現地採用で翻訳家として働くN.Yさん

【フィリピン・マニラ編 現地採用インタビュー#001】
現地採用インタビューを始めて、記念すべき第1号。
翻訳として働くNYさんの話。

彼の生まれは、東京。幼稚園から小学生くらいまでアメリカで過ごすこととなる。中学校から日本へと戻ることになる。

【中高時代】
帰国子女枠で、中高一貫学校を受験し、無事に入学。部活と勉強に明け暮れる毎日を過ごす。大学受験で、何がやりたいかとかわからず、学部の志望もなく、好きな英語と国語だけやってた。

【大学時代】
中高時代が厳しかったので、遅れた青春を取り戻すかのように遊びに没頭する。サークル入って仲間と遊んだり、高校の友達とカラオケ行ったりと。気がついたら、就職活動をすることになっていた。


「いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に入る」
そんな神話を信じていた。
就活する前までは、自信がかなりあった。
しかし、いざ、始めたら挫折の連続だった。

「君、無能だね。」というような圧迫面接を受ける日々。受ける側も、会社も頭おかしいと思った。就活浪人で3回4年生を経験し、在学中に、インドネシア、フィリピン3週間ずつインターンをすることになる。受けていた会社では、説教をされるか自慢をされて、正直うんざりしていた。お祈りメールをされる毎日。そんな日本での就活に見切りをつけて、卒業してから、フィリピンで就活し、働き始めることを決意。

【最初の仕事】
インターン時代の経験からフィリピンで就職することにする。日本で就活した状況とは、全く異なり、就活してみると、あれよあれよと最終面接まで辿りつき、最初に内定が出た会社に入社を決める。


売り手市場だと全然違う。

2012年の7月から。オランダの会社でカスタマーサポート兼翻訳として社会人をスタートさせた。日本の企業のやり方がおかしくて、自分は正しいという確信はあったが、それに対して自信はなかった。いざ普通に仕事をしてみると、普通にできて、それだけで自信がついた。外資系に勤めたにもかかわらず、一番大変だったことは、仕事ではなく病気になりすぎたことだった。外耳炎、ものもらい、皮膚感染、蓄膿症。特に外耳炎は、1日中痛み、あまりの痛さに飛び降りようかと思ったほどだ。フィリピンに来て病気を繰り返す。不思議と1年もすると、そんな状況にも慣れ、病気も克服。

【新しい会社へ】
3年働いた会社だったけれど、株主が変わって、経営方針も変わったことをきっかけに、待遇が悪くなって辞めることを決意。前職の経験を生かして、翻訳として転職をする。実際の転職はかなり簡単だったが、求人を探すのは大変だった。条件がよく自分の希望と合う仕事を探すのに四苦八苦をする。売り手市場だから、仕事はいくらでもある。結局、他で働くことを考えてから、半年未満くらい見つけるまでにかかった。しかしながら、フィリピンに来てからは、お祈りメールをされることは全くなかった。

こんな経験をしてきた彼に未来のことを聞いてみた。

こんな現地採用と出会いたい!
あんまり他人に興味ないから、同じような価値観で、海外にいる人。

高校生・大学生に一言!
高校の時に、ある先生に言われた言葉。


目標を持て。君たちは、可能性があって何にでもなれるから、努力しろ。

高校生の頃は、うんうんと聞いていたけれど、「今でこそ、あんたでも何にでもなれるだろ。」と思う。夢とか目標を持てと言われてるけど、自分の意見を持たないから、うまくいかない人が多い。自分が、大学生だった頃は、世界に自分が全否定されたことに対して怒りを感じた。


世の中に対して諦めを感じている。
自分の意見を持とうよ。
もっと怒りを感じていいんじゃない?

【かぬーの思ったこと】
率直に、似たような気持ちを思っている人がいるんだなと思った。僕自信も、一流大企業に就職するという世間一般の成功した就活ができた人間ではないので、日本社会不適合者を発見!!!と素直に嬉しかった。

僕も、日本を飛び出して、東南アジアで働いている身として、色々と考えさせれることも多かった。勝てる市場で勝つ。日本の就活・転職市場で、勝ち目のない戦いに挑むより、東南アジアの成長する勝てる市場で勝負した方が良いことを再確認した1日だった。

※元ブログからの転載
http://123kanuu.fool.jp

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