mothers
今日も読みに来てくれて、ありがとうございます(・∀・)
統合失調症持ち、40歳なっちゃんです。
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皆さんは、『おかあさん』と聞いて誰が頭に思い浮かぶだろうか?
私には、ココロの中で『おかあさん』と呼んでいる女性が4人いる。
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私は、18歳まで愛情不足の家庭で育った。
家族ほぼ全ての関係が悪かった。
夫婦・親子・嫁姑・姉妹間で毎日毎日諍いが起こっていて、
自宅にはいつもピリピリした空気が流れていた。
私は実母の作った料理をあまり食べなかった。
そんな私を実母は、
「なんで食べないの!?薬だと思って食べなさい!!」
と叱った。
それを言われると、余計に食欲が無くなり、また叱られると言う悪循環をずっと繰り返していた。
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私の一人目の母は祖母だ!
そんな中、私に本当の愛情を注いで可愛がってくれたのが祖母だった。
私は、祖母の作ってくれる料理がとても好きだった。
両親が共働きだったこともあって、両親がいない時や、
私が学校に行けなくて両親に内緒で家にいた時にも、祖母は何も言わずに、
質素ながらも、私の好きなものを中心にした食事を作ってくれ、喜んで食べている私のことを目を細めて見守ってくれた。
学校でそれほど良くない通知表を貰った時も、
私が友達が出来ず悩んでいた時も、
両親に辛辣な言葉を浴びせられた時も、
祖母はいつも私の味方だった。
祖母の愛情は、離れて暮らす今でも私の中に息づいている。
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私の二人目の母は、おばちゃんだ!
私は、父方の叔父さんの奥さん、つまりおばちゃんのことが大好きだ。
「私はお母さんより、おばちゃんのことが好き!」
そんなことを子供の頃から言っていたらしい。
そんなおばちゃんには、沢山の厳しさと優しさという愛情を貰ったと思う。
私が浪人時代にお世話になっていた時、
「どんな仕事でもいいから、一生懸命仕事をする人と結婚するんやで。」
「なっちゃんは、大学に行って大きな会社で就職して、幸せになるんやで。」
と、私が家庭の中では教えて貰えなかったことを教えてくれた。
おばちゃんの手料理も大好きだった。
私が統合失調症を発症してしまった時も、沢山迷惑を掛けてしまったのにも関わらず病院までお見舞いに来てくれたりして、本当に感謝しかない。
今の私があるのは、おばちゃんのお陰でもあると思う。
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私の三人目の母は行きつけの喫茶店のママだ!
この喫茶店には、親友がよく行っていて、その影響からか私もよく通うようになった。
ちょっとだけ人見知りな私は、ママと最初はあまり話せなかった。
でも、いつもニコニコしているママに少しずつ安心感を覚えていった私は、結構なんでも話すようになった。
仕事のこと、病気のこと、自分の最近の悩み、家族関係の話など、色々とアドバイスを貰うようになった。
そのアドバイスには、いつも元気を貰えている。感謝。
そして、家庭料理がベースのメニューには、ママの愛情が詰まっており、いつも出してくれる「オマケ」(美味しいフルーツや焼き菓子とか)が嬉しくて、もう胃袋を捕まれてしまっている_(_^_)_
先日も夫婦でご飯を食べに行ったとき、私はママのことを、
「おかあさん!」
と間違えて呼んでしまった。
私の中では、ママはもう普通に私の「おかあさん」なのだ。
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私の四人目の母は、お義母さんだ!
最後になったが、私にはお義母さんのことが本当の母のように思えている。
面と向かっては上手く言えないが、多分そのことは伝わっているのではない
かな。
旦那さんを含めて4人の子供を育てられたお義母さんは、可愛らしくもあり、とても強くもある笑顔の素敵な方だ。
初めて挨拶に行かせて貰った時、
「このおかあさんの家のお嫁さんになりたい!!」
と、勝手にそう思って、そんなおかあさんの元で育った旦那さんをとても愛おしく感じた。(今も☆)
お義母さんの手料理も好きで、話をするのも楽しい。
私に沢山至らないところもあると思うのだが、それも包み込んでくれるお義母さんの包容力。
いつもありがとうございますm(__)m
と、この場を借りてお伝えしたい。
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最後に
みなさんにとっての『おかあさん』は、どんな「おかあさん」だろうか?
愛情と優しさを持ったその人に、私は今日も魅了され続けているのだった・・・。
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それでは、また☆