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風と緑とその中で
2020年7月。
今年は特に時の流れが早く感じる。立ち止まっている時間が多いはずなのに何故だろう。
未だに新型コロナ感染拡大は止まることなく、まちのイベントの多くは中止が相次ぐ。
小金井では夏の一大イベントである小金井阿波踊りや日本歯科大学グラウンドで打ち上げ花火が上がるヒガコ・サマーフェスティバルなどが残念ながら中止となった。
外では皆一様にマスクをしていて、表情はマスクの上から覗く疑心暗鬼な目からでしか窺い知ることは出来ない。
人と会えないことが不思議なくらい今では普通に思えてしまうほどだけど、物理的な距離だけではなく心の距離も離れていくことになるようでは寂し過ぎる。
こんなことで様々なコミュニティが衰退していくことに繋がらないといいなと考えてしまう。
でも人は時として割と都合の良い生き物だから、人と頻繁に会っているとそれはそれで煩わしさを感じることもあるし、その一方でしばらく会えないとなるとやっぱり会いたい気持ちを募らせている。
オンラインの環境にも慣れてきて、顔を合わせないコミュニケーションも普通になっている。
でもそれって別に今に始まったことではなく、これまでも言ってみれば手紙もそうだし、電話だってそうだし、メールやSNSによるコミュニケーションのあり方は、直接対面することとは違った手段として存在してきたはず。
つまり手段は何であれ、そこに乗る言葉に人の意思や何か想いを感じることが出来れば、それは心が通うことにもなるだろうし、慣れてしまえばどうって事ない話なのかもしれない。
それでも。
その目に映るもの、音や匂い、味や手に触れる感触など、自分の持つ五感全体で感じ取ることは出来ない。
そこにどうしてもある種の少しの虚しさみたいなものが、空間を漂う飛沫のように、目には見えないものかもしれないけど存在している。
虚しさを殊更に強調する必要もないけど…
何か気持ちの物足りなさを感じてしまう。
人とのコミュニケーションを通じて感じることとして大切なことを考えてみる。
それは、人は誰かに必要とされることで生きる意味を感じることがある、ということ。
何も認められず、誰にも必要とされていないと感じてしまうと、そんな事ないはずなのに自分の存在価値がないなどと勘違いしてしまうこともある。
そう考えた時、インターネットやSNSの世界にあるたくさんの「いいね」だけではなくて、このありふれた日常の中でさえ、五感を通じて得られるリアルな体験として、何かをすることで人に必要とされたり感謝されたりといった喜びを感じられることがやっぱり必要なのだろう。
今、心が落ち着かないことが多く繰り返される日々の中では、ふと大切な何かが突然失われることもある。
それが運命と言えば簡単かもしれないけど、理解し難い現実が当たり前のように溢れている。
それでもこの世界は、誰かの想いを置き去りにしたまま回り続けていて、朝が来れば太陽は上り、夜になればまた西の空へと沈んでいく。
今夜眠ればまた変わらない明日がやってくる。
誰もがそう信じている。
自分にとっての世界は当然自分が中心でもあるし、どこかで誰かが泣いていても、僕たちはそれに気付くことなく、いや気付いていたとしても時に聞こえないフリをしている。
悲しい現実に直面したとしてもやがて記憶は薄れていき、すぐにまたいつもの忙しい日常の中に埋没していってしまう。
そして僕らは多分いつも何かを恐れている。
それは、他人であり自分自身。
それは、変わらないことと変わっていくこと。
何かを手にして何かを失っていくということ。
時間はただ何もしなくても過ぎていく。
この世界に一体何が出来るだろう。
報われない事の方が多いかもしれない。
それでも。それでもいい。
たった一度きりの自分だけの人生。
限りあるからこそ、大切な、貴重な時間。
自分の想いを抱えて生きて生きて生き抜いて命を全うしたい。
不安に感じるこの頃だからこそ、そんな想いを強く感じずにはいられない。
心に付けられた爪痕が消えることはなくても、その痛みを抱えたまま生きていくことだって出来る。
そして
人
ひと
ヒト
人が好き。それは変わることがないだろう。
想いを重ね合うように、大切に残された日々を過ごしていきたい。
今日もまた変わらないこの世界に
風は吹き、緑は揺れる。
今夜もまた取り留めない僕の心模様…