バンコクで逞しく働くS.Uさん[2]

【タイ・バンコク編 現地採用インタビュー#003】

前回に続いて、バンコクで逞しく働くPart2


機会を親に与えてもらった。
機会をとざされたことがない。
それをやめなさいと言われたことがない。

そんな言葉を軽やかに、同時に深く語るS.Uさんの魅力たっぷりな話をどうぞ。

【留学後の就職活動】

留学生向けの6〜10月にかけて日本で就職活動を行う。気持ちとしては、焦ることなくマイペースで取り組もうと思っていた。一言で言うとピンと来なかった。色々な会社の説明会に出たり面接を受ける中で、つまんない人間になろうとしてないか。そして、就活時期も終了。いよいよどうしようかと考えていた。

東京に出てシェアハウスに住むようになる。いろんな人がいて、沢山の社会人と触れ合う機会を持つことができた。包み隠さず、いろいろなことを聞いていた。どういう生活を送りたいかとか、最初のキャリアをどうしたらよいのか。


歯車になるような生活は送れない。
刺激的なことしたい。
それだけは確かだった。

自分のアイデンティティである海外を軸にすると、海外就職が視野に入ってきた。もりぞうこと森山たつをさんに、アポとって会いに行くこともした。

ずっと起業したいという気持ちも、冷めなかった。

この時、就職をするのか起業をするのか、どちらの道に進むのか結論は出なかった。東京の起業家シェアハウスに住んで、起業家の人たちに自分のアイデアを聞いてもらう。みなさん本当にいい人で、話も聞いてくれるし、アドバイスもくれた。

「君は海外就職で悩んでいるときの顔が一番いいよ。」この言葉で海外で働くことを決心。就職活動したら、意外とサクッと決まった。


【バンコクで働いて既に2年目】

仕事をはじめてから、2年目(2015年現在)に入る。

振り返ってみると、就職直後の3ヶ月は正直最低だった。海外就職が目的になってしまった自分がいた。安っぽい快感。タイ生活を楽しみながら、仕事もそこそこしていただけだった。

最低だった最初の3ヶ月は、あまり仕事が降ってこない状況だった。会社としても新人にすぐにクライアントを担当してもらう状況でもなかった。はっきり言って目標を見失っていた。

今だから笑って言えるけど、上司や会社の人にこいつは"アジアで沈没するんじゃないか"と思われていたらしい。

仕事を任されちょっとずつ大変になり、社会の辛さを感じるようになる。だけれどいきなり変われるわけじゃない。甘ちゃんのままに仕事をやる。納期を自己判断で伸ばす。上司に怒られた。その時初めて、個人でなくてこの会社の人間を代表していることに気がついた。

プロフェッショナルの心を持つようになる。しかし、仕事も忙しいし、仲のいい友達もいない。心をかなりやられた。最悪帰ろうかとさえ考えた。辛い気持ちでいると悪い方向にどんどん考えてしまう。

ここで踏みとどまれたのは、最初の目的を思い出したからだ。この辛い状況は元々自分を試しにきたんだと踏みとどまる。

言葉は悪いかもしれないけれど、部活感覚で色々と試行錯誤ながら成長していく。仕事が楽しくなってくる。こうなってくると正のスパイラルを登っていくようにいい方向に進んでいく。課題も見えてくるし、段々と周りの評価も変わっていく。あいつできるようになってきたと評価されて。数字も出るようになった。プライベートもうまくいく。

【最後にメッセージ】

〜こんな現地採用に会いたい!〜
自分が焦って、嫉妬してしまうようなすごい人と出会いたい。そういう人が多いと楽しい。そいつが成功すると悔しいけれど。

〜海外就職に悩んでいる人へ一言!〜
現地で働いる人たちと話しましょう。自分がそうしてよかった。足を動かしている。そういうのは大事。ネットでとれるからこそ人と会って、情報とか触れまくれる。ネットの時代に逆行して足を動かそう。

〜同じように悩む人へ!〜
夢って難しい。方向がまだ定まっていない。誠実にビジネスをやっていたい。日本の古い文化がいい。そういう人頑張っているひとたちが幸せになるべきと考えている。


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