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09/07/2024 「僕は勉強ができない」と思ったらこの本を読んでいた。

僕はいつの日だったか、ふと「勉強ってなんだろう?」って思ったことがある。
高校に進学した頃からなので、「勉強ができない歴」は長く、勉強ができる人からすれば、僕の勉強できない重症度は、相当高い。
余計なお世話だ、誰にも迷惑をかけていないのだ。
勉強ができなくて、何が悪い?
学校では、数学、物理、化学、古文が特にそう感じた。
先生の何が言いたいのか、何がしたいのかがさっぱりわからない。
素朴な疑問だ、こういった勉強が、毎日の生活や仕事で使われるのか?
考えて見れると、理由はいくつかある。

例えば、こうだ。
「100円で仕入れ、150円でお客に売る、150円から100円を引いた50円が儲けだ。この150円の商品を何人のお客に売るか?が商売と思う。
工夫次第で、実に多くのことを学べる。
これが勉強だ。
そう、僕らの生活は「小学校で学習した」ことで支配されている。
国語の読み書きもそう。
丁寧な字で、丁寧な日本語を使うことで、相手に喜ばれ、信用を得る。
社会科の地理では、県民性を知ることで、何が売れ、何が喜ばれるか?が明確になる。歴史の授業では、江戸時代がどんな時代なのか?をわかっていないと時代劇の面白さがわからない。
道徳の時間も、生きていく上で貴重だ。一番重要な学習科目かもしれない。
 
こういうことを言いだすと、どうも、勉強が出来ない負け組的言い訳のような、そんな後ろめたさが残念ながら、残る。
それはなぜか?
勉強ができないからだ。
結局、ブーメランになって、自分に跳ね返り、グサっと喉に突き刺さる。
学校の定期試験だろうが、予備校の模試だろうが、結果が悪かったら、気分は良くない。いや、胸糞が悪い。
 
「だったら、やれよ!
「何を?」
「勉強だよ!」の繰り返し。

一体、どこまでブーメランごっこが好きなんだよ、って話になる。
 
勉強して、良い点取って、希望する学校行って…というレールに乗ってやろうじゃないか!って。気持ちはわからないでもないし、十分ある。
でも、どこか面白くないというか、モヤモヤしたものが心に残るのはなぜだ?
「人と違った何か?」をしてみたい。
大いにある。
でも、それって、結構周りから非難を浴びることも承知でないと、そんなこと出来ないし、変人呼ばわりされるのも平気でないといけない。
 
やったろうぜ!と思うが、少し停滞気味な自分がいる。
一歩踏み出したいけど、踏み出せない。
そんな時、そんな自分を感じたら、この本いいかも。
 
「ドロップアウトのえらい人」
By 森永博志

写真は学生時代のワタシ(in Boston)




 
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