インドアは外出から逃げる生き物
今学期、長岡ゼミではzoom under the skyプロジェクト(以下uts_pj)として、自室の外を始め、街中の様々な施設や公園などでzoom対話をする実験を行っていました。これは、アフターコロナの時代に外でのzoom接続が当たり前になるだろうことを見越しての企画です。
また、zoomをやる環境として、外が家より劣っている中で、どれだけ外で家に近しい集中力を出せるか。これがuts_pjの目的の2つ目でした。
「外出×zoom」が当たり前になった環境で、集中力を維持するために必要なものは何か。このプロジェクトではそれを探りました。
ちなみに時刻は現時点で8:10。このnoteの提出期限は10:00で、まだ朝ごはんも食べていません。書いたnoteの草案は少なくとも6つに上り、今はその全てを破棄して全く新しい文章を書いています。
草案の6つのうち、2つに関してゼミ生から意見を貰う機会がありました。皆が学校の課題に追われる中、ゼミやサブゼミ内で時間を頂けたのは非常にありがたかったです。私の1つ目は、tips紹介をするnoteでした。たまに、こういうnoteもありますよね。ただ、知識を伝達するものです。行き詰った結果の文章でしたので、自分でも感じていた「メッセージがない」というアドバイスを頂きました。その中で、何が言いたいのか考えているうちに、「家が好き」「外出は特別感がいい」などが私の本音として滑り落ちました。そこであるゼミ生に「私は特別感が必要だとは思わない、なんでそう思うのかもっと考えたら?」とFBをもらいます。
そして、そのあとに私は「なぜ外出に特別感は必要か」という事を語った文章を作成しました。これが2つ目の文章です。タイトルは、「zoom under the skyはたまにやるからいい」。しかし、これもメッセージが上手く纏まりませんでした。当初の予定では、「やっぱ家でしょ」というメッセージを書こうとしていましたが、自分の中ですらそのメッセージに違和感を覚えました。同じゼミ生から「外出に特別感は本当にいるのかな?」と言われます。私は自分なりに理由を説明しているうちに、ひどくこじ付けがましいことに気が付きます。「刺激がもらえるから(外でzoomに刺激は必要なのか)」「非日常感が気持ちを盛り上げるから(気持ちの盛り上がりは、zoomでしてること自体に感じるものでは)」思えば全部、突込みどころ満載の論理でした。
何度かいても何度かいても、しっくりこなかったnote。その原因が、uts_pjへの自分の態度にあるのは明白でした。‟「外出×zoom」が当たり前になった環境”で、‟集中力を維持するために必要なものは何か”。私は少なくとも、2つ目に関しては試行錯誤を繰り返していました。大型のモバイルバッテリーを買ったり、PCテーブルを買ったり、イヤホンを買ったり。そのたびに、それを持ち出して実験し、その試行錯誤自体は非常に楽しんでいました。しかし、これには前提として「外出×zoom」を当たり前にすることが必要だった。けど、私はまず、「外出」を当たり前にしようとしていませんでした。
2つ目の文章はまさに、外出を日常化できない私が、必死にそれを正当化しようともがいた上の文章でした。プロジェクト中、私はuts_pjは本当に必要なのか、そんな事を正直ずっと思っていました。少なくとも、日常化はいらないと。しかし、Twitterでそのような旨を呟いたときに、教授から「今の社会変化をどう認識していますか」というFBが来ました。その時に、私は、自分が社会の流れに乗り切れず、そして乗ろうとする努力が嫌で、逃げ続けようとしていた事を自覚しました。
私に必要だったのは、集中力を上げる試行錯誤以前に、「外出に慣れる」「外出を日常化する」ことでした。
試行錯誤をしているうちに、自分は上手くできていると勘違いし、一番根幹の、「インドアな自分を変える」ことから、目をそらし続けていました。
ここで社会の流れを無視するか、それとも流れに乗り、前に進むか。私が憧れるのは、圧倒的に前に進む自分の姿です。逃げまくっていた自分に気付けたのが収穫。あとは、そんな自分を時には慰めながら、努力を続けていきます。