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母子寮での生活と知れた解離の中の子達の情報

前回のnoteより。
私は息子と共に母子寮へ引っ越した。

母子寮という場所がどういう場所か、簡単に説明しようと思う。

①母と子以外はまず母子寮に入る事はできない。
②朝も夜も門限が決まっている。
③母と子の自立の為の支援施設である。
④常に24時間職員や巡回の人がいる。
⑤男性は職員以外、入る事ができない。
⑥外出や外泊は自由だがその際には
必ず外泊先やどこに行くか、
友人の連絡先や家族等の記載をする。
⑦宅配に関しては、一度職員を通して、本人に確認がとれてから宅配業者が入る事ができる。
⑧部屋には緊急時用のボタンがあり、
何かあれば職員が警察官より早く
飛んで駆けつけてくる。
⑨住所を人に教える事は、住居者本人の意思以外
では誰にも知らされる事はない。
⑩安全の為、地図上にも記載はない。
⑪それぞれに担当の職員がつくが
担当でなくても手助けはある。
⑫ある一定の期間を超えるとままならない事情がない限り母子寮を卒業する。

シェルター程ではないが
簡単に住人以外は絶対に侵入できない。
常に監視カメラもそこらじゅうに設置されている。24時間体制である為侵入は困難な施設である。

息子はADHDなので幾度か緊急時ボタンを押してしまった事があるが、警察官より早く職員が到着する。緊急時は職員が自宅へ入れるようになっている。

シェルター程閉鎖的ではないが、
帰宅時間に帰宅しない場合等は捜索が行われる。

月に一度災害時などの訓練も定期的に行われる。
それも全て職員が必ず一緒だ。

他にも決まりはたくさんあるが
簡単に説明するとこんな感じである。

母子寮には色々な事情を抱えて入居してくる人が多数いる。ある一定の期間を過ぎたら母子寮を退去して自立しなければいけないのだが、退去の1年前くらいにマンション中からクレームの嵐が出るほどの住人が大家族で越してきた。

時はコロナ禍で、皆ナーバスになっていた。
それでも住人同士決まり事を守って暮らしていたのだが、突然私の隣に越してきた大家族は他の住人とは全く異なった。

皆、子供を大切にするお母さんばかりだが
突然越してきた大家族は違った。

うちの場合は、母子寮へ越したと同時に
同じ階に住む人へは必ず挨拶に行き
息子の障害や自身の障害について
きちんと話した上でご近所づきあいをしてきたし、息子が家を間違えて違う住居者の家に行ってしまった時も必ず息子に言い聞かせてから謝罪をしに行ったり、息子も住居者の子供達と仲良くしたり、中の人格者も仲が良かった為、クレームを言われる事はなかった。ルールもきちんと人格者達は守ってくれたので困り事はなかった。

大家族の母親はまだ幼い子供を廊下や玄関に置き忘れたり、敷地内の外で遊んでいて道路に飛び出した子供を無視。助けたのは他のお母さんである。また自転車の前カゴに子供を乗せたりと危険な行為をよくしていた。

その大家族は、敷地内にゴミを捨てたり唾を吐いたり、夜中はどんちゃん騒ぎでなかなか寝ない為、非常に迷惑だった。
それだけでなく、マンション内の住居者の子供へ大家族の1人の子が手をあげたり、息子においても被害にあった。

当時、マンション中からクレームが相次いだが
母子寮へ入る事は役所が決める為、職員さんがどうこうできる事ではなく、マンション中から出ていくよう署名が集められた程だ。

そもそもどんなに大家族でも
0〜2歳児を置き忘れるという概念が全く分からない。上には中学生のお姉さんもいて小学生の問題児がいたとしても『忘れる』という概念や車に轢かれそうになっている我が子を放置するのはもはや、育児放棄を超えて虐待に等しい。
他にも小さな子供達が住んでいる母子寮敷地内で母親がタバコを吸ったり、(敷地内は自分の自宅以外禁煙である。)ゴミを敷地内に捨てると言う概念も私には謎でしかなかった。

コロナやこの大家族の件でより母子寮内のお母さんと仲良くもなったが、母子寮で過ごす家族は基本、みんな挨拶や子供同士が遊ぶ事はあっても静かに平穏に暮らしたいと願う人が大半だ。

他の家庭のお子さんも、手をあげられたり被害が多かったので、直接大家族の母親と職員と被害者の母親での話し合いもあった。

うちの場合は3度目に被害にあった時に
直接その子供に私がブチギレた。
職員が間に入ったがその子は謝らなかった。
むしろ、文句を吐き捨てられたくらいだ。
母親も呼んで2度と家族全員、
関わらないでほしい。
近づかないでほしい。と伝えた。
挨拶もしないでもらいたいと伝えた。
障害のある息子でさえ、コロナ禍でマスクをつけるように沢山練習をして頑張っていたが、大家族は何もないのにマスクすらつけたのを見た事がない。それも苦情の原因となった。
当時は世間がコロナで亡くなる人も沢山いた。

しばらくしてから大家族の母親の方から
話し合いがしたいと言われた為
時間前に相談室で待ったが、大家族の母親が
到着したのは時間を過ぎてからだった。
これは私の一個人的意見だが、普通なら
『お待たせしてすいません』とか言うだろ。
と思ったがそれもなかった。
むしろ大家族の母親からは、文句を言われた。
職員からは母親が謝りたいからと呼び出されていた。どこが謝りたいのだ?と思った。
私は以前にも伝えた通り家族全員関わらないで頂きたいとお話したはずなので、今後も関わりたくありません。ともう一度伝え、席を立った。

越してきた当時は、ご近所付き合いの為だと言い聞かせてうまく付き合っていたが、誰しも子供に手をあげられたら母は変わる。
どのお母さんも同じ態度をとられ、私と同じ意見を話したようだ。

完全に孤立した大家族だったが
結局役所は来ただけで動く事はなかった。
その大家族のせいで精神的病を発病したお母さんもいた程であった。結局私が母子寮を卒業するまで職員が必死で頑張る姿しかなかった。

一度母子寮の事は置いておいて、息子の保育園についての話をしよう。

保育園にも母子寮に引っ越した事は
知らせていたが、その前から最新施設の保育園で、誰かが入れるような保育園ではなかった為、息子への心配はなかった。特に息子においては障害があるので必ず1人は先生が常時付き添いだったので心配はなかった。

保育園でも保護者の前で
息子の障害を隠す事はしなかった。
正直緊張もしたが、こんな障害がある。
だが、こんな事が好きで
こんな事が得意である等、普通に告げた。
中には顔をしかめる親御さんもいた。
同情の眼差しを向けられた事もある。
だが保育園では息子はとても人気者で
お迎えの時間になっても『いやだぁ帰らないでぇ!』となかなか帰らせてもらえなかった事もあった。私も子供が好きだったので他の子と遊んだ事もある。息子の母だが先生と呼ばれた事もある。今では良い思い出だ。

私の解離性障害についても園長や先生の理解が有り難かった。お迎えの時間に自分でない時もあったが、皆、息子の育児についても勉強していた為、先生も本当に1人の人として中の人格者と接してくれた事に感謝する。

保育園では、私自身の解離もある為、
極力他のお母さんとの接触は挨拶程度に避けていたが、普通に接してくれたお母さんもいた。
勿論、避けられた事もある。
特に中の人格者が何かをした訳ではないが、
関わりたくないと思う人が大半だろう。

母子寮での話に戻ろう。

母子寮に越してからは、職員が補助をしてくれることも沢山あった。特にうちは息子も私も障害を抱えていたので大変お世話になった。

母子寮では一人一人の人格者について
息子や職員を通して沢山知る事ができた。

大人の女性人格者や男性人格者
子供の女性人格者や男性人格者
沢山いたが、皆外での生き方について
教育係という大人が存在しており
外での暮らしの知恵などを教わるらしい。

子供人格者達も書類を書く事も出来るし
育児や息子の障害についても
勉強してくれたり、保育園とのやり取りや
家事についても学んでくれていた。

むしろ正直、私より優秀なんではないかと思う程、みな器用に物事をこなしてくれていた。

洗濯物の畳み方や干し方が物凄く綺麗だったり
絵が上手だったり手先が器用だったりと
息子との接し方も上手な子も多かった。

ちなみに主人格の私は絵も下手だし
手先はかなり不器用である。
辛うじて息子が大好きなカブトムシとクワガタだけは何時間も練習したので自信をもってかける笑。

うちではルールというのを作っていて
毎日息子に『愛してるよ、大好きだよ、ぎゅーちゅー』とするのが日課なのでまずはそれを1番にルールとして設けた。
次に息子と私への薬。飲ませ方や
育児の記録、必要書類など。
人に必ず挨拶をする事。
体は私の為、交代している時は
職員さんに名前を名乗る事。
ありがとうとごめんねは必ずいう事。

交代している時に名前を名乗るのは
全く違う人格者の為あまり必要なかったが...。


あとは一人一人に少しだが
100円ショップで息子に聞きながら
財布を用意しお小遣いを渡してみたりもした。
これがとても面白かった。

息子がそれぞれの子にはこれが良いと
指差しをしてくれて、好きな色やキャラクター等を知る事ができた。

また面白かったのは、息子にせがまれ自分のお小遣いを使ってしまう子もいたし、中にはひたすら貯める子もいた。
外にでてくる頻度もその時はバラバラだった事もあるだろうが、これは非常に個性のでる結果となった。

息子は1番の理解者である。

また中の人格者達との
やり取りはホワイトボードやノート、
携帯のメモを通して行った。
息子との記憶を写真や動画に残してくれた子もいる。とても楽しそうな息子をみて安心できた。
母子寮の職員さんからもみんな子育てを頑張っている事や息子に手をあげるような子や危険な子はいなかった為、安全に暮らす事ができた。

料理などは火を扱う為、念の為
ヘルパーさんをお願いしていたが
ヘルパーさんもまた解離性障害の中の子達と
共にとてもよくしてくれた事に感謝する。

そしてもうひとつ。
面白かったのは、筆跡鑑定をすれば私なのだが字の差異があった。
丸字の子もいれば習字のように綺麗な文字の子もいた。これはどうやら教育係が誰になるかや独学の子によって差異が生まれるようだった。

携帯を誰しも持つ時代である。
皆、私よりも携帯を駆使していた為、
困った事があれば、検索をして調べていたようだった。

それぞれの名前についてだが、
初めから決められていた子もいたし
自身で名前を付け直す子もいた。
私や周りの人が決めた子もいる。

現在人格者は私本人を含め11人。
これは減ったり増えたりするので
今は主人格の私を含め、11人というだけである。

ちなみに母子寮当時、中の人格者は7人だった。
現在の中の人格者が10人。
主人格の私が言うのも変なんだが
簡単に自己紹介というか、母子寮で知りえた、
中の人格者について紹介したいと思う。

愛さん 30代 女性
絵画や読書が趣味。統括者であり
周りを取りまとめる役割をしているらしい。
緊急時以外ほぼ外に出る事はない。
怒ると怖いらしい。笑。

光 20代 女性
オシャレやスキンケアが好きで
中の子供達の面倒見が良い。
お金の管理もしっかりしている。

なお 20代 男性
筋トレとランニングが趣味。
何よりも肉が好き。笑。
よく息子と遊んでくれていた。
教育係で字が綺麗。ミニマリストらしい。
無愛想で人との会話は母子寮当時は
苦手だった。だが中での信頼は厚い。
息子の前ではよく笑う人だったようだ。
息子も彼が大好きだ。

ゆき 子供 恐らく保育園くらいの子の歳かと思われる。 女性
子供人格者である事は確かだが、母子寮当時に出てくる事はほぼなかった。
なおの事が大好きな子である。

あきとき 子供 男性
小学生くらいから中学生くらいかと思う。
彼は息子が大好きでよく動画を残したり
写真を残してくれた。
家事も完璧。教育係はなおで字が綺麗だ。
彼もまた息子が大好きな人格者のひとりである。
彼はなおを特に信頼している。

花鈴 子供 女性
あきときと同じくらいの年代だと思われる。
最初にメモ書きを残してくれた女の子だ。
この子は名前は自分で決めた。
私が花が好きだという事と息子がADHDで
走ってしまっても気づけるように鈴の音が
導いてくれるという意味で花鈴だそうだ。
彼女は1番のキーマンと言っていい。
中の情報伝達や母子寮当時も
太陽のように明るく外でも誰とでも
仲良くし、いつも笑顔で職員さんからも
保育園の先生からも誰からもよく好かれた。
中での信頼も厚い。
母子寮当時、知らない子供から挨拶されたり
こないだはありがとうなど言われたが
花鈴が自転車で転んだ子を助けたりした子だった。面白い物が好きで少し変わっているが、
物作りも料理も得意。私の障害者手帳を作ってくれたのも花鈴である。外で勉強をしたり色んな中での出来事等をよく教えてくれる子だ。
とても心の優しい子である。
難点があるとすれば、破壊的に歌が下手だ。笑
でも彼女は真の努力家であると思う。

あやちゃん 小学生子供 女性
お医者様からは私の辛い記憶を担っていたのではないかと言われている。
母子寮当時は子育てに苦労したり
好きな物を買ってしまったり
困ったちゃんであったが今はしっかりと
小遣い制度を守ってくれている。

ここまでが母子寮当時の人格者達だ。
その後にわかった人格者の中で
1人だけ外にでない人がいる。
花鈴が名付けたその人はシルエットさん。
私によく似た影のみの人だそうだ。
彼女もまた私の辛い記憶を担ってくれたひとりなのかもしれないが、今の所、わかっているのはそれくらいだ。

そしてかのnoteを書き始めてから増えた、2人の人格者についても11人の私という名前なので母子寮とは関係ないが語ろう。

ゆうき 子供 男性
物静かで絵を描くことが好き。
私の手で描かれたのか?と思う程絵が上手。
お小遣い制度をきっちり守る優しい子だ。

つき 子供 女性
とても器用な子である。少しませているのか
大人が好むような物が好き。
愛さんが大好き。彼女もまた私の幼い記憶を担っていたひとりであるようだ。

これはあるあるなのだが、
花鈴とゆきちゃん、愛さん、光以外の
女性人格、特に子供人格者は最初に外に出ると
街にはキラキラした物が溢れていて
色々物を買ってしまう子が多い。

あやちゃんやつきがそうだった。
最近はみな、お小遣い制度を守ってくれるようになり大変助かっている。

男性人格者達は教育係がなおという
ミニマリストだったせいか
あまりお金を使う子はいない。
ゆうきくんもお小遣い制度を守っている。
ゆうきくんが買うとすれば鉛筆や絵を描く
100円ショップの道具くらいだ。
あきときは一切お金を使わない。
最近は古着が好きなようでお金を貯めているようだ。
なおも家に物が増えることが嫌なようで
便利品や子供達の収納品くらいしか買わない。

現在、私は息子と離れて暮らしている。
ADHDの息子が大きくなるにつれ
私自身の体が元々虚弱であり、息子の成長に
ついていかなくなった為、息子が7歳の時に
障害児施設へ預ける事を余儀なくされた。
1年に4回も救急車にのる年パスレベルの虚弱だ。過労や持病もあるので悔しかったが
医者の言う事はいつも正しかった...。

私自身の各々の主治医と息子の主治医と
相談して決めた事である。
息子と離れてからかれこれ3年が経過するが
預ける時は本当に心が傷んだ。
何度泣いたか分からない。

過労や持病で倒れても助けてくれる人は
母子寮をでればいない。不安だったのは確かである。別れてはいたが近くに住んでいたのはFさんしかいなくて、親はいないに等しく、
姉達も結婚をし、子供達がいたので
私や息子を助ける事は難しかった。

当時、発達障害から大人になった当事者と
よく話していたのだが1人で子供を産み
7年1人で育ててきた事。
解離性障害と虚弱体質や持病がありながら
『君はよく頑張ってきたと思う』という
言葉をかけられて、育児において
頑張った事を褒められたことなどなかったので
涙がでたのを覚えている。

息子の主治医からは
『家族の在り方はひとつではありませんよ』
『お母さんがちゃんと愛している事はとっても伝わっています。』と言われたのを覚えている。

母子寮を卒業の少し前に
自身の限界に色々な人からの手助けがある中で
気付き、私にとって人生で1番大切な息子を
安全に暮らす為に施設へ預けた...。

今でも面会には数ヶ月に一回しか
行けないが、その時間をとても大切にしている。

息子と会える日だけが人生で1番の楽しみだ。

中の人格者達においても、息子がいなくなり
寂しい想いをしている子も沢山いる。
あきときは特にそうだ。
息子が大好きでたまらなかった彼は
息子がいない事を本当に寂しく思っている。
他の人格者達も同じだ。

解離性障害といえば、あまりよくないイメージだがうまく付き合っていくことさえ出来れば
きっと色々と何かが変わるのかもしれない。

私の場合は息子という大きな存在が
あったからかもしれない。
おかげでいい子ばかりに恵まれた。

だが、それでもこの解離性障害という病は
人には理解されない病だ。
だからこそ、主人格である私が彼ら彼女らを
1番にひとりの人として受け止めていくのだ。

現在はパートナーの手助けを借りながら
中の人格者についてより深く知る事ができたので
次回はその話を書いていこうと思う。

最後に、このnoteは主人格がほぼ完成させていたが、誤字等もあった為、少しだけ、中の人格者である僕が手直しをしました。
僕の名前はあきときと言います。

僕は、多くの人が、この解離性障害という
解明されていない病気をどう受け止め、
どんな事を感じるのか。
僕自身も知りたい。

息子くんがいなくなり、僕はいつも正直
寂しくて堪らない。
公園や息子くんくらいの歳の子を外で見ると
今、何をしているかな?ご飯は食べてるかな?
泣いていないかな?と思ってしまう。

今月は息子くんの誕生日だから、僕のお小遣いでプラレールを買ってほしいと頼んだのだけど、
現在の主人格のパートナーさんが、プレゼントは用意してあるから、自分のお小遣いは自分の為に使いなさいと言われたので断念した。

確かに、僕も欲しいものはある。
時間はかかるけれど、お小遣いをもっと沢山貯めて、次は僕も息子くんにプラレールをプレゼントしたいと思う。僕のお小遣いの自分の為の使い道は、息子くんにプレゼントをする事だ。

毎回、主人格は息子くんとの面会を録画する。
僕もその動画を楽しみにしている。
息子くんとお母さんが会える、僅かな時間。
元気に笑顔で過ごしていますように。
あきとき。



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