『野ブタ。』の修二と彰は、やっぱり2人で1つ?
新型コロナウィルスの影響で、再放送されたドラマのひとつが、
『野ブタ。をプロデュース』。
今回、初めて1話から最終回まで観たのですが、
タイトルから、当然「野ブタこと信子」が成長する話と思いきや、
(それももちろんですが)
もう1人の主人公、「修二」の成長物語でもあったんですね。
*
修二という人物は、根は決して悪い子ではないけど、
器用で要領よく、頭の回転はいいけど計算高いイメージ。
他人にどう観られるか気にして、誰にでもいい顔をしてしまい、
結果的に自分の首を締めている。
(いつからそんな風なのかは定かではない)
例えば、友だちからカラオケに誘われた時は、
「用事終わったらすぐ行く~」と応えつつ、行くことはないし、
学校中の人気者が彼女なのも、ステイタスのためだけで、
本当に好きではないから、いつもゴマカしゴマカし。
いろいろ先送りにし、その場をやり過ごす。
そうしている認識さえも、感じないように避けている。
しかし、その、見ないようにしている部分が、
ジワジワ自分を蝕み、自己嫌悪や罪悪感が積もっていくのを、
心の奥では感じていて、その虚しさも分かっている。
「うまくやってる」つもりで、実際のところはハリボテ状態。
クラスメイトも薄々は、それを感じ取っていたのでしょう。
些細なきっかけで一気に信頼を失い、仲間はずれにされます。
*
一方の「野ブタ」と、もう1人の主人公である「彰」は、
イジメられたり、イジられたりと、はみ出した存在で、
最初、修二は無意識に、2人を見下しています。
しかし2人は、本質的な自分軸が全然ブレず、
高校生とは思えないほど、懐が深い。
そのことに修二は徐々に気づき、ますます自分の空虚さに突き当たる…。
でも「自分はこの中の誰に一番近いか」と考えた時、
修二、と感じる人が、実は多いのではないかな。
ここまで要領よくなくても、その場その場で立ち位置を探る感じとか、
いい顔してしまって、自己嫌悪に陥る感じとか…。
それに引き換え、野ブタ(特に物語の終盤)と彰は、
人目を気にせずに自分の信念を貫く姿や、他者への思いやりなど、
大人でも「こうありたいわ」と感じる領域。
そして最後には、転校する修二と同じ学校に、彰も転校し、
野ブタも、自分はひとりで大丈夫と、彰のことを送り出し。
2人の利他的行動は、どこの聖人かというほど!
(普通の高校男子は、ライバル居なくなってこれ幸いと、
ずっと好きだった野ブタにアタックするに決まってる笑)
しかし、ここまでの展開を観て、ふと思ってしまったのは、
彰って、本当に実在してるの?
まさか、修二の妄想??
いくらドラマでも、一緒に転校までしないわ〜。
そう思って振り返ると、
なぜか彰は、他の男子グループと関わらないし、
教室での相手にされなさ加減は、不自然なほど。
転校する修二との別れも、みんなと離れた場所に野ブタと立ってて。
あと、あんまり名前を呼ばれてない、っていうエピソードも、
ほんとに実在してるの?…のフラグ??
他の回でも、生き霊とかパラレルワールド的なエピソードあったし、
同年代で同格に出演してるのに、山Pが謎に特別出演だし、
そもそもその役、原作には登場しないし…
と、ついつい想像たくましくなりました。
(その手の映画の見過ぎか、楽しくなってしまってすみません)
そのようなオチや裏設定は、特にはなかったみたいです…汗
それでも、見事に修二と真逆な彰のキャラは、
もしかしたら、修二の奥底にあってフタしてた、
でも解き放ちたい側面で、
それを、彰を鏡として写してる部分は、あったのでは。
まあ、そこまで想像を膨らませられる時点で、
このドラマは本当に素晴らしかったんだ、ということですよ。
図らずも観ることができて、よかったです。
再放送してくれて、ありがとうございました。