「二つの赤に閉ざされた世界」史跡 カリンバ遺跡 | 北海道縄文旅
白い貝塚に土色のドーナツ状の窪み、
北海道の縄文は自然の色で溢れていました。
ところが次に目にしたのは「真っ赤な世界」
その知られざる鮮やかな縄文とは?
今回の舞台は、札幌と新千歳空港の間に位置する恵庭市の史跡『カリンバ遺跡』。
カリンバとはアイヌ語で「桜の木の皮」という意味。今でも街中から少し外れると、夏には小さな林にミズバショウが咲くといいます。
その街の道路工事に伴う発掘調査で見つかったのが、縄文時代早期~アイヌ期の複合遺跡である史跡『カリンバ遺跡』です。
そこに眠っていたのは、約3000年前の鮮やかな美の数々。
現在は埋め戻されその痕跡は見ることができませんが、郷土資料館の資料を頼りに、その謎多き美しい縄文世界を探ってみましょう。
『カリンバ遺跡』は恵庭市の中心を流れていた旧カリンバ川の近く、低地帯に住居、そこより少し高い段丘面にあった墓でした。
その墓は、36個にも及ぶ「土坑墓」(土を掘った墓)。そしてここに目見張るべき「二つの赤の世界」が存在していたのです。
一つ目の「赤」は、
墓の底に撒かれていたベンガラ。しかも多量に。
ベンガラは土から採れる(酸化鉄)自然の顔料、古代の遺跡に見られる最古の「赤色」で、ここではそれが「層」になるほどに大量に撒かれていました。更に、遺体を埋めた土の上にも撒かれてたものもありました。
二つ目の「赤」は、
櫛や環状の帯飾り、額飾り、耳飾り、腕輪などの鮮やかな大量のウルシ製品。
発掘当時の写真パネルから見えてくるのは、
墓の底に撒かれた多量のベンガラ
その上に横たわる死者は土に返っています。
「ウルシ塗りの櫛」「サメの歯」「勾玉」
死者が身に付けていたそのままに。
約3000年前の「櫛」と「額飾り」
36個にも及ぶ土坑墓のうち4個が大型の「合葬墓」(複数人の死者が一緒に埋葬されていた墓)、それ以外は「単独墓」(一人用の墓)でした。
これは「合葬墓」の一つで、五人が一緒に埋葬されていた直径1.6mの墓の再現です。
五人が身に付けていたものは、
「ウルシ塗り」の櫛や紐状の帯飾りの他に、150点もの「コハク」や「緑泥石」という鉱物からできた玉製品(首飾り)。
それはこれまでに目にしたことのない豪華な玉製品(首飾り)で、大型の合葬墓のどれもが、このような豪華な装身具で溢れていました。
さらに四人用の「合葬墓」の再現では、葬られた人の姿から、中央の二人がより多くの装身具を身に付けているのがわかります。
このように同じ墓の中でも装身具に違いが見られることから、珍しいものや多くの装身具を身に付けているのが「シャーマン」、もう一人がその世話人、というようにも考えられています。
2人~7人で埋葬されていたのは何故でしょうか?
病気・事故・災害などで一度に亡くなった、再葬(一旦葬った墓を掘り起こして遺骨を埋め直した)、殉葬説など、様々な仮説がありますが真偽のほどは闇の中です。
多量に撒かれた「ベンガラ」、技巧を凝らした「ウルシの装飾品」、縄文時代に容易く手に入ることができなかった「二つの赤」が、惜しみなく弔いに使われたという事実。
「ベンガラ」と「ウルシ」に防虫や防腐効果があることも知っていたのでしょうか。
「赤」に覆われた死者は、古代メキシコの「赤の女王」の存在とも重なってきます。時代や地域を超えて「赤」の意味には共通する何かがあるようです。
もう一つ気になることが…
『カリンバ遺跡』は、「キウス周堤墓群」から僅か10㎞ほどの距離にあり、なおかつ約200年後の遺跡であるということです。
あまりにも違う死者の弔い方に、ここにはそう簡単に知ることが出来ない縄文があることを示しているようです。
多様な縄文文化が見られる北海道、
ちょうど今日、雪の便りが聞こえてきました。
少し気が早いですが、大地にミズバショウが芽吹く頃に再び訪れたいと、今から楽しみにしています。
参考図書
世界遺産になった縄文遺跡 岡田康博 編 同成社
縄文の女性シャーマン カリンバ遺跡 木村英明・上屋眞一 新泉社
最後までお読みくださり有難うございました。