すごい奴らに感じること
つい先日、同じ高校出身の友人とご飯を食べているとき、
「浦高ってすげーよな」って話になった。
浦高っていうのは、僕の地元埼玉県でトップの公立高校である。
一緒にご飯を食べていたのはラグビー部だった奴らで、
こんな話になった。
浦高と戦っているとき、
明らかに「戦略的に」押された経験があったのだそう。
お互いのチームがぶつかって押し合っている状況で、
浦高のラグビー部は、
全体の力の入れ具合を、
左右で”交互に”変化させてきた。
力任せに押している自分たちは、
そのままじりじりと押し負けてしまった。
という話だった。
この話を聞いたとき
「この感覚を知ってるぞ」と思った自分がいた。
それは、分野が異なるが、
応援部だった自分が感じたものと同じだった。
埼玉県の公立高校の応援部は、
高校同士で横の繋がりがある。
毎年学校ごとに開催される「演技発表会」で、
それぞれの学校の応援歌を見せ合う文化があるのだ。
※一番上の写真は、各校応援団が集う「日輪の下に」というイベントです。
自分は、埼玉県内の様々な応援部の演技を見ていた経験があったので、浦和高校の演技を見た時に感じるものは確かに”異色”だったのを覚えている。
(もちろん母校である川越高校が好きなのは前提として)
なんとなく他の高校は、
「とにかく全力でやる」とか、
「綺麗に魅せることに全力を尽くす」
といった姿勢が限界だった(ような気がする)
つまり良くも悪くも、
「必死に頑張っているのが分かりやすい」
といった感じだった。
浦和高校の演技は、
上記の要素に加えて、
「そこまでやったらキチガイだと思われる」
というラインに、
”敢えて”踏み込み、
見ている人に
「そこを超えたらどうなってしまうのか」
と思わせるような演技だったのだ。
この”敢えてやってるな”という感覚が、
ラグビー部の彼等が感じた「戦略性」のようなものと
通じているのではないかと思ったのだ。
それは、数え切れないほどの練習の先にある、
彼等にしか見えない世界である。
そこから先は、彼等の全てが正解になる。
観客はまるで、
目の前で世界が作られていく様を
魅せられることになる。
ここに「あ、こいつら、なんか違うぞ」
という強さがあるのだと思う。
こういうのって多分、何かを一生懸命にやってきた人ならすぐに分かる感覚なんだろうと思う。分野が違うのに、通じ合う「すげえ人たちに感じるモノ」が共有できた経験が新鮮だったので、日記に記すことにした。
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