幸せとは最大限の欲求満足ではない
(前編の続き)
もちろん東京は他のどこの日本の都市よりも多く物を持っている都市だということは分かっている。
それなのに感じられるこの寂しさは何なのか。
最近読んだ本の中で非常に共感する内容があったので、その言葉を借りつつ書く。
これまでの歴史の中で、幸せというのは最大限の欲求の満足であると、長い間されてきた。
好きな物を食べ、好きなことをして、思い通りのことができる能力や技術を得て。
だがしかし、その先に残るのは何だろうか。
理性や人間性の伴わなくなった自分自身である。
食べ物を手に入れすぎては肥えてしまうし、地位や権力を手に入れすぎては横柄になるし、技術が進歩しすぎればそれを扱いきれなくなる。
それを幸せというのだろうか。
また、そもそも『最大限の』欲求満足というのは存在し得ない。
欲求が尽きることはないから。
では真の幸せというのは何か。
私は欲求が存在し、そのために努力したり、何かを思い描いたりしているその瞬間だと思う。
この話を踏まえると、東京は前者の、最大限の欲求を満たした状態。
対して仙台のような地方都市は、欲求が存在してそのために何かをしている状態。
だから東京という街の空虚さがあるのだと思う。
前編後編分けた割に後編そんな書くことなかった🥹おわり