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鹿がいません!┃土偶のおはなし

GWにドライブ中のこと、
街からほんの少し山間部にさしかかった場所で、野生のシカの一群が突然目の前を横切りました。
動物注意!の道路標識を目にしたばかりのタイミング、スピードを出してなくてよかったぁ、と胸を撫で下ろしました。
それと同時に、シカでよかった~、と。これがイノシシであったら恐怖でしかありません。

今でも身近な野生の大型動物と言えば、シカとイノシシ。あまり縄文時代と変わっていないことに気がつきます。

縄文時代の動物たち

食料や道具としての役割

縄文時代にはイノシシ、シカ、ウサギ、トリ、沿岸ではイルカ、クジラ、北の海ではオットセイ、トド、アザラシ…などなど、その地域に応じて様々な動物たちが食料となっていました。
特に体が大きかったイノシシやシカは、肉も多く取れ、食料以外にも皮で服を作り、骨や角で道具や装飾品を作り、あますことなく全てを使ったと思われます。

イノシシは、本来イノシシがいない伊豆諸島の神津島や北海道の貝塚から骨が見つかっていることから、本州から丸太舟に乗って海を渡ったと考えられています。


「動物儀礼」

狩猟した動物をどのように見ていたのか?縄文人の動物に対する気持ちが表れている遺物が、全国各地で見つかっています。

千葉県船橋市の「取掛とりかけ西貝塚」では、貝塚の下からイノシシ7体分、シカ3体分の頭骨が並べた状態で見つかりました。火を焚いた跡もあることから、約1万年前の儀礼の跡であると考えられています。

山梨県の遺跡ではイノシシの幼獣(ウリボウ)の焼けた下顎が100体分以上、静岡県ではイノシシ、シカ、イルカの頭骨が環状に配置されるなど、各地で動物を用いた儀礼と見られる跡が発見されています。
世界各地にもこういった現象が見られ、動物の骨から〝生命の再生〟や〝狩猟の成功〟などを祈ったと考えられるようです。


「祈りの道具」

縄文時代の祈りの道具としての土製品では、人形ひとがたのものは土偶、動物を象ったものは「動物形土製品」と呼ばれます。
縄文時代の早期から晩期に至るまで全国でイノシシやイヌ、クマ、トリ、カメ、サル、海獣のようなもの…と様々な「動物形土製品」が作られてきました。

そのなかでも断トツに多いのがイノシシ形の土製品です。幼獣(ウリボウ)や母親のイノシシを思わせる乳房を表現しているものもあり、イノシシが多産な動物であることから、子どもの誕生や豊猟を祈ったのではないかと考えられています。

イノシシは土製品だけでなく、土器の装飾となった〝獣面把手じゅうめんとって〟と呼ばれるモチーフにも多く使われています。

千葉市埋蔵文化財調査センター

幼獣(ウリボウ)や年老いたイノシシ?など、写実的なものから大きくデフォルされたものまで様々な表現がされています。

千葉市埋蔵文化財調査センター

いろいろ思考が凝らされた土製品や獣面把手じゅうめんとって。イノシシは特別な存在であったようですね。

茅野市尖石縄文考古館


シカの存在とは

一方で、イノシシと同じく狩猟のメインとなっていたシカですが、土製品や獣面把手じゅうめんとっては殆ど見かけません。
北海道では縄文土器にシカが描かれた「シカ絵画土器」、他の地域でもシカの土製品が僅かにあるそうですが、かなりレアなケースのようです。

前述のように「動物儀礼」としてはイノシシもシカも同じように扱っているにも関わらず、祈りの道具として作られなかったのは何故なのでしょうか。

遺物を見ると

イノシシとシカの大きな違いと言えば、雄シカに角があることです。
シカの角は固くて丈夫なため、ハンマーなどの狩猟の道具類、釣針やヤス・モリなどの漁撈具、男性の装飾品とされる腰飾りなどが多く作られました。

雄シカに限って言えば、角が毎年生え変わることを考えると〝食料としての役割〟よりもむしろ〝材料としての役割〟の方が大きかったようにも思えます。

縄文時代以降のシカの捉え方

弥生時代になると水田稲作が始まったことで、それまで大切な食料であり信仰の対象であったイノシシが、稲を荒らす害獣として見られるようになります。

一方でシカは、大陸からの影響や金属の使用といった生活や文化の変化に伴って、食料や生活道具の材料であるということよりも、新たな信仰の対象としての役割が大きくなっていったようです。
それを表すように、弥生土器や銅鐸などにはシカの絵が見られます。

東京国立博物館

その後も〝神の使い〟とされたシカは、神聖な動物として今に伝わっています。

シカの土製品はなぜないのか?

再び縄文時代、
狩猟した動物の中でシカだけに「角」があることを考えると、人々はイノシシや他の動物とは違う〝何か〟をシカに見出していたのかもしれません。

もしくは、土製品を作るといっても今のように簡単ではなかった時代のこと、日々の食料や子どもの誕生が一番の願いであったとすると、イノシシに込める願いが何よりも優先され、シカを作るまでには至らなかったとも考えられるかもしれません。



シカとイノシシ、人間の生活の変化によってその捉え方が大きく変わっていきました。

変らないのはその肉の味わい…シカは油が少なく低カロリー、イノシシは脂がのって豚肉のようにジューシーです。
体力勝負の縄文人にとっては、イノシシ肉が好まれたのではないでしょうか?

縄文人にイノシシの土製品をたくさん作った理由を尋ねたら…
イノシシ鍋をいっぱい食べたいから!なんて返事が聞かれるかもしれませんね。


*参考資料
縄文時代の歴史 山田康弘 講談社
日本の先史時代 藤尾慎一郎 中公新書



最後までお読みいただき有難うございました☆彡

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