もはや風ですらない『韓国風』
ここ数年(と言ってもTwiceの台頭以来だから7年くらい経ってるかもだけど)、『韓国』って流行りですよね。
この『韓国』っていうのはあまりにも私たちの世代に広く浸透しすぎているので、もはや国名として馴染んでいるというより、ある種の形容詞として馴染んでいる。
『韓国系居酒屋』『韓国風ファッション』『韓国JKっぽメイク』とかね。
これは国を指しているというよりも『韓国』という言葉の中に色んなイメージを内包してるから。
まるで盲目的な『韓国』ブームに対して物申すかのような書き走りだが全くそんなことはなくて、私もこの『韓国』ブームに完全に飲まれている人の一人である。
しかも結構深めに。
でもこの深めにっていうのがポイントで、特に私はアイドルに関するところで深めに浸かっている。
でそれに付随して韓国料理、韓国コスメ、韓国ファッション、韓国語にも興味があるわけだが、中にはこういったブームに浅めに浸かっている人も多い。
で私が疑問を呈したいのは特に『韓国ファッション』について。
韓国ファッションには解像度が三段階あると思っていて、ちなみに私は中間の2段目にいる。
1段目は、いわゆる本場の韓国ファッション。
韓国旅行に行くとわかるけど、韓国女性って意外とサラッと白Tにジーパンとか、スウェットとか、銀縁メガネみたいな感じで、
『クアンク(着飾ってるようで着飾ってない)』、『ギークシック(オタク感+シック)』みたいな、日本ファッションにしか親しみのない人からすると驚いてしまうようなシンプルかつある意味オシャレ感のない場合が多い。
もちろん韓国国内でそういうのがオシャレとして浸透しているので日本の感覚では分かりづらいというだけで、ダサいというわけではない。
でもこの1段目にいる人は韓国人のコミュニティにいるとか、韓国に留学しているとか、相当本場との関わりがあるという人しかいないと思う。
2段目は、韓国アイドル(もしくは芸能界)を見ている人のファッション。
当然ながら芸能人のファッションと一般韓国人のファッションは異なっていて、芸能人はかなりのブランド物が多い。
私みたいな人はそういうのを見てファッション感覚を培っているものの、ブランド物に手を出すことはなかなかできないので、韓国アイドルファッション下位互換になりがち。
ほとんどの韓国好きを自称する人はここに分類されるだろう。
具体的なファッションは、韓国旅行に行って現地で買った服とか、ムシンサとか韓国ブランドで買った服とか、日本で買ったけどアイドルがよくきてるブランドの服とか。
そして3段目は、『韓国好き』好き。
何言ってるのという感じだが、簡単に言うと2段目の人を見て韓国好きを自称する人。
ここに入る人は本質的に韓国ファッションに興味はなく、巷で言う韓国ファッションの流れに乗っているだけみたいな。
インスタでもよく韓国女子のファッション!みたいなまとめ投稿あるじゃないですか。
実はあれタグ付けされてる投稿者本人のアカウントを見るとバチバチ日本人であることが多い。
具体的なファッションとしてはグレーのミニスカート、短丈白トップス(いずれもshein)みたいなもので、『韓国』の解像度がだいぶ下がっている。
3段階あると言いつつ4段階目も最近出てきていると思っていて、言うなれば『もはや韓国興味ないけど韓国系を自称してるファッション』。
3段階目によって『韓国』という形容詞がだいぶ解像度が下がって大衆に伝わった結果、『韓国ファッションってなんなんだっけ?』となってくるようなファッション。
例えば綺麗めな黒スカートにパフスリーブのトップスみたいな。
『韓国』の解像度低⁉️となってしまう。
ただのモノトーンコーデとか綺麗めスタイリングでも韓国を自称されてしまう。
しかもパルコやルミネに入ってるような普通に日本のブランドで買ってたりする。
むしろsheinの方が韓国•中国の潮流が入っているので本場に近いとさえ言える。
今回は韓国ファッションに限った話をしたが、これは全ての大きな流行りみたいなものに言えることだと思う。
最初にブームを作り出した層(あるいはブームに対してまともに向き合っている?層)は高解像度で理解しているのに対し、それが大衆というある意味下流に流れていくことで解像度が低くなり、結局なんなんだっけ?となってしまう。
さらに次の段階としてあまりにも大衆に広がりすぎ、例えば小学生だったりママ世代にも広がり、もはや『韓国ファッション』の薄いエッセンスすら感じられなくなる頃には、上の層の人たちは既にいなくなっているのである。
大抵の流行りってそういうもんだよね。諸行無常。
別に伝えたいことはないけど、私はことファッションにおいては、下流にならないように気を付けている。
(別にダサくなりたくないとか流行に乗りたいとかそういう話じゃなくて、上流で起こった高解像度のコンテンツを、解像度を低めて流布することで無意識に冒涜しないようにしている、ということ。でも意識的に解像度落として派生させていくのはアリだと思っている)