8月31日の夜に
24歳の夏、思い立ったようにすべて捨てて上京してきた。あれからもう二回夏が巡って、今年の夏も終わろうとしている。
東京に上京してそれなりに楽しいことを経験してきたはずなのに、夏と聞いて私がいつも思い出すのは故郷の田舎で過ごした夏の日々だ。そしてその隣には高校一年生から6年付き合った元カレの姿があった。
決して特別な夏だったわけではない。私の狭くて暑い部屋であほみたいな話をして笑ったり、アイスを食べたり、お泊り会をしたり。ただそんな平凡なことばかりだった。
毎年夏の終わりにある花火大会や夏祭りに一緒に出掛けた。学生時代は学校帰りに部活のみんなで行って満喫していたけど、社会人になってからはお互い忙しくてお祭りも終わりのころに何とか一品屋台で食べ物を買ったらお祭りが終わってしまうようになった。
彼の誕生日が夏の終わりで、ある時はみんなにメッセージ動画を撮影してもらってDVDに焼き増ししたり、ある時はアルバムを作ったりした。いつも彼は喜んでくれた。大人になるとブランドものの財布とかキーケースをあげるようになっていた。彼からのプレゼントもブランド物になった。
私たちは本当に仲が良かったし、未だに彼以上の人が現れるかわからない。けれど6年という月日は私たちにとっては長すぎた。高校生の頃の自分たちが眩しかった。そして今の自分たちが嫌になっていった。
彼が1年間期限付きで、関東に赴任になるタイミングで私は別れを告げた。今思えば最低な理由だった。待てなかった。もう停滞しているのが嫌だった。一緒にいても昔みたいには戻れないし、この先に以前より素敵な未来があると思えなくなっていた。
その後もちょくちょく連絡を取り合い、数か月してから私は上京した。上京してから彼と2回あった。最後に会ったとき、彼がまだ好きだと言ってくれた。お互いいろんな思いがあふれて涙が出たけど私たちはもう元には戻れなかった。
別れてから2年、8月の終わりに「誕生日おめでとう。素敵な一年にしてね。」と短いラインを送っていた。彼からは毎回、お礼と私のことを気遣う返信が来た。私は自分から別れを切り出したくせに、彼の人生から消えたくなかったのかもしれない。端のほうでいいからそっと見守って、少しでも関わりたかったのかもしれない。
去年の冬、彼のラインのアイコンがイルミネーションの画像に代わっていた。わたしの誕生日に毎年連れて行ってくれたところだった。私はそこで生まれて初めて男性にアクセサリーをプレゼントしてもらった。けれど、その写真を見て悟った。彼には彼女ができた。
おめでとうという気持ちと、もう彼の人生から退場しなければならないという気持ちで複雑な感情になった。私は彼と別れてから彼氏ができていたのにこんなこと思うなんて自分でも気持ちが悪いと思った。けれど、寂しかったのだ。もうわたしは見守ってちゃダメなんだとはっきりわかった。
今年の夏、やっと彼に誕生日のラインを送ることを止められた。何とか彼から卒業できたのだろうか。8月31日、少し切なさが残り、そして少し前に進んだ。
来年からは東京のじりじり暑い夏を私も楽しめるだろうか。
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