手に届かない、美しいもの その1
日常に溶けていく。澄んでいる空気。コンクリートロード。お家。お父さんお母さん。変わらない私の部屋。地元の街並み。ああ、帰ってきたんだな。
私はこの夏、約一か月間の旅に出ていた。そのうちの約二週間をカンボジアという、まだ行ったことのなかった未知の土地で暮らした。
このnoteは、LES WORLDの海外ワークショップで、カンボジアのバッタンバンにあるHOCという孤児院に国際ボランティアとして子供たちとミュージカルを作った私の記憶と感情の記録である。
初めの一歩
まず、LES WORLDの存在を最初に知ったのは、私が所属している団体「TABIPPO学生支部」が運営をつとめている、「BackpackFesta」というイベントで、ゲストとしてLES WORLDが出演していた。そこからLES WORLDの存在を知り、SNSをフォローしていて、インスタグラムのストーリーに流れてきたのが、この海外ワークショップだった。
"私は大学三年生。もう就活をしなければならない時期。海外に行けるのはこれが最後のチャンスかもしれない。"
やりたいと思ったら即行動。すぐに参加フォームに私の名前を打ち込んだ。
「孤児院」「国際ボランティア」「ミュージカル」「カンボジア」これらの言葉は全部私にとって初めてのことで、ワクワクしながらも不安が私の脳みその半分を占めていた。
カンボジア入国
遂に、カンボジア入国当日。タイから約八時間に及ぶバスの移動を終え、初めてカンボジアの地に足を踏み入れた。砂埃と道路のにおい。快適とは言えないむしむしした暑さ。"アジノモト!アジノモト!"と叫びながら客引きをしてくるトゥクトゥクのおじさん。路上で売っているお肉や魚。
日本とは全く雰囲気の違う空気に圧倒されながら、少しだけ、いや、結構日本に帰りたくなった。というのも、私はすでに一週間ほどタイを観光しており、その疲れも残っていたので、とにかく日本が恋しかった。
キャストたちと初対面
そして遂に海外ワークショップがスタートした。まずは私たちの宿、「LUCKY HOSTEL」にて、キャストのみんなと初めましてをした。私は、人見知りを発揮し、中々自分から声をかけられず、流れに任せてキャストのみんなとインスタを交換した。皆の表情はドキドキと少しの不安に満ちていて、皆も私と一緒で緊張してるのかなーって思った。
これが後に私の大事な家族になる17人とのファーストコンタクトであった。
そして明日に備えて、わくわくと不安を抱えながらぐっすり眠りについた。
HOCの子供たちと初めまして
9月10日。ついに、子供たちに会うため、初めて孤児院に向かった。孤児院の名前は「Hope of children」以下HOCと呼ぶ。
宿からHOCまで結構長く感じた。HOCの看板が見えてきて、"ついに子供たちと会えるんだ!" "仲良くなれるかな"と心臓バクバクしながらトゥクトゥクを降りた。
竹藪の木漏れ日が差し、涼しい風が吹く。草のにおい、小さい遊び場と畑、お祈りする場所とその奥にある皆が集まる建物。HOCはまるで小さいころに遊んだ小さな公園と似ていた。
お祈りの場所に案内されて、子供たちの自己紹介が始まった。皆少し緊張気味でかわいかった。皆名前の後に将来の夢を言っていて、画家とか先生とか、皆立派な夢をもっていてびっくりした。名前は覚えられそうになかった。
それから子供たちのたまり場みたいな建物に案内されて、名札を作ったり、子供たちと遊んだり踊ったりした。すごくびっくりした。ここにいる子供たちはみんな明るくて人懐っこくて、私が孤児院に抱いていた固定観念が一気に崩れた。
これが私の子供たちと過ごした初日の感想だ。「孤児院」と聞くと、暗くて大人しい、何か悲しげなイメージを勝手に持っていたので、それが大きく覆された日だった。
心を揺さぶられた日
海外WSも4日目に突入した時、HOCの運営をしている岩田亮子さんという方からHOCについて色々お話を聞ける機会をいただいた。
楽しく子供たちと遊んだ後、何人かの子は学校へ行き、何人かの子は部屋で一緒に亮子さんの話を聞いた。なぜ孤児院を運営しているのか、なぜカンボジアを選んだかなど色々な話を聞いている中で特に印象に残っている話は、"子供たちは、自分たちの悲しい過去の話を自ら話さない、悲しい感情をあまり見せない"というものであった。お盆の日など、特別な日は親が迎えに来る時があるらしい。親が迎えに来てくれる子もいれば、何年も迎えが来ない子もいる。最初は悲しい顔をするがすぐに切り替えて笑顔を見せる。
詳しい話は私のnoteに残しているのでよろしければ是非。
子供たちの中には、親から暴力を受けたり、悲しいことをされたりする子もいる。なのに、血のつながりなのか、親に会いたがっている子が沢山いるという。親がどんなに手放そうと、子供は無償で、見返りを求めず親を愛するのだなと感じた。悲しいという感情を忘れてほしくいない。これが当たり前であってほしくないと思った。
話を聞いて眠くなったのか、子供たちの何人かはごろんと、気持ちよさそうな顔で寝ていた。私はこの子たちの親にはなれないけれど、親のような愛情をこの子たちのたくさん与えたい。子供たちの寝顔をみてそう思った。私はこの日を絶対に忘れない。ふとした時に永遠に思い出していくだろう。
一瞬一瞬が貴重で美しい
HOCでの子供たちとの日々はほんっっっっとうにあっという間で一瞬で過ぎ去っていく。
ファミリーであつまる時間、ギターを弾く時間、ボール遊びをする時間、手をつなぐこと。名前を呼ぶこと。全部が美しくて、もう手には取れないくらいに儚く、貴重な瞬間であった。忘れたくない瞬間がたくさん溢れていて、全部を記憶できないことに泣きそうになりながら日々を過ごした。
長くなりそうなのでとりあえずここまで。その2に続きます。