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私がピアサポーターをしている理由
皆さん、こんにちはー!
統合失調症持ち、40歳なっちゃんです。
今日は自分がなぜピアサポーターの活動をしているか、その理由や経緯について書いてみようと思う。(今回は長いよ)
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臨床心理士になる夢からの挫折
私は中学・高校生の時、学校で友達が出来ず毎日死んでいるように生きていた。家庭も荒れており何処にも居場所が無かったため、いつも「どうやったら死ねるか」を考えていた。
そんな苦しい環境にいた私は、たまたま入った本屋で、ある臨床心理士のエッセイ集に出会った。その本は生きることに何の希望も見いだせないでいる私に、「大丈夫。あなたは一人じゃないよ」と生きる元気をくれたのだった。
その時から私は、「辛い思いをしている人達を癒やせる臨床心理士になりたい!」と強く思うようになった。
そして大学では心理学を勉強したいと思い、浪人して大学に入学。
※ここで先に言っておくと、臨床心理士になるには、大学院にも行かないといけないのだったが、、
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私は大学生活の中で、
失恋→酒に溺れる→単位ギリギリ→鬱病・パニック障害発症
という状態に。
そのため、4回生の時点で、臨床心理士の大学院に行くために勉強することはおろか、就職することもままならない状態になった。
これはやばいと思った私は、少しでも福祉の仕事がしたいとまだ思っていたので、卒業後は知り合いにすがってゲットした、山の中にある施設で介護の仕事に就くことに。
そこで2年介護士として勤めたのだが、、
鬱状態が酷く、ガリガリになってしまいご利用者の介助が出来なくなってしまう事態に(T^T)
もう限界!!
ということで、仕事を辞め、そのまま叔父さんの家へ。(家族のところには帰りたくなかった)
そこで1年間叔父さんの家で居候しながら、飲食店で一日中働いた。
その結果、幻聴が聞こえだした・・・
そう、他の人を癒やすどころか、
自分が統合失調症になってしまった!(゚Д゚)!
自分には何が起こっているのか分からない。
とにかく叔父さんの家で大暴れしたのは覚えている。
その後のことは、よく分からない。
気がついたら姉夫婦に精神科の病院に連れて行かれていて、お医者さんに「統合失調症ですね」と言われた。
即入院だった。
その後半年間入院生活を送ることに。
閉鎖病棟、、、辛かったことしか思い出せない
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今まで毎日普通に出来ていたことほぼ全て失った。
それまで当たり前に出来ていたことが、有り難いことだったということがよく分かりました(*_*)
まあそんなこんなで、退院してグループホームへの入所が決まる。
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自分に出来ることは何か苦悩する日々
私はグループホームで生活しながら、病院のデイケアというところに通うようになった。
そこで、めっちゃゆっくりな生活が始まった。
デイケアは、色んなプログラム(ソフトバレーボールとか喫茶店の店員的な活動とか)を通して社会復帰を目指すことを目的としたものだった。
私は、毎日やってくる幻聴という症状に悩まされつつ、日々を過ごすのが精一杯だったが、プログラムの中にある「パソコン教室」と「ソフトバレーボール」が結構好きだった。
それで、自分でパソコンの資格を取りたいと思って一般のパソコン教室に通うことにして、「日商PC検定3級(文書作成)」の資格を取った。
ソフトバレーボールは、小学校から高校1年までやっていたので、デイケアのチームで精神障がい者の大会にも出るくらい頑張った。
その後、デイケアで臨床心理士さん(・∀・)に認知行動療法というのをやって貰って少しずつ体調が良くなっていったので、
「よし!デイケアは卒業して就職や!!」
とハローワークへ。
大学の事務アルバイト(障がい者枠)をゲットして、ようやく少しは自立できるように。
その後8年間この仕事をしながら、精神障がい者ソフトバレーボールで国体に2回出場した。これは結構自分にとっては大きなコトだった。
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親友からの誘い
そんな中、バレーで知り合った親友から、
「なっちゃん、ピアサポーターやってみない?」
と誘われた。
それは、市のピアサポーター養成研修を受けることで、自分と同じような境遇にいる人達の退院促進に向けた伴走型の支援ができるというものだった。
「これだ・・・!」
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自分のやりたいことがやっと見つかる
私は、ようやく40前になって自分のやりたいことが見つかったのだった。(*゚∀゚*)
自分の今までの意味の分からないジェットコースター人生をようやく肯定できるようになれたのだった。。
臨床心理士になるという夢は、挫折してしまったが、今はそれで良かったとも思っている。
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現在
今はバレーで知り合った旦那様と去年結婚して、今年からとある保険会社でフルタイムで働くようになった。
最近体調を崩して、ヤバかったけど、ようやく今回の記事を書こうと思える状態まで回復した。アリガタヤ_(_^_)_
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最後に
ピアサポーターの活動では、色々な人達と出会う機会がある。
活動の仕方は人それぞれ。
正解はない。
だから、ピアサポーター同士でそれぞれの活動を高めあい、尊重していきたいと思う。
そうするためには、相手が誰であろうと意見を聴くこと。
どんな小さな声でも、例え相手が黙っていても、自分のタイミングで話してくれるまで待つこと。
伝え方は、今沢山ある。
色んな理由で口頭で言えなかったら、手紙とかメールとかチャットという手もある。
「口は一つ、耳は二つ。喋る倍だけ聴きなさい。」
と誰かも言っていたような。
そうやって、一人一人の力を結集できていけば、一人じゃ到底出来ないことも出来ていくんじゃないかと思っている。
今日はそんなことが書きたかった。
長かった。
ごめんなさい(*_*)
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それでは、また☆