「笑う5拍子」を聴きながら
sound cloudの野村良平さんのギターがとても好き。
暗くも明るくもない静かで穏やかな感情にしてくれる。
過去に某所に投稿したものの、たぶん掲載されていない文章が残っていたので、ここで公開します。
大好きで傍にいてくれたはずの音楽が、無責任な聞こえのいい音楽に思えてしまったときがある。あわせる顔がなかった。
何も聞けない時に最後まで傍にいてくれたのはYellow Studsだった。
諦めなければ夢が叶う、なんて保証はない。弱くても大丈夫、なんて思えなかった。頑張ったね、なんていくら言われても頑張ったと思えたことがなかった。優しさに傷つけられるほど、私は弱かった。
高校生の頃から音楽が好きで近くのライブハウスに通っていた。そこで初めてYellow Studsに出会った。全く知らない曲なのに奏でられた綺麗な音に強く惹かれたことを今でも強く覚えている。そのままアルバムを買ってなんとなくで聴き込んだ。
それから少し経ったある日、きっかけは曖昧で、その日々をどんな風に過ごしていたかも曖昧。きっと積み重なっていったものだと思う。ただ自分の存在が罪だと思った。気づいたら動けないでいた。
毎日眠れない。訳もわからず涙が出る。思い詰めて息ができなくなる。吐いて吐いて。なのに死ねない。
惨めで生きているのがつらくて仕方なかった。そんな時、最後まで響いたのはYellow Studsだった。
家にもいられない教室にも行けない、駅のトイレの個室か保健室で虚ろな目をするだけ。毎日訳もわからず涙が出た。
母から離れ10年ぶりに一緒に暮らした父にも、こんな惨めな子が何も言えばいいのかわからない。優しいばあちゃんは微笑んでくれる。
与えられた部屋でYellow Studsを聴いた。
「俺の声は届いたかい?あとどれだけ息をする?/懺悔」
「12345678 下から上に落ちるんだ/8」
何度も落ちる姿を想像した。今日が何日なのか、いったい何時間動けないでいるのかわからない日々の中でずっとYellow Studsを聴いていた。
遺書を書いた。宛名は書けなかった。虚しくてまた泣いた。そのまま死のうと思った。失敗して、また泣いた。今度はわんわん泣いた。とても滑稽だった。
それでも生きていれば時は過ぎ、たくさんの人の支えがあって私は高校を卒業した。
当時の先生のご厚意で大学にも進学できた。
新しいスタートラインだと思った。もう立ち止まれないと思った。
そして私はYellow Studsを聴かなくなった。
いつあの時みたいになってしまうのかわからなくて怖かった。辛い時側にいてくれた曲は、いつしか辛い思い出と共に心の奥にしまわれた。
そこからただ我武者羅に過ごし、あっという間に7年が経った。
相変わらず何をしようと頑張ったとは思えないでいた。そして昔ほどではなくても死にたかった。時々イヤホンから流れるYellow Studsに胸を締め付けられながらも、なかなかライブまで足を運べなかった。しんどい時に頼りにしながら蔑ろにしてしまった後ろめたさもあったが、何よりまだ怖かった。
偶然の巡り合わせ。7年ぶりにYellow Studsのライブにいった。
「door」リリース時のインストアライブだった。
たまたまその時期SNSであげられていた演奏動画に泣けてしまい、どうしても生で聴きたくなった。久しぶりのライブは、衝動のまま不思議とすんなり行けた。ドキドキが止まらなかった。居場所はあるのか不安もあった。明るい店舗の中で息を殺すように待っていた。
車のトラブルもありながら、無事大阪に来てくれたメンバーの姿を見た時、いろんな思いが溢れ出した。
久しぶりにみるYellow Studsは相変わらずかっこよくて、美しかった。
「ほらまた絡まった 進もうとして絡まった 大丈夫ほどくから また歩けますように/フィルム」
「ここで全て終わらせよう だけどいじけた最期じゃ辛い 時に笑ったり 時に歌ったり そして愛された時もあったんに/夜空に願いを」
明るい照明の中で私は泣いた。堪えきれなかった。生きてりゃいいことあるなんてYellow Studsは歌わない。
生きろとだけ歌う。とりあえず生きろと。なんの保証がなくても。
言葉だけの慰めなんてしない。それが堪らなく優しい。
「答え合わせは死ぬ前にすればいいんじゃねぇか ?今は走れよ/ジャンク品」
私は今もう一度yellow studsの音楽と、強い死にたい気持ちを抱えて生きる。