LIFE(YUI)

 カーテン越しの陽射しで目が覚めた。
皺々になったシーツを足で直し、半目を開けて携帯電話のロックを解除したくらいに、夢を見ていたことが脳裏を掠める。
「んー…」
こうしてまた、夢を見ていた、という事実だけが頭の中に積み重なっていく。
 思えば昨日は、夏にしては底冷えする夜だった。
弱めの冷房を凌ぎのつもりで入れて眠りに就いたのだが、今しがた掛け布団を捲るタイミングでひんやりと冷えた手足の正体に気づく。
床に足を付けると骨のあたりまでジーンと響いた。
 窓を開けると仄かな春の匂いがした。
こんな日は地べたに寝そべって暖かさを素肌で感じたくなる。

 歯磨きと洗顔をし、矢継ぎ早に着替えを済ませて玄関の鍵を閉める。
鉄筋コンクリートの連なりとヒールの音のコントラストで、サーチライトに照らされたみたいな気分になり悦に浸る。
151と数字の書かれた交差点を曲がれば古びた景色は一転し、商店街へ出る。
 正しく営まれた老舗と家族がシャボン玉みたいに飛び跳ねて、ゴッホのパレットみたいな彩りを見せた。
 商店街を抜けて魚市場のおじさんの声だけが耳に残る中、公園の側道を突っ切る。気づけばヒールの音の間隔が狭くなっていた。
閑散としたシャッター街の入り口では"遊楽街"という看板だけが妙に燥ぎ、世話焼きなウグイスの声だけが響き渡る。
 あの日の感傷を思い出すように"橘"の名札の付いた家を右に曲がる。
 あれは寒い冬の日だった。
震えるほど寒い冬の日で、なのに私は凍えることも忘れて遠くを目指していたと思う。
冷気に寄り添うように私はここを右に曲がり、林の奥へと歩を進めたのだ。
枯れ木の残骸が進行を阻む中であの日の私は何を思っていただろうか。
あの日も朝起きて不意に外へ出て、不意にここへ来た。

 「…」
木々の合間を抜けていくと、瑞々しい草原が眼前に広がった。
青々と茂る草葉の一つ一つが煌々と生気を宿しながら連奏する。
あの日の灰色の景色とは一変した空間に私は立ち尽くす。
 抜け落ちた感覚が光を灯すように、私はヒールを脱ぎ捨てた。
 仄かな温もりが足先を通して全身を駆け巡る。
陽射しの麓に向かって私は走り出す。
シャッシャッと言う音を響かせながら私は私の影を追った。
途轍もない自由に私は両手を広げ天を仰いだ。
真上にある太陽はまるでここだけを照らしているみたいだ。
 倒れてみよう。
そう思った。このまま、前のめりに倒れてみよう。受け身も取らずに倒れてみよう。
深呼吸をし、周りを見渡す。
溶け込むための準備か、羽ばたくための準備か何れにせよ。
正面を向く。木から草へ、草から黒へ。
摂理に反した私の形が、摂理に随う。
摂理に反した一瞬が、摂理であったかのように。
私は束の間の自由を、瞼の裏に納めた。


fin.


 


いいなと思ったら応援しよう!