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ゆきおとこと盃

 北の北の山国の、深く静かな冬の前、短い紅葉の季節のお話です。山々は赤、黄、橙と色づき、まるで艶やかな着物を羽織ったようでありました。人もけものも木の実やきのこ、イワナといった秋の恵みを味わいながら、次第に近づく冬の足音を感じ取っていたのでした。こうした華やかで、でも少し寂しさの入り混じった空気が、山々に満ちているのでした。
 そんな空気の中、暗い洞窟でのっそりと、大きな生き物が目を覚ましました。かたい毛皮に長い爪を持つ姿はまるで熊のようです。ですが、どんぐりまなこをパチパチさせて、ゆっくり二本足で立ち上がり大きく欠伸をする姿は、まるで人ののようでもありました。けものなのか、人なのか、はたまた山の精霊なのか、ほんとうのところは誰も知りません。ただ、毎年紅葉の季節になると目を覚まし、けものたちが眠る冬の山々でひっそりと暮らし、雪解け水に春の芽吹きが感じれられる頃に眠りにつくのです。そうした生き物のことをきっと「ゆきおとこ」と呼ぶのでしょう。
 ゆきおとこはイワナの干物をかじりながら考えます。
 ーーー さて、ことしはどんなうつわをやいてもらおうか……はて、そもそもどんなかたちのものをもっていたかな? ーーー
寝床の奥の窪みをがさがさやったゆきおとこはたくさんの焼き物を取り出しました。どんぶり、小鉢、丸皿と様々な色に焼き上げられた見事な器でした。ゆきおとこは器を並べ替えたり、干物をのせたりしながら、
 ーーー たくさんあるが、なにかたりないような。ふうむ、はてさて……どうしたものか。ふむ、まずはさけでものみながら…… ーーー
と、そこまで考えた時、はっとゆきおとこは何かに気がついたようです。どんぐりまなこをぐるぐるさせてにんまり笑うと、ゆっくりと洞窟の外に歩き出してゆきました。
 まず、ゆきおとこが向かったのは、切り立った崖ふちです。ゆきおとこはまるでこれまでのけもの道と同じように、ひょいひょいと崖を降ってゆきました。谷の底には、ふかふかの落ち葉がつもり、たくさんの珍しいキノコが生えておりました。ここは切り立った崖のために、けものさえも近寄らぬ、ゆきおとこだけの秘密の場所なのでしょう。
 ゆきおとこはいくつかのキノコと持ってきていたイワナの干物を大きな落ち葉に包み、蔓でこぼれないようにしっかりと縛りました。そして、またひょいひょいと崖を登ってゆきました。
 次にゆきおとこが向かったのは谷川でした。しかし、ゆきおとこは川には入らず、近くの斜面に近づくと長い爪で斜面を掘り始めました。
 ーーー ちいさなものだからつちのりょうはそこまでいらぬだろう。 ーーー
せっせせっせと掘っております。ゆきおとこは一抱えの土の塊を掘り出すと、今度は川の平たい岩の上で、掘り出した土を捏ね始めました。
 ーーー よっこらほい。よっこらほい。
 こっちのやまではあきうたげ、あちらのやまではふゆじたく。
 このははらはらしきつめて、ゆきがちらちらまいおちる。
 やがてすべてのやまねむる。
     よっこらほい。よっこらほい。 ーーー
 ゆきおとこは唄いながら捏ね続けます。やがて、土は柔らかくしっとりとした粘土となりました。ゆきおとこは粘土を丸め、ころころ転がして紐状にすると、その紐をくるくると重ねてゆきました。
 ゆきおとこは大きな体に似合わず、器用な手つきであっという間に、ちいさな盃を作り上げました。ゆきおとこはできたものを見ながら、どんぐりまなこをぐるぐるさせてにんまり笑うと、そっと盃を大事に抱え、落ち葉の包みを背中にしょって、ものすごい勢いで走り出しました。
 びゅんびゅんとゆきおとこが走ってゆきます。落ち葉が舞い上がり、木々は揺れ、でも、けものたちはゆきおとこの走る姿に気が付きません。そう、ゆきおとこは一陣の風となっていたのでした。
 ゆきおとこは人里近くの里山までやってくると、ちいさな小屋の前で止まりました。小屋の横には煉瓦でできた丸い窯があり、細く煙が昇っています。窯の周りには、土のお皿や壺が並べてありました。ここは焼き物師の作業小屋だったのです。ゆきおとこは落ち葉の包みと盃を地面に置くと、また風となって去ってゆきました。
 小屋の中では、焼き物師のお爺さんがうとうとしておりましたが、突然の風の音に目を覚ましました。
「ははあ、この音は…… あやつがきよったな。ことしは何をつくったのやら。」
お爺さんは囲炉裏の側から立ち上がり外に出ました。しばらく辺りを見渡すと、地面に置かれた盃と落ち葉の包みが目に入りました。
「ほほ、盃か。そうか、あやつは酒好きだった。しかし、盃で酒を飲むとはどこで覚えよったのやら。あの図体でこんなちっぽけなものでは物足りぬだろうに。」
「どれどれ、お代は何かな。……今晩はきのこ汁とするか。」
 お爺さんは、くっくと笑いながら盃と包みを抱え、小屋に入ってゆきました。
 ゆきおとこが器をお爺さんに焼いてもらうようになって、もう数年経ちます。きっとゆきおとこはこっそりとお爺さんが焼き物をつくっているところをのぞいていたのでしょう。美しく焼き上がった器を見て、自分も欲しくなったのでしょう。
 「さて、もう冬が来る。最後にあやつの盃を焼いて、小屋を閉めるとしようか。」
 雪が降り積もると、小屋の扉が開けられぬほどです。お爺さんは雪が降ってくる前に、小屋を閉め、麓の村で冬の間を過ごすのです。
 数日後、盃が焼き上がりました。薄緑に仕上がった盃は、それはそれは美しいものでした。お爺さんは盃を落ち葉に包むと、扉の前に置いて、村へと山を降りてゆきました。
 あんなに色づいていた山々ももうすっかり枯れ色です。やがて、雪が降り積り、真っ白な雪景色となるでしょう。
 北の北の山国の、深く静かな冬の前、短い紅葉の季節のお話はこれでおしまいです。

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