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旅することと暮らすことと生きること

大学3年生の夏、初めて一人旅に出かけた。
行き先はシンガポール。
海外経験ほぼゼロで心配性の母親には友達と旅行に行くと伝えた。
警察官で娘の安全には人一倍口うるさい父親には外務省のHPシンガポールの治安情報を引用して治安がいい国であることをアピールしたうえで安全に留意して出かけるといって許しを得た。

二十歳も終わりに近づいていた。     私は焦っていた。
何も成し遂げないまま、何も挑戦しないまま大学生活が終わりに近づいていた。サークルに2つ入っていたし、それなりに活動していた。カンボジアにスタディーツアーに出かけてみたり、勉強会に参加したりもしていた。バイトも掛け持ちしながらいくつもやったし、一人暮らしもはじめた。それでもまだまだ足りなかった。挑戦的ななにかが必要だった。
看護実習がはじまる前の夏休み、意を決した挑戦だった。

航空券も宿泊先も自分で手配して、バイトをいくつも掛け持ちしてお金を貯めた。

親に嘘をついてまで実行に踏み切った大冒険。
直行便には手が届かなかった。ベトナムの空港で一夜を明かした。
ただでさえ小さくて人気の少ないハノイの空港。飛行機が到着したころには免税店もシャッターを下ろし、明かりも少なく閑散としていた。薄明かりの空港は孤独と不安を助長した。
どこで休んだらいいのか分からず、心細さを全面に醸し出し、空港をさまよっていた小娘の私に60代くらいの男性が声をかけてきた。


「どこから来たの?」
「茨城から来ました。」
「僕も茨城に住んでるんだよ!どこに行くの?」
「シンガポールです。」
「シンガポールなら妻と行ったことがあるよ。パソコンに写真が入っていたはずだから見せてあげるね。」

優しいおじさんとの出会いだった。    ああ、この一人旅うまくいくな。
そんな予感がした。

一通り写真を見せてもらい、シンガポールの魅力とハノイの空港での一夜の明かし方を教えてもらい、彼と別れた。

彼が教えてくれた場所に向かうと、旅慣れした風貌の同世代の若者たちがベンチに横になり休んでいた。

私はよくわからない劣等感を感じてその場を立ち去った。

みんな不安と緊張を押し殺すために虚勢を張ってる。自分が旅を繰り返すようになって分かった。薄汚れたバックパック、いくつもスタンプが押されたパスポート、ボロボロになったガイドブック。そんなものを武器のようにちらつかせて、ひっそり心の中で不安や緊張と向き合い旅の成功を祈っている。でも慣れてくるとだんだん武器の使い方がうまくなってきて、バックパックを枕にして、いい具合に人気の少ない広めのベンチを見つけて体を休めることができるようになってくる。

旅初心者の私は緊張と興奮で眠れないまま朝を迎え、シンガポールに向けて再び飛行機に乗った。


英語が通じる。
様々な文化を体験できる。
治安がいい。
コンパクトで移動がしやすい。

そんな理由で初めての一人旅の行き先に選んだシンガポール。
その選択は正解だった。

5年が経った今でもあのときの景色を鮮明に思い出すことができる。
色鮮やかなモスクや寺院
サリーやヒジャブを身に着けた女性たち
高層ビル群とその中に突然現れる近代的な植物園
川沿いで音楽とともにお酒を片手に語らう若者たち
お線香やスパイスの刺激的な香り
すべてにときめきが止まらなかった。
そしてなにより、自分が一人で海外を旅している満足感で満たされていた。

ドミトリーではチリから来ていた臨床心理士の女性とベトナムから来ていた小児科医の女性と出会った。不思議な縁で彼女たちと同じ部屋になった看護師の卵の私。シンガポールに来たことは正解だったと確信した。

帰りの便も、宿泊先も事前に手配していたし、旅行保険にもきちんと入った。
行き先はシンガポール1ヶ国だけ、たったの4泊6日の海外旅行。
大学生にしては大した挑戦ではなかったけれど、私にとっては大満足の大冒険になった。実際にはシンガポール滞在中に急遽日帰りでマレーシアの世界遺産の町に行くことを思いついてツアーに飛び入り参加したので2ヶ国になった。

きっとうまくいかなかったこともあった。 きっと寂しいと思ったこともあった。
でもそんなことは覚えていない。
それだから旅はいい。
いいところだけ、いい出来事だけ記憶に焼き付けて、きれいな色を塗って取っておける。

それに、孤独も失敗もすべて旅のせいにできるからいい。
人間はだれでも常に孤独だってだれかが言ってた。
日常を暮らしてたって、一人で旅をしてたって、だれといたってなにをしてたって孤独は孤独。だけど孤独といつも付き合っていくのは大変だから、ときどきそんな孤独な日常から離れたいと思うときがある。
それにひとが成長を続ける限り、ひとは常に失敗を繰り返すし、自分の未熟さと付き合っていかなければいけない。自分の失敗も未熟さも知っているけれど、ときどきそんなものから目を背けたいと思うときがある。
そんなときに旅は効く。
一人で旅をしていると、孤独と感じることもあるし、失敗することもあるし、自分の未熟さを突きつけられることもある。でもそれをすべて旅のせいにできる。
旅だから、これも旅の醍醐味。そんなこと言っちゃってさらっと受け入れられる。
孤独も失敗も未熟さもすべて受け入れられる強い人間になれた気がして、日常に戻る。
その効き目が切れたころ、また私は旅に出る。

旅は非日常的な空間で、価値のありげな経験を与えてくれる。
旅にでなかったらこんな景色は見られなかった。
旅にでなかったらこんな出会いは経験できなかった。
旅のおかげでグレードアップできたような気にさせてくれる。
その経験が本当に価値があるものかはだれにも測ることはできないし、だれのものとも比べることはできない。完全に自己満足の世界。
それでも経験はひとを強くする。次に進もうとしたとき、背中を押す力になる。

シンガポールのあと、タイのチェンマイ、台湾、フランス、モロッコ、東欧4か国に一人で出かけた。そして今はアフリカのザンビアで暮らしている。ザンビアに来れたのは、健康な体と理解のある家族や恋人や友だちのおかげだけれど、旅をする事で得られた強さのようなものが決断を後押ししたような気がする。

友だちと旅をするのも悪くない。
だれかとだからできることもたくさんあるし、特別な思い出は友情を強くする気がする。でも友だちとの旅は私にとって日常の延長。孤独やら失敗やら未熟さやら、そんなこと離れるもなにも考える時間を与えない。そんな楽しい一時のイベントごと。楽しいけれど、ちょっと物足りなさを感じる。

一人で旅をしていると、ふと人恋しさに襲われることがある。
おいしいものを食べたとき、美しい景色を見たとき、はじめての香りを感じたとき、大切なだれかと共有したいと心の底から思う。
でもそんな思いをぐっと噛みしめながら眺めた景色、食べた味、嗅いだ香りはずっとずっと記憶に残る。

日本をひとり離れ、ザンビアで暮らして4か月。
猛烈に旅がしたい時期がやってきた。
ここでの生活が“暮らし”に変わっているんだなと実感する。
旅行でザンビアに来ていたら、いいところばかりに目を向けて、きれいな色をつけて、記憶にそっとしまっていたかもしれない。
暮らしているとそうはいかない。いやなできごと、面倒なこともたくさんある。
孤独とも失敗とも自分の未熟さとも付き合いが続く。
ここでの生活は旅とは違うんだ、そう気づかされることがある。旅の効き目を知ってから、逃げることが得意になった。人付き合いも日常の出来事も。波長の違和感を察知したらそっと身を引いてきた。うまくいかないことは上手に言い訳をして顔を背けてきた。そして逃げることにも疲れたら、リセットボタンを押すように旅にでかけた。

ザンビアでも何度も逃げたくなることがあった。それなのに逃げる手段が手元になくて、逃げようにも逃げられなくて自分らしさを失いそうで怖くなった。自分以外のなにかで揺れることも悩むことも避け続けてきたから、どうしたらいいか分からず溺れそうだった。でももがき続けて4ヶ月が経ったころ、流れに身を任せてぷかぷかと浮遊することができるようになってきた。

ひとの人生、大海原を小さなボートに乗って浮遊しているようなものだなと思う。風に舞う葉っぱのようだなとも思う。自分の人生なんだから、自分でコントロールできるものだと思っていたし、そうであるべきだと思ってた。でも実際には波の加減で進む方向が変わったり、風向き次第でふわっと飛んだりひらひら地面に落ちていったり。だから乗る船を選ぶことはできても、葉をつける木を選ぶことはできても、そこから先は流れに身を任せていくしかないのかもしれない。

いまの私にとって、旅への欲望はいままでとは少し違っている気がする。次にでかける旅は、自分のなかの逃避の負債をリセットするための旅ではなくなっている気がする。

旅はいい。
でもずっと旅にでているわけにもいかない。
混沌とした日常があってこそ、旅の良さが活きるきがする。

ザンビアに来る前、仕事をやめてから暇つぶしのようにでかけた東欧4か国周遊は少し退屈だった。
訪れた国も町もどれも最高で、旅のなかで撮った写真を何度も見返してしまう。
でも、学生時代に忙しい授業の合間を縫って必死にバイトをしていたころや看護師として身を削って働いていたころに混沌とし日常から逃げるようにして出かけた旅のほうがずっと満足感は高かったような気がする。

自分でもあきれてしまうほど欲はつきないから、常にないものねだりをして生きている。
忙しいときには、暇を求め、暇なときには、忙しさを求める。
暇を暇ではつぶせない。
足りないものを補うことでひとは満足感を感じるらしい。

2年の任期中に出かける旅は、どんな風に私の記憶に残るだろうか。
2年後、日本に帰ったあと、私は旅にでるだろうか。

旅の意味も、行き先も、もたらすものもひとそれぞれ。
同じ場所に、同じ時間にでかけても私とあなたでは感じること、思うこと、残る記憶すべてが違う。
冒険も、出会いも、新しい体験も、旅の要素であって、旅のすべてではない。
冒険しない旅もいい。出会いがない旅もいい。いつもと同じ旅もいい。

いつかお母さんになることができたら、子どもの嘘に気づいても、子どもを心配する親心にそっと蓋をして旅にでる背中を見送りたい。旅のお手本を示せるような母親になりたい。 

5年前に撮った写真は画質が粗くて、構図が雑で、恥ずかしいけどちょっと愛おしい。あえて加工はせずに載せることにした。エモいってやつだ。

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