見出し画像

都内の縄文ムラで行われていたこと/西東京市「下野谷遺跡」

意外に思うかもしれませんが、東京都内には*約3800か所にも及ぶ縄文遺跡が確認されています。
都心で言うと、東京タワーのある場所に丸山貝塚、代々木公園近くの代々木八幡遺跡、モース博士が発見した大森貝塚など、小さな縄文遺跡が点在しています。
これら東京湾周辺から西の武蔵野方面へ進むと、その様子は少し違ったものになります。

ここは都心から約30分、西武新宿線・東伏見駅から徒歩7分の東京都西東京市にある「下野谷したのや遺跡」。
今から約5000~4000年前の縄文時代中期の集落で、大きさは東京ドームおよそ3個分と都内でも突出した規模の遺跡です。

駅から徒歩7分!貴重な駅チカの縄文遺跡

すぐ脇に川(石神井川)が流れ、日当たりの良い小高い台地が広がっています。現在は大半が住宅地となっていますが、竪穴住居が再現されるなど一部が史跡公園として保存されています。

ムラは、円形に住居等が並び中央に広場がある「環状かんじょう集落」という当時の典型的なムラの形をしています。

中央の広場には墓やゴミ捨て場などがあり、採集や狩猟を協力しながら生活をしていた人々にとって絶好の生活の場であったと考えられます。

竪穴住居のすぐ脇にあるのは「土器溜まり」。
使われなくなった竪穴住居跡のくぼ地を利用した「ゴミの集積場」と思われるものです。
食べ物や動物の骨などは腐って無くなってしまい、その結果、縄文土器だけが集中的に出土したようです。

「土器廃棄遺構」と呼ばれることも

出土した土器は「西東京市郷土資料室」に展示されています。
それらは関東の土器と共に東北地方の土器の特徴を持つものがあり、北の文化がここまで伝わってきたことを伝えています。

この高さ19㎝の小さな土器には、くっきりと絵のようなものが刻まれています。
両脇にカニの爪のようなもの、その間にはHのように見える…なにか?。
この不思議な絵も、東北地方の影響を受けたと思えるものの一つです。

西東京市郷土資料室

こちらは福島県の「狩猟文しゅりょうもん土器(複製)」と言われるもので、縄文人が狩りをしている様子を土器に表したものです。
左側に弓と矢があり、その右に4本足の動物、さらに右に人の手足と思われるものがあります。

東京の土器にそっくりそのまま…という訳ではありませんが、弓矢と4足動物をデフォルメした表現にも見えるようです。

狩猟文しゅりょうもん土器」は北海道から東北地方に多く見られるものですが、その文化が東京まで伝わってきたのかもしれません。

そして郷土資料室には、下野谷遺跡で矢を放つ練習をする子ども達のCG写真が!
狩猟は安定した食料確保に欠かせないもの。
このように「子どもの狩猟教室」などもあったかもしれませんね。

約1000年間の営みがるムラでは、どんなことが行われていたのでしょうか。
弓矢の扱いだけでなく、道具造りや土器作り、獣の解体…等々、生活に欠かせない縄文人の技を次世代に受け継いでいく事も、縄文人たちの大切な仕事であったのかもしれません。

*縄文遺跡数 
文化庁 「H24年度周知の埋蔵文化財包蔵地数」から抜粋

©2025 のんてり
<写真&文章は著作権によって守られています>

最後までお読みいただき有難うございました☆彡


いいなと思ったら応援しよう!