見出し画像

鮮やかなベンガラ色の○△『虎塚古墳』|茨城県ひたちなか市

東日本を代表する「装飾古墳」と言われる『虎塚古墳とらづかこふん』。
その石室にはベンガラという赤い顔料で、丸や三角などの幾何学文様が描かれています。

普段は見ることのできない石室ですが、年2回の「壁画公開日」に先日行ってきました。


虎塚古墳とらづかこふん』とは

日本全国で見られる古墳。その数は大小合わせ約16万基にも及ぶといいます。その中で「装飾古墳」と呼ばれるものが約700基ほど確認されています。
「装飾古墳」は、埋葬された人が眠る石棺や石室等に、線刻や彩色により文様や絵画などを施したものです。
その多くが九州にあり東日本ではあまり見ることができません。

今回訪れた『虎塚古墳とらづかこふん』は7世紀前半頃に造られた「装飾古墳」の1つで、鮮やかな彩色壁画は東日本では貴重な古墳として知られています。

虎塚古墳とらづかこふん』のある一帯は、ほとんど起伏のない台地。近くには古墳時代末期~奈良時代の大規模な横穴墓群「十五郎穴じゅうごろうあな」もあり、古の繁栄の様子が感じられます。

虎塚古墳とらづかこふん史跡公園』として整備されています。

史跡公園の林を抜けると、全長56.5m、高さ5.5mの小さな「前方後円墳ぜんぽうこうえんふん」が見えてきます。

想像よりも、ずっとこじんまりとしていました。

いざ、石室へ

古墳の姿を見ながら後円こうえんの石室の入り口へと進みます。
壁画のある石室は、現在は保護のために厳重に管理され、写真もNG。
係の方に誘導され3~4人づつ入室し、説明を聞くというスタイルです。

入口から入ると3つの前室があり、その奥が石室です。
石室は大きなガラスの観察窓から鑑賞します。

緑の仮設の屋根が入口です。

ガラス越しに見た壁画の第一印象は「なんて鮮やか!」。
ベンガラの赤色で丸や三角などの幾何学文様が描かれ、さらに天井一面が塗られています。
ベンガラは土から採れる自然の顔料(酸化鉄)で、縄文時代から彩色に使われていました。

これは隣接する「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」の「実物大の再現レプリカ」の写真です。

レプリカは形、色とも忠実に再現されています。

正面奥の壁画で最初に目に入るのは2つの丸。
左側の丸の中に小さな小さな「・」があるのが分かるでしょうか?これは「コンパスの軸の跡」で、正確な丸を道具を用いて描いたとされるものです。

幾何学文様は天体を表している、あるいは矢の的…などと推測されていますが、何であるかは分かっていません。
下部には、槍や太刀、弓矢といった武器が描かれていると考えられています。

〇や△の正体は?

左右の壁にも、不思議な文様の数々。連続に描かれた丸、空白をもうけて描かれている何か…。

石室にあった遺物

ここには成人男子と思われる一体の遺骸がありました。
その周りには、ウルシ塗りの小さな太刀や鉄でできた様々な副葬品が置かれていました。

生前に身につけていた物でしょうか?

また石室の外からは、鉄のほこなどの武器類が出土しました。古墳と聞くと「埴輪」を思いうかべますが、ここには埴輪類は一切ありませんでした。

幾何学文様に表されたものは

古墳はその形や大きさから、そこに眠る被葬者の身分や功績を表わし、特に「前方後円墳ぜんぽうこうえんふん」はヤマト王権が認めた者であることを表していると言われています。
小さな「前方後円墳ぜんぽうこうえんふん」に色鮮やかな色彩で丁寧に描かれた文様から、今から約1400年前にここにいた古墳人が想像できるようです。

虎塚古墳とらづかこふん』にあるような不思議な幾何学文様は、その後の古墳にはあまり見られなくなります。
この後に造られた高松塚古墳キトラ古墳には、人物や龍といった写実的な表現がされるようになるのです。

縄文時代から続く幾何学文様は、その時代の思想を表現していると考えられています。どんな時代にあっても共通する人々の想い…が、何千年と表されてきたようです。

*説明は「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」の展示解説、冊子によります。

最後までお読みくださり有難うございました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集