生後から人生を振り返る①
時刻はまもなく11時。
午後3時のような陽だまりに背中を押されながら、私は会社へ向かっています。
思えば、この数十年は本当に波瀾万丈だったなぁと感じます。
私は関東地方の山奥に生まれました。父方の弟は背中に龍を背負い、半グレの家系から派生した子煩悩な父親と真面目な母親のもとで育ちました。生後3年が経ったころ、家族で都心寄りの田舎へ引っ越しました。
そんな幼少期は私が幼稚舎の高学年になるころ、両親の間に金銭絡みのいざこざが起きます。
父親は周囲と馴染める人当たりの良いタイプで、手先も器用でしたが、生きる上で大事な計画性には欠けていました。振り返ると、今の私の遺伝子は確かにそこから来ていると思います。
両親の言い合いは日に日にエスカレートしていきました。父親は自分の思い通りにならない時に、
ちゃぶ台をひっくり返し母親に大声で叱責するなど問題行動が多発しており、幼少期の私には耐え難い精神的苦痛でした。
この頃から、私は日常生活では不注意からの怪我が増え感情のコントロールがうまくいかなくなっていきました。
怪我の程度も盛大で、手のひらの4分の1が皮が剥けるほどの盛大なスライディング転倒を繰り返し、しまいにはジャングルジムの頂上から落ち顔面を打つ。送迎バスを待つ間、忍者のように縁石を駆け抜けては転び、持久走大会では赤白帽子が視界を塞いで転び、最終的には後続の園児に背中を踏まれることもありました。
(今では笑い話になりました)
意思に反して物事がうまくいかなかったり、家庭環境の欠陥に劣等感を抱いたり、両親からの金銭的援助が思うようにならず好きなことを継続できない自分に苛立ったりすることが増えました。「なぜ報われないんだ」という負の感情が、折に触れて湧き上がってくるようになったのもこの時期です。
小学校入学式を控えた春先の暖かい午後、
アパートのベランダから私たちを見下ろす父親の表情が今でも忘れられません。
私は思い出の詰まった車の後部座席から、いつまでもその姿を見つめていました。
母はまっすぐ進行方向を見つめてハンドルを握り、幼かった姉は隣で泣いている。
状況を掴めない私だけがあっけらかんと、
笑っている。
それは、新しい人生の始まりでした。