Web3.0と岡田斗司夫「評価経済社会」から見る2022年のトレンド予想〜GAFAの発展, NFT, DAO, そしてメタバースへ
本noteでは、2011年に出版された「評価経済社会」および改訂版「電子版プラス」で論じられている経済、市場、技術の動向について、2021年の今と見比べてみるということをしていきたいと思います。
(本著の元となる話は1995年に出版された「ぼくたちの洗脳社会」である、という時代感を押さえておいてください)
本書を読まれたことのない方向けに、まずは10分で貨幣経済社会から、評価経済社会に変わっていくという岡田斗司夫の論旨の概略を見ていきましょう。
貨幣経済社会からのパダライムの変化
今の社会はこのような変化の渦中にあります。
この変化の背景には、①科学技術の限界→②専門化しすぎた科学者への信頼性(科学に依存した幸せの追求心)の低下→③マスメディアへの不信→④学生や社会の”理系離れ”があるとしています。
その結果、以下のような「評価経済社会」というものが、30年後、つまり2030から2040年頃に訪れると論じています。
この評価経済社会を構成する社会の前段階には2つの状態があります。
(1)「モノ不足・ネットによる情報余り」の時代
これは、大量消費の高度経済成長期と比較したときに「資源・土地・環境に対する有限感」を社会が感じ始めることにより、高級品や贅沢品、大量消費に魅力を感じなくなり、消費行動が落ち着き、生産品(モノ)が減り、その結果、労働の重要性が下がり、過重労働への批判が増え、人々は働く時間が減ることで「時間余り」の状態になるという考え方です。
この状態は、中世ヨーロッパの「時間余り」の状態と似ています。
ただし、もちろん中世とは違いがあります。
私たちは、時間が余り、インターネットによって情報が溢れ、モノがないため、その時間の使い方が抽象的な方向に興味が向かっているというのです。
(2) 唯一無二の自分
では、抽象的な方向の先には何があるのか?そこには「自分」がいます。
これは「人類皆平等」と対比した「自我の確立」や「あるべき姿の自分」を追い求める社会の状態と言えます。岡田斗司夫は「自分の感覚・趣味性を最大の価値とする」と表現しています。
「モノ不足・時間と情報余り」の時代によって、人々の意識が自分や精神・内面的な世界に向かうわけです。
これは何も、哲学を極めたり、自身を見つめ直すとかいうことだけではなく、非営利活動に時間を使うということでもあると述べています。
非営利活動とは、趣味やボランティア活動だけではなく、コミュニティづくりや勉強会や習い事への参加など、消費行動以外に無償でなにかに時間を割くことを指します。
最近のまわりを見渡すと、コミュニティづくりや勉強会、副業と言う名のサイドワークに邁進している人が多いことに気づきませんか?
これによって、人々は社会における自分のあり方を認識するわけです。一人で考え込むような哲学者的なアプローチではなく、他者から評価されることで、自我を確立するというアプローチです。
ティール組織やスクラム型組織、ブロックチェーン技術を作ったDAO(自律分散型組織)にも通ずる、市場変化だと考えることもできます。
もっと言いたい論点はあるのですが、かなり要約しながらキーワードを拾ってきました。では、このような社会のパラダイムが今後どうなるのでしょうか?さて、ここからが本題です!
(ここまでで10分で読めたでしょうか?長くてすみません🙇)
「評価経済社会」とはなんなのか?
その要因の第一が「インターネットの発達」です。今更何を、と思うと思いますが、マスメディアからの一方的な情報発信、つまり影響を与える仕組みから、初めて自分から不特定多数の人に向けて自分の意見を述べるシステムを手に入れたことがとても重要な因子になります。(当時2010年前後はSNSブームと言えると思います。)
つまり、Twitter, Facebook, Instagram, YouTube, Tiktokなどによる個人による情報発信です。その結果、
つまり、今のInstagramやTiktokのインフルエンサーやYouTuberというのは、評価経済社会が生み出した職種でもあるわけです。
中国では、TikTokやライブECによってインフルエンサーによる販売活動が一大ビジネスになっていることもご存知かと思います。
少し、強い言葉でこの「評価経済社会」についてこのようにも表現しています。
「洗脳」という強い言葉をあえて使っていますが、中世ヨーロッパのキリスト教の普及や、近代の科学技術至上主義というのも一種の洗脳の形と捉えることができます。
昨今でも、過度なインフルエンサーやYouTuberが批判的な意味合いでそのような表現をされることも目にすると思います。
このような情報発信・影響の与え方のあり方の変化は、マスメディアや政府による、中央集権的な情報発信と統制という仕組みが崩壊することに繋がります。それと代わって、個人が情報を発信し、価値観を伝え、そして他者に影響を与えることができるようになる。この行為が非常に簡単になり、その権利が誰もが使える形で一般化され、個人個人が情報発信能力を持ち、市民権を得るというのは、とても大きなパダライムを生むことになります。
社会主義が資本主義になり、独裁政権が民主主義になるのと同じ動きです。
このような社会では、モノやサービス、お金のやり取りはどのように行われるでしょうか?
このような評価経済"競争"社会では、貨幣と評価がやり取りされます。
いま宇宙にいる前澤友作によるお金配りや西野亮廣のオンラインサロンでのタダ働きの問題なども、この評価と貨幣のやり取りのやり方が、貨幣経済社会からの転換期において、異質に見える、実際に無理やりだからだと思います。
ちなみに、オンラインサロンという仕組みも、ホリエモンやひろゆき、そこから西野亮廣や中田敦彦に浸透しているのも岡田斗司夫がきっかけになっています。彼はFREEexという組織を作っていましたが、従来の組織とは大きく異なった異質な構造が当時はとても叩かれていたんです。
つまり、岡田斗司夫は社長として、コンテンツを作り続け、社員は定額を社長に支払い、その代わりコンテンツを消費または二次利用することで、インセンティブを貰うという形です。
「社員が無償で働く、それ以上にお金を払う」という組織構造がありえないと、批判されていました。
しかし、この考え方の根本にあるのは、「十分な品質のコンテンツに対して、評価が集まれば、ファンは無償で労働や金銭を提供する」という考え方です。
いわゆる、アイドルオタクやアニメオタクはこの最たる例で、今で言う
YouTuberやVTuberに対する投げ銭とも似ています。
コンテンツの二次利用については、YouTubeにおける切り抜き動画がその例にあたります。
同じことを別の章でも述べています。
完全に、今のYouTuber, VTuber, 中国ライブ EC、Instagramインフルエンサーの市場動向を表していますね。改めてですが、この本が書かれたのは2011年です!
さらに、今で言う独自通貨 (当時で言うポイント制度)を導入することで、社員間のポイント送付、つまり擬似的な経済圏を作って、ポイントの流通の仕組みまで、すでに実証実験されていました。社員間は感謝の気持ちや労働の対価としてポイント送付をすることになるそうです。
当時はブロックチェーン技術が普及していませんでしたが、今でいうところのブロックチェーンで独自通貨を発行し、労働の対価として報酬を支払う、というのと考え方としては共通していてかなりおもしろいです。
さらに、本の出版やコンテンツの作成や流通の意思決定まで分散化していたら、DAO(自立分散型組織)のような動きも当時見られたかもしれないです。
この評価経済社会では、もちろん個人以外にも企業への評価も重要です。
昨今では、Appleのような製品による圧倒的な企業ブランドのことだけではなく、SDGsやサステナビリティなどを主張したブランドや、D2Cなど企業とサービスのブランドの市場動向についても言えることだと思います。
NFTと評価経済社会
さて、ここまで、YouTubeをはじめとした、いわゆるGAFA (MANGA?)によって評価経済社会の基盤をどのようにして作られてきたのかを説明しました。
では、これからはどうなるのでしょうか?
2023年の予測とあえて釣っぽいタイトルをつけましたが、本書で紹介されているキーワードを紐付けて今後近い将来起こりうる、すでに起きている事柄を考えていきます。
①の他人をその価値観で判断するというのはすでに私達が当たり前に体験していることです。外見やファッションなどの見た目、経歴や学歴、人種や国など外見で評価することは悪とされ、今や当たり前のようにその人の中身、そして価値観で判断しているのではないでしょうか?
何を発言し、主張し、どのような行動を取り、何を創作しているかで人を評価するわけです。決して、何を買って、どんなブランドを身に着けているかという消費行動や、どんな企業でいくら稼いで、どんな仕事をしているかという労働という時間の消費に対しての評価ではないわけです。
次に、②の流れです。
この流れは、現在のクローズドコミュニティの発展に似ています。COVID-19によるパンデミック下の社会。物理環境からインターネットへの移行に伴い、物理環境で満たせなくなった人とのつながり。つまり、職場や会社、趣味のスポーツやサークルといった物理環境を介したコミュニティにアクセスできなくなった人々は、インターネットの世界でクローズドなコミュニティを求めるようになりました。
Clubouseのような音声SNSはいい例かと思います。特定のキーワードで作らてた部屋に対して、不特定多数が会話できる閉じたインターネット空間というのは、まさに人々が求めていたことだったようです。その流れを受けて、TwitterのSpaceやDiscordも近い動きをしていると見て取れます。
また、NFTやDAOを取り巻くDiscordなどで構築される分散型の組織やコミュニティも近い動きでしょう。
これは②「価値観を共有する者同士がグループを形成するということ」とぴったり当てはまります。
さて、では③「個人の中で複数の価値観をコーディネートするということ」は現代の社会でどのように現れているでしょうか?この消費者行動をもう少し説明すると、
さて、そろそろわかってきたでしょうか?これから人々は、複数の価値観をバイキングのように取捨選択していくことで、個人としての価値観を表現し、それを見て他人は相手を評価し合うことになります。
アニメが好き、Apple製品をたくさんもっているという消費の選択ではなく、どのような価値観を選択しているかで相手を見るようになります。
評価経済社会で求められる「商品」
では、そのような「価値観の選択」はどのように表現されるのでしょうか?そこにはそれを表現する「商品」が存在します。
最後に記述された評価経済社会で顧客が求める「商品」の2つの要素は、まさにNFTのコンテンツにピッタリ当てはまるわけです。
NFTとは、デジタルデータ仮想通貨のブロックチェーン技術を活用することで、デジタルアートに多くの付加価値を追加してくれます。
たとえば、そのデジタルデータの”本物”を証明したり、改ざんを防いだり、暗号通貨で価値を証明したり、取引をしたり、”所有権”を表現したりできます。
実際に2021年現在もすでに、多くのNFTアート作品が高額で取引されています。
その多くは、画像データ、イラストや音楽といった、用途が限定されていて、わかりやすいものです。デジタル空間上に飾ったり、TwitterのアイコンやApple Watchの壁紙にするわけです。
そして、それらのNFTアートは完全無名の取り柄のない人が書いたものは、やはり売れません。
すでに、著名なアーティストやインフルエンサー、強いストーリを持った小学生やSDGsや人種差別などの国際的な関心事のような何かの訴えや考え方の象徴的な人物だったりします。つまり、2つ目の要素「その価値観を誰が提唱ているか」を人々は強く見ているわけです。
高度経済成長期では、大量消費が当たり前になり、その後2000年以降はモノトーンなファッションやノーブランド、高級品よりもシンプルなモノが好まれてきました。その結果、自我の確立に不可欠な、自己表現までが欠けてしまいました。
その結果、SNSなどの自己表現をすることでそれを埋めてきたわけです。中世ヨーロッパでの市民の娯楽と同じ動きですね。
そして、さらに「自分の価値観にあったものを選択してコーデイネートすることで、「自分の気持ち」を満たしていく動き」を見せているのです。高度経済成長期以前は盛んであった絵画や陶芸品を家に飾るのと同じ感覚だと思います。
それが、NFTアート作品というデジタルデータに対して人々は「価値観の選択」を表現できるようになってしまったのです。
関口メンディーやイケハヤのNFTでの”活躍”っぷりもその一つでしょう。
彼らは、自身がインフルエンサーでありながら、NFTアート作品を選択している、つまり「価値観の選択」をNFT作品の購入というプロセスを通して世の中、コミュニティに示しているわけです。
一見、ただただTwitterのアイコンにNFTアート作品を設定したり、Apple Watchの壁紙に設定しているだけのように見えますが、それは表面上であり、本質的にはNFTアートを購入することで「価値観の選択」を表現していると捉えることができます。
さらに、イケハヤはこの評価経済社会の動向をうまく使っていると思います。
上記の2つの要素は評価経済社会においてとても重要です。イケハヤは、これらの評価の重要性とそれを促進するコミュニティの重要性をとても深く理解していると思います。
最近では、DAO(自律分散型組織)によるコミュニティを立ち上げたり、評価経済社会とNFTをうまく絡めて、着々と自身の”評価”を高めています。
メタバースと評価経済社会
では、最後に今後メタバースの世界において評価経済社会はどのように構成されていくのでしょうか?
2021年の現在はまだ、ギリギリメタバースが一般化しておらず、日常的にメタバースで行動をする人も少ないと思います。FacebookがMetaに社名変更したり、具体的なサービスが提供されはじめ、一般認知度は格段に飛躍した年だったと思います。
今現在、メタバースで計画されている世界は3つの段階で進化すると思います。
ここでは、メタバースにおけるゲームやスポーツ、仕事が云々というのはその表面的な要素に過ぎません。社会の動きとしては、まず人々がコミュニケーションを始めるところから始まると思います。
これは、評価経済社会における「評価の確かめ合い」とでも表現できるでしょうか。初期のTwitterやYouTubeでも、いきなり、評価によってモノや貨幣のやり取りが行われたわけではありません。借りてきた猫のように、お互いがお互いを確かめ合いながら、情報を発信し、コンテンツを形成し、それを徐々に交換し始める時期があります。
そして2段階目として、その情報やコンテンツの中でも、特に品質の高い、価値のあるとされるものが徐々に取引されます。これはメタバースにおいて、NFTを付与したコンテンツが取引されることになります。
たとえば、アバターが装着できるスニーカーや洋服などのファッション商品であったり、有名なアーティストによるイラストや、すでに著名なIPのカードやオブジェクトのような創作物を自身のメタバース空間内に飾ったり、そして最終的にはメタバース内の土地や建物、そこに掲載する広告などが取引される動きになると思います。
すでに、NikeによるバーチャルスニーカーRTFKTの買収や、メタバース空間を提供するSandboxやDecentralandでは、メタバースの土地が売買されています。
また、同時並行として、ゲームや音楽、スポーツなどの娯楽も行われます。
ただし、ここまでは現実のモノや貨幣、現実での評価を集めた有名人やスポーツ選手、ブランドや企業がその既存の評価を等価交換して、メタバース空間上で活躍するに過ぎません。
最終的には、それらの評価のやり取りが頻繁になり、人口が増え、規模が広がり、メタバースの中だけで評価が生まれ、そこに閉じた評価経済圏が生まれます。ここでは、現実世界での評価以上にメタバースにおける評価が価値を増すことで、現実世界と切り離された新たな評価経済圏が出来上がることになると考えられます。
おわりに
このように、TwitterやInstagram, Tiktok, YouTubeなどによって生み出されたインターネット上の評価経済社会の基盤が、NFTによって評価を担保したコンテンツが流通する仕組みにより加速し、最終的にメタバースによる新たな評価経済圏が生まれると思っています。個人的に思うというよりは、明らかにその方向に向かっていることは皆さん感じていると思います。
そして、それっぽく言うのあれば、このようなプラットフォームを作ることができるのが、次世代のGAFAとなるでしょう。
ただし、私たち一般消費者(評価者?)としては、ひたすらこの経済社会の流れに身を任せるしかないと思います。地理的にも組織構造的にも、国や会社、組織の境目がなくなっていく世の中では、他者からの評価を一人ひとりが意識しながら、生きていかなければいけなくなるかもしれません。
これは人間が集団生活をしてきたはるか昔から変わらないのかもしれませんが、人の感覚や感情で担保されてきた信頼や評価が、システムによって定義されることで、なんだか居心地の悪さを感じるかもしれません。どうなるかはわかりませんが、今までと変わらずに少なくとも身近の人からの評価は大事にしていきたいです。
岡田斗司夫の「評価経済社会」はKindleで無料で読めるのでぜひご一読してみてください。2011年に書かれたとは思えないほど、2022年の世の中をうまく表現することができます。
さらに、この本ですらFREEex、つまり彼のコミュニティによって著作されているんです。
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