【小説】あかねいろー第2部ー 71)ラグビーに愛される男
ホイッスルが鳴ると、僕は空を見上げる。雨は相変わらず強い。でも、この雨の感覚は1度目ではない。
今年の夏、沙織と花火に行った時の雨と同じだ。
雨に濡れた体は不思議と温かく、その上に降りつけてくる雨粒は、どこか懐かしい。雨は、僕の心の奥底にある、まだ見たことのない憧憬のような景色を網膜に映し出させる。まだはっきりと見えない。でも、それは確実にある。
清隆が、小道が、岡野が僕に飛び込んでくる。何か口々に行って、僕のことをハグしたり、叩いたりしてくる。そこに一太が、浅岡が大野が集まってくる。まだクラクラする頭をみんなでポカポカ叩いてくる。僕は少し照れる。「お前のおかげだよ!」なんて言われたのは、初めてかもしれない。ラグビーをしてきて。いや、生まれてきてから。
10mラインに並ぶ。桜渓大付属のメンバーは地面にへたり込んでなかなか戻ってこない。レフリーやら、控えのメンバーやらに促されて、ようやく、そろそろと向かう中、タウファは一番にラインに並び、凛とした姿で一人で立っている。降りしきる雨の中、まるで試合などなかったかのように、まるで最後のノックオンなどなかったように、冷たい雨の感覚を楽しむかのように、背筋を伸ばして立ち、インゴールの向こうを見ている。
なんと美しい立ち姿か。
結局、今日は僕が最後に彼のミスを誘ったけれど、プレーヤーのレベルとしても、ラガーマンとしての質としても、彼はレベルが違うんだ。彼はこの先、大学でトップレベルで活躍し、そして日本を代表していくプレーヤーになっていくのだろう。その一歩として、彼は今日の自分のプレー、この敗戦を噛み締めている。受け止めている。悔しいだろう。もしかしたらそこには、自分のミスで負けてしまったことへの自責の念もあるだろう。でも、その全ては、彼という人間、彼というラグビープレーヤーにとっては、愛おしい出来事のように見えた。ラグビーを愛し、ラグビーに愛される男、まさにそんな印象だった。
彼は、集まってくる一人一人に声をかける。何を話しているのだろう。不自由な日本語で。
礼をして、僕らはハーフウエー付近に歩み寄り握手をする。ナイスゲーム、とか、花園行けよ、とか、あれこれ声を掛け合う。そして、汗と涙と雨でずぶ濡れのジャージで肩を抱き合い、握手する。
僕はタウファのもとへ真っ先に駆け寄る。そして、今度は僕から右手を差し出す。
彼は、晴れやかな笑顔で僕の手を握り返す。強く強く。
「ナイスタックルでした」
もう一度彼はいう。その涼しげな笑顔の向こうに、僕は、彼の痛恨を感じる。
「たまたまだよ」
それは本当だ。僕は、意図してやったタックルではない。本能で突き刺さっただけだ。雨でなかったら、こんな強い雨でなければ、あんなタックルを正面から突き刺せることはなかったはずだ。もちろん、彼にもそれはわかっているはずだ。
でも、それがラグビーさ。今日は僕の勝ちだ。
強く握られた右手を、僕も強く握り返す。そして、何日振りかに少し笑う。タウファはそれを見て白い歯を見せてくれる。
ロッカールームに引き上げる。誰かが雄叫びをあげると、それにつられて誰かと誰かがハグをして吠える。緊張の糸、集中の糸、そしてタックルの糸が切れて、心が飛んでいく。
部員80人と吉岡先生が集まる。一太がその輪の中に立つ。全員がその言葉を待つ。
「勝ったよ・・・」
絞り出すように、小さくボソリという。これが、試合に出ていたメンバーの本音だ。トライも取れなかった。タウファのシンビンとか、雨とかがなければ、負けていたかもしれない。最後のディフェンスは、しっかり見れば反則を取られてもしょうがないプレーもたくさんあったように思う。(ただそれは相手も同じだが)もしもペナルティ1つ取られていたら、逆転されていたはずだ。
でも、最後の最後に、偶然が僕らに微笑んだ。あの瞬間、タウファがノックオンする瞬間まで、勝てるとは微塵も思えなかった。ただただ、必死にタックルをした。タックルをし続けた。でも、その本能のプレーは、この1年、そして栂池の合宿で、体に染み付かせてきたことがあるから、その積み重ねが、1つ1つのプレーに出たのかもしれない。
わからない。でも、とにかく勝った。
一太が大きく息を吸う。
「勝ったぞ!!」
今度は、ロッカールームを震わせるくらいの大声で言う。そして、それに合わせて、80人が声にならない雄叫びをあげ、腕を天に向かって突き上げる。