一部請求後の残部請求と既判力・信義則による主張の遮断の否定-平成24年予備試験民事訴訟法設問1関連

1 ひとまずの私見
  一部請求全部の全部棄却または一部棄却の場合、判例では、その一部請求が特定・不特定か、すなわち残部請求につき審理がされるか否かによって、信義則により残部請求を遮断している。では、一部請求全部認容後の残部請求につき、前訴判決の既判力は及ぶか。

 これについて、名津井教授は、後訴裁判所では、債権の全体について独自の判断によって認定するとしつつ、裁判所が認定できる額は、前訴で認定された全体額を下限とし、それに原告が請求する金額を加えた額をが上限になる、としている(名津井吉裕「一部請求後の残部請求の処理」高橋古稀919頁)。これは、同教授が、前訴が全部棄却または一部棄却の場合に、先決関係を擬制すること(類比関係)に起因していると分析されている(山本克己「既判力論における『先決関係』と『矛盾関係』について」加藤古稀290頁)。

 しかし、この分析において批判されているように、いずれも同一債権の請求であり、実体法的に見て先決関係が成り立つとは言えない(山本克己・前掲論文)。ここでは簡単に前訴の既判力は後訴に作用しないと言ってしまって差し支えない。

 そこで、以下は私見であるが、たとえば後訴において、前訴で被告が主張できた事由を新たに主張することは、既判力により遮断されないとしても、信義則や争点効により遮断されないかが問題となりうる。しかし、これについては、個別的事情によって変わりうるが、原則的には信義則・争点効が及ばないと考えるべきである。既判力であれ信義則であれ、いずれも他方当事者か裁判所の審理判断かのいずれを信頼するかの違いはあれど、究極的には既判力の本旨たる法的安定性を図ることを目的としていることに違いはない。仮に既判力を、「その事件を決着済みとして、以後当事者間を規律する基準とし、他の裁判所に対してはその判断を拘束する効力」と定義するとき、「その事件を決着済み」と判断する主体が訴訟当事者か裁判所かに違いがあるに過ぎない(もっともこの点を重視し、信義則を当事者の訴訟行為への信頼へ純化する考えはありうる)。

 そうすると、一部請求において、たとえばその基礎たる売買契約に関する紛争が決着済みと言えるかが問題となる。この点、残部請求を否定する見解がいうように、「前訴手続過程で原告が裁判所の判断を知る機会を十分に持っているのであり、再訴を許すのは、被告・裁判所の利益を考えると、原告を保護しすぎるという判断も十分成り立つ」のであり(高橋・(上)107頁)、「原告のみの一方的な意思による紛争解決行為の分断を認めるとすれば、請求原因等の再審理の機会を原告が恣意的に留保できることになり、紛争解決行為の中止の場合と整合性を欠く」のであり(山本和彦「一部請求」判タ974号(1998)49頁)、そもそも一部請求を認めるとき、原告の紛争の恣意的な分断を認めているということができる。ここで、仮に前訴において売買契約にかかる紛争が解決していると考えるのならば、むしろ前訴で原告は残部についても訴求するべきである。にもかかわらず、原告が残部を前訴で訴求しないことは、かえって被告において残部は訴求されないとの決着を生じさせるということもできないだろうか。

 つまり、一部請求とは、紛争の分断を恣意的に行うことを認めることを前提としており、紛争の決着は前訴においてなされないこともまた前提としているといわなけれならない。そして、かかる恣意的な分断は、訴訟戦略としても、一種の攻撃防御方法ともいいうるのであるから(一部請求の類型については、三木浩一「一部請求論について—手続運営論の視点から—民訴雑誌47号(2001)30頁以下、同「一部請求論の展開」『慶應の法律学 民事手続法』(慶応義塾大学法学部,2008)195頁以下参照)、他方被告の攻撃防御方法を信義則により遮断することは武器対等の原則に適うともいえない。

2 ネット上に公開されている記述について

「この拘束力は前訴の「当事者」(115条1項1号)が当事者となる後訴であれば当然に及び、その当事者の主張が前訴確定判決の判断に矛盾するものであれば前訴既判力によって排斥されるから、既判力が及ぶか否かにおいて前訴と後訴の訴訟物を対照する必要はない。」

「「同一・矛盾・先決」の関係は基本書等でよく目にする分類で、これに該当すれば既判力が作用することになるように読めます。ですが、この分類はあくまでその関係にある場合に既判力が後訴に作用することがある場面のまとめ(典型的場面)に過ぎないと思います。この分類にあたるか否かは既判力が作用する条件ではないということです(既判力が作用する典型的場面に当てはまることを説明しても作用するかどうかは決まらないはずです)。」
—引用終わり

 確かに、同記事が参照する瀬木民訴のとおり、同一・先決・矛盾関係は、類型的なものであり、一般的に、既判力が作用するのは、確定された訴訟物たる権利関係が後訴において再び審理の対象となり、前訴で確定された権利関係と矛盾する判断がなされるおそれのある関係にある場合であるといえる(川嶋隆憲「既判力のその補完法理に関する一考察」民訴雑誌64号170頁参照、そのため私としてもこの三類系を考えなしに書くよりかは、以上の実質的な理由を踏まえなければならないと考えている)。
 そうすると、後訴である残部請求の原因である売買契約の効力が否定されたとき、その判断は前訴と相反するか(矛盾関係との区別から、以下では既判力が作用すべき場合を「相反する」場合であるとする)を問題とすべきであろう。そして、結論としてはこれも否定されるべきである。
 なぜなら、後訴で売買契約の効力が否定されることにより残部請求が認められないとしても、後訴では前訴で認容された一部については審判対象になっていないのであり、前訴で150万円の請求が認容され、後訴で250万円の請求が棄却されたとしても、それらは相反しない。これを相反すると考えるならば、前訴で一部請求が棄却された場合、後訴に既判力が及ぶ、と論ずれば足りることにならないだろうか。しかし判例は、 最判平10.6.12民集52-4-1147において、これを信義則で処理することとしているのであるから、判例内在的な理解としても、一部請求において前訴の既判力が後訴には及ばないとすることが正しいように思われる。
 瀬木民訴に挙げられている例は、いずれもいわゆる請求権競合といえる事例であり、これらは権利としては別個に成立しながら、その実質が同じであるものである。したがって、例えば不法行為に基づく損害賠償を請求し、これについて判断されることが、同一事実を原因とする債務不履行に基づくお損害賠償請求権について判断をしたのと同じだと考えてもよいという見解になりうる。瀬木民訴は、かかる請求権競合事例を既判力の作用によって解決する見解であるといえる(同書でも注意されているように、決して通説ではない)。つまり、そもそも前訴の訴訟物について判断と後訴の判断と相反するといえるには、そもそも前訴で、後訴の訴訟物たる権利関係についての何らかの判断がなければならないというのがここでも前提となっているといっても良い。相反するといえるには、刑訴法321条1項2号ただし書の相対的特信状況の要件が、同号前段にはかからないと解釈されるように、比較対象がなければならない。
 これに対して、一部請求事例では、権利としては同一でありながら、原告の意思によって分断された権利である。この意思解釈からしても、一部について判断されたからといって、当然に残部についても判断されたことになるという関係にはならない。訴訟物の分断を認めるということはそういうことである。



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