推しの軌跡を追いたくなったオタク①年表作成の理由
そもそも推しの仕事っぷりに惚れ込んだところから沼化した。月並みだが、こんなに表現の機微を演じ分け、役によって全く印象が変わりすぎて、同一人物だと脳が処理するのがこんなに難儀な役者を私は知らなかった。この人どうなってるの?から始まり、そのパーソナリティーを知りたいと思い「童詩」を熟読し、「やんごとなき雑談」を読み漁り、紡ぎ出される言葉や行間から見え隠れする思慮深さ、決して表には出さない努力と悔し涙に裏付けされたであろう、柔らかくも、力をもった芯のある言葉。不意の優しさ。なんなんだこの人…聡い人である事は言わずもがな、どんな人生歩んできたんだ?
ご本人がいう「暗黒期」がいつだったのかは推しが様々な機会で言っている25歳までであろう。では、そのきっかけは?始まりは?ムロさんに諭され、気持ちが変化してからの作品への向き合い方は変わったのでは?だとしたら、どんな違いがあるのだろう?蜷川さんに「お前の演技は公衆便所だ」と言われてから彼はどうやって、蜷川さんに認められ、表現力を沼化したのか…知りたい。
世界的な芸術家はその時に置かれた状況や心情によって表現が異なってくる。表現者である推しもそうではないだろうか?
そんなことから、推しの変化のヒントを得るために、パンピの私が出来ることは、彼の作品を遡り、その時々の表現や気持ちの変化からくる行動変化や作品から推測するしかないという結論に達し、ようやく今年の5月に、年表作成に着手した。