【小説】あかねいろー第2部ー 17)野球部とのトラブル発生!
春休みの練習から、谷杉は外れ、形の上では化学部の顧問であった吉岡先生が、ラグビー部の部長を兼務することになった。3月の最終週の火曜日の練習に挨拶に来られ、「お金のこと、スケジュールのこと、その他困ったことあがれば相談して。でも、それ以外は、自分たちで考えてどんどん進めて」ということだった。
僕たちとしては、すでにこの3月は、実質的にほとんど自分たちで練習を取り仕切って進めていたので、特に新しいことには感じなかったけれども、それでも、大人の目が全くないという事実は、特にリーダークラスのメンバーには、改めて、重たい現実に感じられた。
3月の終わりには、吉岡先生と、一太、小道、僕、そして高田で小さなミーティングが行われた。場所は、引き続き、どういうわけ理科実験室でやることになった。
「今まで通りやってくれればいいのだけど、1つだけお願いしたいことがある」
集まった僕らに吉岡先生が切り出す。
「怪我と事故についての考えだけ、共有しておきたいんだ」
「僕はラグビーについて知っていることはほとんどない。NH Kで母校の早慶戦を11月に見るくらいだ。だから、どういう風にチームを強くしていくかについては、正直ノーアイデアだから。君たちのことを尊重して、任せる」
「ただ、教師として、怪我についてだけはしっかりとケアをしたいと思っている。激しいスポーツだからさ、怪我はつきものだろ。谷杉さんに聞いたら”たとえ痛くても、痛いとは誰も言わない”とか”骨が折れても試合には出る”とか”頭打っても、元々馬鹿だから大丈夫”とか言って笑われていたけれど、僕としては、それはちょっと良くないと思うんだ。必死に頑張る、自分たちのために、周囲のために頑張る、それは最高なんだけど、怪我についてだけは、細心のケアをしてほしい」
「そこで、毎日の練習において、怪我人が発生していないかについてだけは、細かく報告をしてほしい。それは、みんな、LINEでグループ作ってるんだろ、僕との報告のLINE作ってもらって、このメンバーでだけはしっかり共有していこう。一応僕も、昔はトライアスロンの選手だったんだ。多少は、怪我についての知識はあるからさ。そこだけお願いしてもいいか?」
お昼休みの理科実験室がしんとなる。4人でちょっと顔を見合わせる。谷杉からはついぞ聞いたことのない申し出に、ちょっと思考が止まる。でも、答えは決まっている。特に確認するまでもない。
「わかりました!すぐに高田からLINEのグループ作って送りますから、登録お願いします!」
「報告は、毎日練習の後に僕からします」
高田がすぐに答える。
「うん、じゃあそう言うことで」
吉岡先生はすっと席を立つ。
「あ、君たちさ、一応知っておいてほしいんだけど、学校としては、今回のラグビー部の取り組みはとても注目している。もともとこの学校は、生徒の自治意識の強い学校だから、生徒会の運営とかも、ほとんど独立しているだろ。でも、そう言う、古き良き昔の伝統みたいなニュアンスはだいぶ減ってきていてさ。そう言う中で、本当は、専門のコーチのいない部活なんて認められない、っていう意見が大半だったんだけど、谷杉さんが”あいつらは、コーチがなくても、花園に行けます””それがこの学校の良さじゃないですか、北部のラグビーしかできないバカチョン高校とは違うとこですよ”と言って押し切ったんだよ」
「だからさ、先生方もさ、いい意味で注目してるんだよ。僕もさ、できる限りのことするから」
春休みの練習はそう多くはない。そもそも、僕らは、いわゆる強豪校のように、毎日、朝も夜もガンガン練習すると言うスタイルをとってきていない。練習日は普通の週は、ウイークデーは3日で、週末は試合か練習が土日のどちらかにあるけれども、それでも週に4日の稼働日だ。そう言うチームだから、長期休暇の練習も多くはない。春は1週目が3日、しかも午前だけ、4月に入ってからの1週目は、土日を両方やるので5日あるものの、いずれも午前中だけだ。
しかし、春休みになると、冬の間はおとなしかった野球部が、春の陽気に合わせてグラウンドに頻繁に現れてくる。頻繁というか、3月の期末テストが終わるとすぐに春の県大会があるので、ほぼ毎日の練習になる。さらに長期休暇になると、彼らは、毎日8時過ぎにきて、19時くらいまで何やらグラウンドでやっている。僕たちは、意味もなくへとへとになっているように見える彼らを横目に、たまに練習に現れ、ものすごい煩さでのさばり、午前中でさっさと帰っていく。
練習後の帰り支度の時間帯は、なんと言っても最高の時間だ。「帰りにラーメン食べて行かね?」「いや、緑屋で焼きそば食べようよ」「カラオケ行く?」「今日は彼女と遊びに行く日だぜ」などなど。そのガヤ付きが、この後も、日が暮れるまで延々と練習が続く野球部からすれば、極度に鬱陶しいらしい。しかも、彼らは所詮は2回戦を突破できるかどうかで、僕らは県でもトップクラスの力がある。そう言う現実も、彼らには余計、僕らに対してやっかむ気持ちが生まれる温床になっている。
そして、とにかく僕らの学校の校庭は狭い。そもそも、野球部だけで見ても、レフトはしっかり100m近くあるけれど、ライトは定位置くらいまでしかない。そう言う状態を、サッカー部と分け合ってきた。ところが、ここ10年で、その真ん中にラグビー部が割って入ってきた。当初は、グラウンドが狭くて練習できないから無理でしょうと言うのを、谷杉が押しに押して「練習は平日に3回だけ」と言う約束でラグビー部を認めさせたらしい。初めは慎ましやかに練習していたのが、次第に幅をきかせるようになり、野球部のライトからレフトにかけてのスペースに入り込んできて、気づけば70名近い大所帯になってきていて、野球部はラグビー部の練習の際は、ほぼダイヤモンドだけに押し込まれ、サッカー部は、ペナルティエリア付近くらいだけで練習をするようになった。
3月の最後の金曜日の午前中、ラグビー部の1年生のF Wが、野球部のライトエリアでラインアウトの練習をしていたところに、野球部の内野の方からボールが飛んできて、モールを組んでいる1年生の頭に当たってしまった。ちょうど一太に色々詰められていて、その場自体が緊迫していたこともあり、「悪い、悪い」と軽いノリでボールを取りに来た野球部の2年生に、当てられた1年のロックの水上が、そのボールを手に取り、野球部とは90度違う、部室棟の向かいのテニス部のコートの方に大きく投げ込んでしまった。「ふざけんなよ」と言う言葉と共に。
「おい、てめえなにすんだよ」
野球部の2年生、ショートのレギュラーで一太同じクラスの甲斐が水上に詰め寄る。その甲斐に水上は胸をずんと前に出し、185cmの身長で上から見下ろすようになる。
野球部のメンバーが数名、ダイヤモンドから走ってくる。一太が甲斐の横にやってくる。
しかし、それより早く、甲斐は水上の胸ぐらを掴み帽子のつばを相手の頭に押し付ける。
「お前1年だろ。おい、しばくぞ」
右手で胸ぐらを掴み、左手のグローブを地面に叩きつけ、その左手を右手と差し替えたところで、後ろから一太に抱き抱えられる。
「悪い、甲斐、悪い」
後ろから100キロ超に押さえられ、沸騰していた野球部も身動きが取れなくなる。その周りに野球部のメンバーも集まってくる。どうした、なんだ、と言っている。
「水上、お前、すぐにボール取って来い!」
一太に怒鳴られ、水上は甲斐から離れ、のそのそとテニスコートに向かう。
「走れよ、ばか!」
後ろから一太の追い鞭が入る。
いつの間にか、ライトゾーンには、野球部の40名近くと、ラグビー部の70名近くが集まっていた。起こった出来事が伝聞で伝わっていき、その間に少しずつ話が錯綜する。後ろの方では、水上が甲斐に殴られた、みたいな話になっている。
「一太、お前んとこの1年、クソだな」
グローブを拾い上げた甲斐が低い声で言う。
「甲斐さ、ボールをさ、あんなふうにしたのはあいつが悪い。もう絶対に、しっかり謝らせる。それに、今な、俺がアイツら詰めまくってたんで、泣きそうだったんだよ。そこに、だから。そこはほんと悪い。でもさ、そもそもはお前たちのボールが頭に当たったんだぜ、そこはお前らの問題だろ、初めは」
一太はしっかりと甲斐をみる。二人の間に、野球部の部長の勝呂も入ってくる。
「一太、ボール当たったあいつ大丈夫か。硬球だからさ、いくらラグビー部の馬鹿頭でも危ないだろ」
穏やかな口調に、甲斐は面白くなさそうな顔をする。
「大丈だよ。アイツらは、壁にタックルしても平気だから。心配ない」
「悪いな」
勝呂が一太のお尻をポンポンとして去ろうとした時、輪の外の方から爆弾が飛んでくる。
「最近、野球部のボールが入ってくるの多くて、危ないっす」
早春のグラウンドが、一気に真冬のように凍てつく。
それは、そうかもしれない。野球部の練習量が増えているから。だけど、それは、今は言ってはいけない言葉だった。なぜならば、そもそもが、野球部にはラグビー部に対しては、グラウンドを融通してやっていると言う意識がある。さらに、ラグビー部のボールだって、キックやらパスやらがしばしば野球部の練習しているところへ飛んでいく。そこはある程度はおあいこのはずだった。しかし、双方が、その状態について、それぞれの部活のメンバーの中では、相手に対して被害者感情を持っていた。
そもそもがお互いに、相手に譲歩しているという気持ちを抑えていたところに、危うく火がつきそうになっていた。そこを、なんとか押さえたのに、誰かが爆弾を投げ込んでしまった。
「おい、誰だよ、今ったやつ。出てこいや」
甲斐が凄んで見せる。
「そもそも、ラグビー部に、グラウンドを貸してやってるんだぜ、俺たちは。わかってんのかよ」
後ろの方で野球部の誰かが声を上げる。