4/7 "深夜のファミレス"という文化遺産
眠れない。深夜2時です。厳密には今は4月8日。今日はなんだか悲しくて家に篭っていました。本を読んだり、物を書いたり、自分に餌付けしたり。やっぱり一日中独りは寂しい。結局、私は独りが得意じゃないみたいです。
退屈を無為に費やすことはなんら厭わない私ですが、孤独を無為に費やすことはできません。孤独は己を成熟させる「嗜好品」ですから、とことん満喫せねば。
以前は、眠ることを保留したい気分の深夜によくファミレスに行きました。深夜のファミレスは良い。ドリンクバーの代え難い豊かさと、日中の喧騒が嘘かの如くひっそりとした店内、そして何より、私のように孤独を嗜む夜更かし人がいる。
互いに適度な距離を保ちつつ、所詮は他人、決して交わることもなければ関わることもない。けれども「深夜にファミレスにいる」このただ一つの特異性が妙な連帯感を生む。ひとりの孤独が、ふたりの、私たちの孤独になる安心感。「寂しくない孤独」こそが最も上質な孤独なのです。
そんな憩いの場も、流行病がまとめて奪ってしまいましたね。今では深夜営業のファミレスは都内にほぼないそう。私の近所からはそもそもファミレスが姿を消しました。代わりにどこぞの大学がデザインした公共トイレが設置され、インテリのお遊戯の場になってしまいました。物好きなマスコミ以外、立ち寄ることすらありません。
なんとなく、ファミレスには普遍性がありました。それでいてどことなく教科書的な無機質さもある。ファミリーのレストランなのに、ファミリーじゃなくても入れる。そういう、普遍で無機質だからこその包括性もありました。インテリのお遊戯で作られるトイレに、そんな包括性はありません。
賢らしいデザイナーの公共トイレがグッドデザイン賞なら、寂しさが心の内に満ちた人の集う深夜のファミレスは文化遺産です。だれも保護などしてくれなかったけれど。