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日記について

 日記をつけることが昔から苦手である。いざ文字にしていこうとすると、その時々の心情が薄まり、蒸発し、消滅していくようで嫌なのだ。
 
 と、早速嘘を述べたわけであるが、そんな詩的なかっこいいものではない。単純に書くことが思いつかないのである。夜、就寝前に筆をとる。さあ、どうだと、一日を振り返って自分は何もやっていない、何も得ることがなかったと気がついて虚しくなる。わざわざ、寝る前にそんな虚しい思いをし続けるほど自虐的な性格はしていない。
 
 高校生の頃、日記を何年もつけ続けている友人がいた。日記をつけるモチベーションは何かと聞いたところ、読み返して自分がどのようなことを考えていたかを確認することが楽しいという回答だったように記憶している。もちろん、回答を聞いて試してみたが、案の定三日坊主に終わってしまった。
 
 しかし、日記という存在はどうも妙な魅力を持っているらしい。向いていないと分かっていながら、何度も何度も挑戦している自分がいる。恐らく「日記をつける」という行動、というよりもそのシーン自体が、自分にとって文学的な香りをもたらすものなのだろう。

 要は随筆への憧れなのだ。さらさらと書き連ねられた美しい文章は、短文ながら心に潤いをもたらしてくれる。そのような文章を書きたい理想があり、己の現実の渇きに耐えられなくなる。理想と現実。よくある話であり、大抵は諦めがこの壁の下に住み心地の良い場所を与えてくれる。自分の周りにはそんな場所がいくつも点在しているわけだが、どうもこと日記(随筆)に関しては、諦めがでしゃばってこない。

 さて、この文章は明確に人に見せるつもりで書いたわけだが、果たして書き続けることはできるだろうか?新しい日記帳のページが埋まっていくことを期待しながら筆を置く。

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