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The secret of my health

私は以前、普段何気なく過ごしている中で、健康について考える事が少なかったように思う。
今現在たまっている課題だったり、明日のバイトの事だったり、長期休みで予定している旅行だったり・・そういう考えが頭を占めていて、”健康”というキーワードが入る余地は正直無かった。

今は世界的に大きく状況が変わっていて、それと同じくらい、私が日々思考することも大きく変化した。特に自分自身の”健康”について考える時が非常に多くなり、加えて生や死について考える機会も増えた。

一番、自分の中でショックを受けたのは、コメディアンである志村けんさんが亡くなったというニュースを聞いた時だ。幼少期から、いつもテレビで見ていて、会ったこともないのに近所のおじいちゃん位に思っていたのかも知れない。芸能人の死で涙が出たのは、志村けんさんが初めてで、その点で私にとっては大きいショックだった。けれどそれ以上に、あれほどまでに人に愛されていた人が、家族に看取られることも出来ず、一人病室で息を引き取ったという事実が本当に辛く、悲しかった。

コロナに掛かり、重症化したら、大切な人にお別れを言うことも出来ずに、一人、苦しんで、死んでしまう。それが本人にとっても、家族にとってもどれだけ悲しい事か、想像に難くない。

私はその時、初めてコロナの恐ろしさを心から痛感した。そして、自分がならない様に、両親に移さないように、出来ることは全てしようと思った。

しかし、そうやってずっと気の張った在宅生活をしていると、体や心に支障を来してくる。情緒不安定になったり、人と話したくなくなったり、何をする気もなくなったり、夜寝れなくなったり…。これらは、私が実際に経験したことだ。



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しかし今は結構快調に”ステイホーム”を楽しめている。一つ、私の恵まれている点としては、自分の状況を振り返り、それを話す機会が週に少なくとも一回、長岡ゼミという場で行えた事だ。眠れず、やる気も起きず、一日中布団の上でダラダラとスマホを見て過ごす…そのような状況に陥ってしまい、自己嫌悪やらで気分が落ち込み…その嫌悪感を忘れる為にまたスマホを見て、そして眠れなくなって…そんな負のサイクルを止める事は一人ではなかなか難しい。

長岡ゼミでは、健康目標を立てて、週に一度皆の前でその進行状況を伝る機会が設けられている。それ以前にも、ゼミ内では最初チェックインといって近況などを話す機会があり、同じような役割を果たしていたように思う。自分の現状を振り返られるだけでなく、ほかの人の現状を聞くことも出来て、それに対するフィードバックを得られる場所。

今、そういう場所は今すごく必要とされてて、だからこそ探せば色々な団体がその機会を与えてくれる。

既にネット上でも沢山のイベントが行われているし、少人数のワークショップでは、自分の意見を話す機会もあったりする。
長岡ゼミでも週五日ほど、長岡先生主体でRAN CAFEという名前の”ふらっと立ち寄って話せるサイバー空間”を提供している。
理由がないと人に会い辛い今だからこそ、オンラインで”立ち話”をするのもいいんじゃないだろうか。たとえ深い話はせずとも、人と話すのってやっぱり楽しいから。

私の性格もあるかも知れないが、一人で悶々としていると、本当に辛い。自分だけがこういう状況なんじゃないか、自分がダメなだけじゃないのか…そう思い込むと、より心は疲弊する。同じような悩みを抱えている同志は沢山いるんだよって事を知って私はすごく安心できた。そしてそういう仲間間で「じゃあどうしようか」と考えて実践し、私は今、ステイホームを楽しむ余裕があるし、寧ろステイホームだからこそ生まれる余暇を積極的に楽しんでいる。心も体も、コロナ以前より正直健康だ。

コロナ以前には、一週間に一回くらいは、友人とどこかへ出かける機会があった。友達に会うと、皆もそうだと思うが、まず会ってから基本的に口は動き続ける。例外として、映画鑑賞があるが、映画を見ると口以外の目と脳が激しく疲れるだろう。そしてそれを休める暇もなく、またお喋りが始まり、それは相手と電車で別れる時まで続く。家に帰った後の疲労感は、学校に行くときの比にならない。

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しかしだからといって、学校に通うのも疲れないわけではない。学校近くに住んでない人なら、きっと共感してくれると思うが一時限の授業は本当に疲れる。私が使う京浜東北線の南浦和駅には、平日の朝には当駅始発がある。これがなかったら私はきっと学校に行かなくなってただろう・・・。しかし、だから簡単に座れるわけじゃない。

電車の乗り口それぞれに四列で皆が規則正しく並び、扉があいた瞬間になだれ込む。もちろんギリギリで並んでも座れない。10分前にはホームにいないと、40分間押しつぶされることになる。
列に並び暇を持て余す事数分。駅に電車が到着し、その扉が開く瞬間、私の胸は短距離を走り終わった時並みに大きく高鳴り、その後、小学校のお楽しみ会並みの白熱した椅子取り合戦に興じるのだ。大人たちが。

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少し大げさに書いていると思われるかもしれないが、これが本当に正直な心境で、皆に私の疲れが少しでも伝わっていれば嬉しい。今、思い出して少し疲れてきてるくらいには疲れる。

しかしそれなら疲れなくなって良いじゃないか、寧ろ喜ばしい事じゃないか。正直なところ、コロナで外に出れなくなって最初の頃はそう思っていた。でも、疲れない事で気分は上がるかと思えば、全くそうじゃなかった。むしろ、家で無為な時間を過ごせば過ごすほど気分は落ち込み、何をする気もなくなっていく。OFFの時間も勿論大切だ。けどずっとOFFにしていると機械と同じように、人も錆び付くものらしい。ずっと使われなかった機械の調子がどこか悪くなるように人間にとっても定期的にスイッチをONにすることは必要な事なんだ、というのを今の状況になって初めて学んだ。

因みに、今この文章を書いている時は、自分の中でONの状態に当たる。正直文章を書くのは疲れるし、取り組もうとすると腰が重いが、でも書き始めると止まらなくなるんだよなあ。質のいいONを行えると、たとえ疲れても、OFFの時以上に心はHAPPYになる。これが精神の健康と大きく結びついてるのだろう。

身体面の健康については、これは私の場合だが、定期的に人と話す・メリハリをしっかりつける、などで精神面が安定すると、それまで気にしてなかったこと(特に徐々にしかし確実に増え始めた体重とか、たるみ始めた太腿とか)が気になり始め、体を動かしたくなり、結果として今は両方の健康が得られている。

正直、まさか自分が家でダンスし始めるとは思わなかったし、定期を買わないとも思わなかった。オンライン授業、オンラインゼミ、オンライン説明会…すべての事が、三か月前とは比べ物にならないほど変化している。

でもどうだろう。案外うまくやれていると思う。そして、もしもコロナの猛威が収まる時が来て、社会が戻ろうとしても、私は断じて戻らない、戻りたくない。(インドアとかは関係なしに!)
この環境下で得た学びを大切にして、前を向いて自分なりにまっすぐ生きていきたい。変化を楽しみながら、自ら変わっていきながら。

今の私は、本当に健康的だ。

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(最後に趣味の写真を。ステイホームを健康的に楽しんでる証拠です)


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みかん
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