らも作ってきた。逃げ切ろうなんて思わない。戦うんだ。ここからが本当の勝負なのだと思えている。
 22mラインの手前で作られたラックの右側に、廣川工業の6番が走り込む。わずかにゲインをし、22mの中に入る。そのラックから、今度は1番が大きな体で、でも、地面を這うような低さで突っ込んできて、もう3mほど前に出る。僕らは彼らのシンプルな強さにどうしてもゲインラインの前では止められない。
 ただ、3つ目のラックには、浅岡が少しボールに手をかける。膝がつくかつかないかというところ、もう一息でジャッカルできそうだったが、レフリーから「3番、ダメダメ、それダメ」と声がかかり、慌てて手を引く。ペナルティは絶対にできない。この時間、この場所でペナルティをしないこと、これを、僕らも何度も取り組んできた。ペナルティになるくらいなら、3m失ってもいい。ペナルティは、試合を失う。
 ボールに手をかけた分ラックは停滞する。後ろについた9番は息を整え、ボールが後ろに見えるのを待ちながら、左右を見渡す。沖村は右サイドの浅めに立つ。僕らとしては、沖村のランやパスももちろんだが、ケースによってはドロップゴールもケアをしないといけない。何しろ点差は2点。どんな形であれスコアが入れば逆転される。
 ラインはあまらない。まだバックスが大きく巻き込まれるまでのアタックにはなっていない。僕らのFWは一人しか倒れていない。
 手詰まり感のある9番は、頼るように沖村にパスを出す。ほぼたったままボールを受けた沖村は、すぐに横の13番の留学生に渡す。13番は、ボールを受けると一直線に前に出る。それを清隆がなんとか弾こうとするが、ハンドオフをされながら前進を図られる。突破されては終わるので、そこに大野や星野が絡みついていく。沖村がもがく13番のすぐ横にループで入ってきて、オフロードを狙う。しかし、そこには小道が勘付いていて、ボールが出る前に、13番と沖村の間に入る。それをみた沖村は絡まれながらも前進を図る13番の後ろから、彼ごと吹っ飛ばすかのように体当たりをしてくる。
 予想外の強いあたりに、僕らの3人は後ろに倒されながら、なんとか彼らに手をかける。それでも、7、8mは前進をされ、ゴールラインまであと10mをしっかりと切ったところでサイドラックになる。沖村はラックの中にいる。9番がそのラックにリスのように忍び寄り、さらにその右に、8番が斜めに走り込んでくる。押し込んでいるラックだ。すぐにボールがさばかれ、8番がいいスピードで右斜め前に走っていく。僕らのFWはまだブラインドサイドから走ってくるメンバーばかりだ。FWサイドにいたセンターの森谷が8番に当たるも体格差がある。押し込まれたところで、ようやく一太と岡野が追いつきう8番を止める。しかし、あと5mを超えられる。
 連続してのゲインで、廣川工業のアタックは勢いづく。会場のボルテージは本日の最高潮を迎える。
 5mを切ったポイントは、今度は少し停滞する。流石に、キックオフからの連続攻撃で、廣川工業のサポートも少し遅い。一方で、ゴールラインに迫られた僕らには、背水の陣に立たされて、新しいスイッチが入る。5mを切ると、今度は少し僕らの圧力が強くなる。
 ゴールラインと5mラインの中間あたりにラックができて、そこにごちゃごちゃと人が覆い被さっている。バックラインは、廣川工業は、右に沖村からの3枚、左にも3枚。僕らも、左の1枚目はFWだけれど、人数は揃っている。
 停滞したラックに、レフリーから「ユーズ」の声が大きくかかる。
 9番は、真横にいた3番にボールを預ける。ボールをもらった3番はほとんど前進をせず、前に出てくる僕らのディフェンスにすぐに背を向け、そこに2番と6番がフォローに入り、モールを形成しようとする。その動きに、廣川工業は、FWだけでなく、沖村と13番の留学生も入り、サポートする。その後ろに、ラックから生き返ったFW陣が戻ってくる。
 予想していたことではあるけれど、10フェーズに近いところでのモールの形成に、僕らは後手を踏む。このタイミングでのモールでのアタックは、この瞬間は誰の頭の中にもなかった。そのため、3番への一人目の崩しのタックルやアクションが思うように行かず、しっかりとモールを形成させてしまう。
 がむしゃらに押し返そうとするも、1mくらいだけ押し下げたところで、廣川工業のモールはがっちりと、だけれど小さく小さくコンパクトに形成され、最後尾に2番がつき、彼の腕にボールが収まる。
 2秒ほど止まったモールは、ゆっくりと右前、コーナーフラッグに向かって動き出す。会場からは、悲鳴のような声が双方から上がる。僕らは、ゴールラインに手をつき、そのモールに全力でぶつかっていく。FWだけでなく、小道も、清隆も、笠原も、廣川工業の肉の塊に、低く低く突き刺さっていく。しかし、それぞれが一瞬止まったり、動きが変わったように見えても、完璧に1つの意思を持った生き物のように見えるその肉塊は、ゆっくりとした歩みをやめない。
 最後尾の大野の足が、一太の足がゴールラインにかかる。あと1mと少し。
「うおーーー」
モールの中で誰かが雄叫びを上げる。
 そうだ。本当の勝負はここからだ。ゴールラインは、16人目の仲間だ。そして、最強の仲間だ。ここに足をかけたら、もう僕らはここから後ろへは下がらない。下がれない。なぜならば、ゴールラインが僕ら最後の砦となり、僕らに無限のパワーをくれるからだ。
「山際ーーーーーーーーーーーーー、ここからだーーーーー」
一太が叫ぶ。その声が、僕らの五臓六腑に響き渡り、もう1個、最後に取っておいたエネルギーが発動する。
 モールには、僕も含めて12人が入っている。廣川工業も、バックラインに3人しかいない。沖村もモールの中だ。ゴールラインに足がかかってから、モールは急に停滞する。僕らのふくらはぎと腿の筋肉には新しいエネルギーが供給され、乳酸が駆除される。そして、ゴールラインにかかった足には、白線から無限のエネルギーが供給され続ける。そう、僕らも、何度も何度も、この場面を経験してきた。最後の力、ゴールラインに足がかかってからの力を、その存在を僕らはみんなが知っている。
 モールが止まる。一瞬ボールが隠れる。レフリーはモールを覗き込む。その前で、9番が必死にボールを掻き出す。その前で、モールはなんとか前進しようともがくけれども、先ほど同じパワーではもう前に進めない。僕らは、先ほどまでとは違うパワーの状態になっているのだ。
 完全に動きが止まる。
「ユーズイット」
レフリーから声がかかる。その声を聞き、モールの後ろにいた僕や小道は、反射的にモールから離れ、ラックサイドに手をつき、クラウチングスタートの姿勢をとる。明らかに、モールからのリサイクルのスピードは僕らが速い。
 廣川工業のラインは、ウイングと12番の3人しかいない。無理に回していけば餌食にできそうだ。 
 9番は、めいいっぱい時間を使い、FWをモールから引き剥がし、今度は左サイドに立たせる。僕らは、そこに立つ二人の青いジャージに狙いを定める。
 ゆっくりと、そっと、ボールは廣川工業の3番に渡される。しかし、そこには僕と大野が、待ってましたとばかりに突き刺さる。彼は、モールを形成しようか、前に出ようか、少し迷いがあったのか、中途半端あたり方になり、強烈なダブルタックルに後ろ向きになってしまいながら、なんとかボールを生かそうともがき、長い手を必死に後ろに伸ばしてボールを見せようとする。僕らはそこに前がかりになって突っ込み、廣川工業は、なんとかボールを確保しようとする。ポイントは5mをこえ、ゴールラインから7mくらいのところまで押し返す。
 もみくちゃの中で、ボールはなんとか廣川工業が確保し続ける。僕らとしても、とにかく、「ゴール前でポイントに飛び込んでしまことだけは絶対にしないように」という意識は強かった。まして、今は、1つのペナルティで試合が終わる。どうしても、ポイントに対して、勢いつけて超えていくというようなことがしにくい。(手をつけばペナルティを取られそうだし、ともすればオフサイドも取られがちだ)
 ポイント周りに再度人が集まる。その中で、モールから出てきた沖村は、ようやく右サイドの1番手に立つ。ただし、バックラインは彼の向こうにもう一人しかいない。反対側のサイドにも二人しか立っていない。選択肢は、やはりFW周りで圧力をかけるのが、このタイミングでは唯一の手段のように見えた。
 時間はすでに30分を超えている。時計の針は30分で動かなくなる。すでに33、4分にはなっているはずだ。切れないプレーに、ロスタイムの宣告がまだない。

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