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祖父とか父とか自分のこと

父方の祖父は満州に行きました。稼ぐためです。当時は占領地に移住することが奨励されていました。
父はそこで生まれました。昭和18年です。敗戦後、どうにかこうにかして引き揚げてきたそうです。以前は毎年やっていた中国残留孤児のニュース番組を見ながら「俺もこうなってたかもしれないんだよな」と呟いていました。

引き揚げ後に父が住んでいたのは福岡・田川の炭住です。石炭を掘る労働者が住んでいた長屋です。
『青春の門』が話題になるたびに「おい川筋者やけんね」とか地元の言葉で言ってました。その割には母の尻にしかれてましたが…

その父が就職したのは東京電力の下請けで発電所をつくる建設会社です。火力発電所と原子力発電所をつくっていました。
現地のヤクザと交渉する役割だったらしく、一時期パンチパーマにしていました。身長もあったので子供から見てもイカツイ見た目をしていました。

僕が生まれたのは福島県大熊町です。父が福島原発の建設に携わっていた時のことです。
東日本大震災が発生時には千葉に住んでいたのですが、発災直後は「フクイチは絶対炉心溶融している」と、逃げるために寝床の横に靴を置いていたそうです。当時はすでに食道癌の影響で立つこともままならなくなっていたのですが…
病床でも「爆発したのは1から4号機。俺がつくっていたのは5と6だから」と妙な自慢をしていました。

僕が生まれた大熊町の大野病院に、事故後に仕事で訪れたことがあります。
建物は残っていたのですがすでに閉鎖されて、周囲の住宅も柵がされていました。正直「へー、こんなとこか」としか思いませんでした。
父の転勤で、物心つく前に引っ越していたため、福島の記憶がなかったからです。ロクに記憶がない人間がしみじみしてしまうのは己に対する詐術ではないか、町から泣く泣く立ち去った住民に失礼ではないか、とブレーキがかかったことは確かではあります。

僕は「故郷」という概念が理解できません。「お国はどちらですか?」と問われたら「親が住んでるので、まあ千葉ですかね」としか答えたことがありません。
喪失するほどの故郷もないので、故郷がある人が羨ましいなと思ったことすらありません。

僕が就いている職業はマスコミです。しかも国の政策には常にYESと言う報道機関です。「愛国心」を売りにしていますが、故郷の概念もない人間なので愛郷心は湧かず、愛国心も理解できません。身近な人達が無事ならそれでいいです。

それはともかく、満州に行った祖父、炭住で育ち原発をつくった父、愛国心を喧伝するマスコミで生きる自分。業種は違えど、共通点はあります。
「国策」に従って生きる、という共通点が。祖父は満蒙開拓、父は火力発電と原子力発電、自分は国威発揚・憲法改正に携わっています。

「国策家族」と言っても過言ではありません。

「果たして自分は何者であろうか」と悩んだことはあります。アイデンティティクライシスの軽めのやつです。土地には根づかず、血なんか信用できず、確固とした自己像もありません。
会社に人生を全ベットできるような時代でもありませんしね。

最近、やはり満州が出発点になるのでは、と思い始めています。戦後の政策は、満州でできなかったことをリトライしているに過ぎない、とはよく言われることです。「戦後日本は未完の満州である」と。

しかし、そこで透明化されている存在があります。「難民」です。満州国創設時にも壊滅時にも難民が発生しています。もちろん、前者の難民は被占領者で後者は占領者のそれですから、同じように見てはいけないのですが、祖父や父は大日本帝国から見放された満州国の難民であることは確かです。
その自分は難民の子、元難民の子であると言えるのではないか。土地や所属先ではなく、そこでしか自分を定義づけてはいけないのではないか。

と書いてきたけれど、自分が勤めている会社が何をやっているかと言うと、あからさまに難民を排除する役目を負っています。

日本は難民認定をまずしない国です。「人権侵害をしている」と国連から非難される国でもあります。そんな国の政策を後押しする言説をバラ撒いています。特に最近ではクルド人ですね。「クルド人が埼玉の治安を脅かしている」と、レイシストが大喜びする記事を量産しています。
本当に治安を脅かしているのはそんな記事に踊らされた「自警団」なのに…

土地を失った人に対して、この国はどこまでも冷淡です。それはクルド人に対してだけではありません。
原発事故で住む土地を失った人は「国内難民」になってしまいました。最近では能登半島地震被災者にロクに手を差し伸べていません。被災地を訪れたこともありますが、今まで仕事で行ったどの被災地よりも復興が遅いです。アタマに来ます。現行政府が被災地に対して採用している政策は「棄民政策」そのものにしか見えません。

難民の子である自分が、国内外の難民を非難する言説に直接ではないにしても加担している…
己の罪深さに、そしてそこから潔く立ち去ることもできない卑怯さに、近頃は常にさいなまれています。

以上、とりとめもない自分語りを終わります。

ああ、そう言えば学生時代、ゼミの先輩のN島T志さんには、「君みたいな(左翼っぽい)人間があそこに行ったら苦労するよ」と言われました。

その時には「そーかなー」としか思わなかったけど、中J岳Sさん、あなたは正しかった。20年越しに苦労している。

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