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【小説】あかねいろー第2部ー 13)雨の部室にて

 月曜日は雨だった。
 昨日の冬らしい厳しい寒さとは違い、春を感じさせる生暖かい雨が土のグラウンドに降り注ぎ、その地面の匂いが少し懐かしい。
 練習は休みで、谷杉も何か学校の仕事の関係で不在で、部活としてのミーティングなどもなかった。
「こんな試合じゃやってる意味がない。みんな辞めちまえ」
昨日はそれだけ言い残して、一人で帰ってしまっていた。

 学校の授業にはあまり気乗りがせず、1時間目が終わってからは、授業に出るをやめ、部室に行って、なんとなくスマホをいじってみる。でも、心はどうしても、昨日のことを考えてしまう。
 タウファは、去年対峙して完璧にやられた、1学年上の福田よりも、段違いに圧倒的だった。福田は、速さもセンスも強さもあったけれど、やられることの予測はついた。しかし、タウファについては、彼のやっていることが型破りすぎて、常に「何をしてくるか」ということに怯えながら、考えながら対峙するので、結果として、常に立ち遅れている感があった。
 でも、それは言い訳のような気もする。ただただ、僕らが彼に怯えすぎていて、すべきタックルがきちんとできていないだけなのではないか、谷杉ならきっとそういうだろう。そういう気もする。確かに、じゃあ、誰か彼に芯から刺さっていったかといえば、そういうタックルは1つもない。もちろん、それは、技術的に彼を捉えられていないからなのかも知れない。
 あまりにも、自分と彼の、プレーヤーとしての力量の差がありすぎて、何をどう考えていったらいいのかがわからない。
 自分をもっと彼に近づける、個人として対峙できるようになっていくべきなのか。あるいは、そうではなくて、チームとしてより連携をとって、彼を包み込んでいくようなアプローチを取るべきなのか、そのためにどういうことが必要なのか。あるいは。
 2時間目が終わると、雨で体育の授業が流れて自習になったといって、小道と守村が部室にやってくる。
「やっぱいたよ、吉田。多分いるんじゃないか、って言ってたんだよ」
部室の右奥でスマホ片手に伸びをしている僕は、片手を上げる。
「これみたか?」
小道はスマホの画面を差し出す。地元の新聞のスポーツ欄に昨日の試合の記事が掲載されている。
”桜渓付、昨秋ベスト8に圧勝。留学生が躍動”
短い記事だけれども、1つのページで昨日の試合のことが書かれている。写真はない。1年生のタウファが大活躍で、チーム全体も大きく力をつけており、西地区では今季はNO.1と言っていいだろう、と締めくくられている。
「なんだよな、この記事。腹たつな」
小道はぼやく。
「昨日だってさ、確かにタウファにはやられたけど、他の部分で負けていたわけじゃないだろ。そこだけしっかり対応すれば、次はやり返せるだろ」
確かにそうだ、という気持ちもある。タウファと留学生が絡むところ以外で何かやられたのかと言えば、そういう印象はない。だけど、じゃあ、彼らのいる桜渓大付属に対して、僕らはどういう戦いをすればいいのか。
「でもおまえ、タウファをどうやって止めるよ。俺さ、昨日の前半に正面から吹っ飛ばされたやつ、正直、やばかったよ。あいつが、あ、ボール持ったな、と思ったら、次の瞬間には吹っ飛ばされていた」
「お前はさ、昨日、あいつとほとんど絡んでないからいいけどさ」
少し投げやりにいう。
「お前がそんな弱気でどうすんだよ。吉田と清隆と笠原でアイツをなんとかしなきゃダメだろ」
なんだよその押し付けはと思う。でも、そうなんだ。それはわかってるんだよ。でも、昨日圧倒されて、今日から元気が出てくるほど僕は単純ではない。
「なんとかってさ、どうしたらいいよ。なんかさ、なんも考えられなくて。昨日も、今日も」
スマホを右のテーブルに置き、両手を頭の後ろに組んで少し上体を逸らす。
 部室棟の建物は、竣工されてから50年以上がたつ代物で、雨が強く降ると、ラグビー部の部室の軒先付近は、小さな滝のように水が落ちてくる。風がふけば入り口のドアの脇から、雨もろとも吹き込んでくる。汗と埃とカップラーメンとコンビニの弁当の匂いがこびりついて、知らない人が入ると、最初はその異臭に驚く。しかし、人間の臭覚は異臭には素早く適応する性質があり、2回目以降はほとんど何も感じなくなる。ネットは通っていないけれど、誰かが持ち込んだ27インチのモニターがあり、スマホを繋いで、YouTubeを見たり、ラグビーの試合を見たりすることがある。
 
 特にすることもなく3人で昨日の試合についてあれこれ話をしていると、4時間目の前の休みに、今度は一太が弁当を持ってやってきた。
「何やってんだよお前たち。サボってるのか。谷杉にいうぞ」
茶化し気味に大声をあげて入ってくる。
「そういうお前はどうしたんだよ」
「俺らは自習だ。谷杉が今日は学校休んでるらしくて、生物が自習になった」
「谷杉、学校休んでるの?」
その事実に、4人はそれぞれが頭の中で彼の姿を想像する。
「飲みすぎじゃね、きっと」
小道がいう。みんなが少し笑う。
「アイツが一番悔しがってんじゃね、本当は」
 一太は早速大きな弁当を取り出してテーブルに広げる。
「フォワードはどうだった、昨日」
僕は一太に聞く。タウファにやられたのは見ての通りだけど、点が取れなかったのは、僕らのFWが予定していたような動きができなかったことだって大きな原因のはずだ。
「ラインアウトが死んだ。もう、高橋がメンタル狂ってた。2番にタウファに並ばれて、2番に投げれなくなって、4番に投げれば風でノットになるし、もうどうしていいかわからなくなっていた」
「でもお前、それはわかっていたから、1下とか、ショートラインとか、色々他のサインプレーも随分準備してたじゃないか。何もやってないじゃん昨日」
「だからさ、高橋がその辺テンパっててダメだった」
「しっかり組んだら押せてた?」
「組めば数mから10mくらいは間違いなく押せる。重さは感じなかった。ただ、密集ではアイツらラフだったな、かなり。手がボコボコ出てくる。俺も結構肘とかで殴られた。この辺り、意図的にやってるように思った。レフリーも全然取らなかった。クソだよ、クソレフリー」
まあ、FWに聞くと、いつも大体冷静な意見は返ってこない。ただ、押せるのは間違いなさそうだった。
「バックスはあれ、止められないだろ、外国人」
「んなことないよ」
根拠なく強気に返してみる。
「無理だよ無理。やっぱ、でどころ抑えるしかないよ」
「接点にもっと圧力かける?」
「反則取られてもいい。出されてタウファにもたれるくらいなら、ペナルティでもよくね?」
確かに。
「ハーフにもさ、プレッシャーもそうだけど、オフサイドでもいいから、タウファへのパスコースに一気に被せてしまう感じで出ていく」
一太はウインナーを2本同時にくわえながら捲し立てる。
 一太以外のバックス3人が少しおとなしくなる。ディフェンスのコースをイメージしたり、接点での少しダーティーなプレーなどを頭でイメージしてみる。
「いけるかな、そんな感じで」
守村が恐る恐るいう。
「そりゃ、それだけじゃ無理だけどさ。でも、すぐにできるのはそういうとこじゃね」
一太の言葉はその通りだ。だけど、どこか評論家気取りのそのいい癖が癪に触った。というか、僕の中では、そういう方向性の考え方に納得できない自分がいた。
「でもさ、本質的には、そういうことじゃなくね」
少し言葉強めに切り出してみる。一太と小道は少しびっくりした感じでこちらをみる。
「そういうさ、戦い方の修正みたいなのは、確かに大事かもしれないけれど、昨日負けたのは、そういう問題じゃないと思うんだ」
「新チームが結成されてから、僕らはどこか、”俺らは強いはずだ”と思ってたと思う。だけど、実際には、練習試合では大沢南に歯が立たなければ、その大沢南を圧倒した桜渓大には、案の定完敗してるわけで。要はこれって、俺らは、単に弱いだけじゃないのかと思うんだよ」
「タウファを止められないのは、僕がへなちょこだからだし、チームとしても強いランナーを止めるだけの戦略もスキルもないからだし、そういうランナーがいる相手に対して、それを上回るような攻撃力を持っていないということだろ」
「だからさ、弱い俺らが、へなちょこが、小手先で試合の戦術的なことあれこれ言っていてもしょうがないと思うんだよ」
「根本的に、もっと全員がタックル強くなって、もっとラインアウト上手になって、モールやその周辺のランで圧倒できて、キックでしっかりとテリトリー取れて、ボール持てばしっかりゲインできて。俺らが自信持ってできることって、何もないんじゃないかな。モールだって、去年のチームのように、50mでも押し切ってやるというような力はないじゃん」
一太は弁当を食べながら、小道と守村はスマホを触りながら僕の話を聞いている。僕の話は、正論のようだけれども、中身が何もなかった。自分たちが弱いんだから、もっと頑張ろう、ただそれだけだった。それを、坂道の向こうから勢いつけて話しただけだ。
「なあ一太、今年の俺らの強みってなんだよ?」

 遠くでチャイムの音がする。昼休みに入ると、部室には浅岡と笠原もやってきた。
「なんだよ、なんでこんなにいるんだ」
笠原はドアを開けてびっくりする。
「お前こそ、部室なんかに何の用だよ」
綺麗好きというか、少し潔癖症の笠原は、掃き溜めのような部室には滅多に近づかない。
「浅岡と、昨日の試合について話したいことあって」
「笠原は、FWの練習にもっと参加したい、っていうんだよ」
「FWの練習?お前FWになりたいの?」
小道が目を丸くしていう。
「そういうんじゃねえよ。昨日タウファに吹っ飛ばされてさ、これ、BKがBKとだけ練習していても、いつになっても止められないと思ったんだよ。アイツ止めるには、俺が浅岡が全力で走ってくるのを、ひっくり返せるようにならないとダメだよ。だからさ、FWのやっている練習を、俺らもやるべきだと思うんだよ」
普段は、野人と呼ばれ、ボールを持ったら無人の荒野を走るように、走ることだけを考えていると思われていた(いや、きっとそうに違いない)笠原の言葉に他の5人は眉をしかめる。
「熱か、笠原?」
誰かがいう。
「ちげーよ。悔しくねえのかよお前ら。俺は昨日、悔しくて寝れなかったよ。本気で。タウファに追いつけない、追いついても簡単に吹っ飛ばされる。どうしたらいいのかわかんねえよ、ほんとに」
「でも、今のままの練習じゃダメなことだけわわかる。猿でもそんなのはわかる。だからさ」
そう言って笠原は浅岡の大きなお腹に肩をあてる。
「コイツをひっくり返せばいいんだろ、と思ったんだよ」
肩をぶつけられた浅岡は笠原を背中越しで掴んで持ち上げる。
「おー、お前、いつでもやってやるよ。ぶん回してやる」
「お前、その代わり、お前らもバックスと同じように、走るんだぜ。のそのそと、牛のようにグラウンドを歩いているって言われてんだぜ、お前ら。恥ずかしいだろ。だから、F Wも、バックスと同じくらい走れ」
谷杉のようないいようだ。
「わかった。要はさ、笠原の言いたいことは、俺らのやってる練習、しっかり見直して、もっともっと強くなれるものにしないといけない、ということだよな?」
小道がいう。その言葉に、笠原は少し考える。
「大体、俺らのやってる練習て、基本的には俺らが入部してからほとんど変わっていないよな」
小道の隣の守村がいう。今度は6人全員が部室の真ん中の空気を見る。そこに何かの答えを探してみる。案外とそこにはいろんな答えがあるような気がした。
「まあそうだよ。ほとんど変わってないよ。ランパスして、3対2して、F WとB Kに別れて、F Wはスクラム、ラインアウト、モール、それからラックのオーバーやジャッカルの練習。B Kはライン回しして、相手つけてタッチでやったり、サインプレーを練習したり。両方合わせての練習って結構少ないな。キックオフがたまに、キックチェイスがたまに。まあ、その辺は、グラウンドも狭くてあんまりできないな。。」
「一太のやっている、1年生しごきは今年初の取り組みじゃね」
笠原が少しおどける。
「でもさ、1年、それで結構強くなってるよな。清隆もそうだけど、F Wでも、真野とか本気で体が強くて痛い。仁田なんか口ばっかだったけど、最近は倒れなくなってきている」
「おっほん」
一太が少し胸を張る。
「俺様が鬼軍曹となってしごいてやってるからな」
「そういうのさ、俺らも必要なんじゃね、本当は」

 昼休みもあと少しというところで、今後は高田と星野が入ってくる。狭い部室に男が8人集まる。
「みんなここにいるっていうからさ」
高田はスマホを持ち出して、HDMIのケーブルをとって、コネクターと繋ぐ。
「昨日の試合の動画、クラウドにあげたんだ。さっき。僕が撮ったものだから、正直、ブレブレだし、見にくいけど」
「今から見るの?昼休みもう少しだけど」
「あ、僕たち、次の授業出ないんで」
高田と星野は、パイプ椅子を持ち出してそこに座る。
「なら俺も」
一太がもう一度椅子に座り直す。
「え、まじかよ・・次、数学だぜ、俺ら」
「小道、辞めちまえそんなの」
笠原が谷杉の真似をする。
「俺は、今日は腹痛で早退した」
「アホか」


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