幼稚園と小学校の思い出
幼稚園に入った時、私はかなりみんなと同じ行動をすることが苦手で、一緒にトイレに行かなかったり、給食を一口も食べずに30分以上黙っていたり、お遊戯会のダンスをそれはもう適当に踊って練習を放棄したりと、騒いだり危害を加えるわけではないものの、静かなる反逆者だった。
母親から昨日その話を聞いた時、やっぱり初めから異端者だったのだと思った。
母親は幼稚園の先生にかなり家で指導するように言われたらしく、そこから厳しくまともな人間生活ができる子になれるように神経を注いだ。
「あんたは多分当時みんなと同じことをするなんて馬鹿馬鹿しかったんだと思う」母親に言われた。私は多少幼少期は頭は良かったらしく、ピアノも小さい子にしては弾けるような子だった。その分、大きなでっかい協調性が失われてしまったのか、そういうわけでもないのか分からないが。
もうあまり覚えていないが、無言で1人で輪の中から抜け出して飛行機の形をした滑り台に登って、行ってはいけない飛行機の上に登って、歌を歌ってみたら落っこちてたんこぶができたことがあった。どうしようもない子供。
小学校に上がった時、初めての持久走があった。よーいどんで周りの大人に早いねがんばれーなんて茶化されながら、コンクリートの上をなんだかよく分からない「やるものだから」との理由で走ることに不満があった。しょうもないと思ってた。ほぼビリでピースをしながら走った。静かな反逆。かなりやばい子(笑)だった。母にそういうのはもうやめてねと言われたような。
小学校2年生の時、持久走の練習を先生と何故だかさせられた。そしたらなんと7位。7位を取ってしまった。その頃にはみんなに合わせることが正義で、先生に褒められることが正解だと思うことが、1番お母さんもお父さんも喜ぶ生き方なのだと思うようになったからだ。
そしたら来年から、"持久走が早い子"として扱われるようになった。元々勉強はできるタイプだったが、その上持久走が早い子になってしまった。手を抜かないことにした。
持久走、特に幼少期の持久走なんて、辛くて諦めようとせずにロボットみたいに進むことだけ考えれば上位に食い込める。だからロボットみたいに走って3位とか4位とか取った。
小学校4年生の途中くらいまでは、普通の人だったかなって思う。普通に協調性を覚え始めた無邪気さもある子供。小学校4年生になった時、
いろいろあった。
まず、普段から太ってるだとか髪の毛が天パだとかでいじられていた女の子が居て、その子がクラスで本格的にハブられてしまった。私は助けるのが正義だと思っていたから、助けた。その子とずっと一緒に行動するようにして、悪く言ってる子になんで?って言った。それが間違い。今度は私に対してうざいとかいい子ぶってとかきもいとか。いつのまにか助けていた女の子は敵側に寝返ってた。
だから一人ぼっちになってひとりでずっと時間を過ごした。お母さんに転校したいって言って、先生に相談した。先生は今辞めることは逃げになると言った。その通りです。そんなんで辞めてたら今後生きていけないやつになる。私はみんながやるからやるという様な耐久性が昔からない。だからそんなこと言い出した。元から割とダメなやつ。
小学校5年生の時も中学受験してこの集団から抜け出したいと言った。もう自分はうまく溶け込んでいたが、いじめや陰湿な悪口が蔓延る中で決して嫌われない様にうまく立ち回って生きていたことに嫌気をさしていた。それなのに田舎の学校でクラスが1クラスしかなかったことが絶望感だった。ただ、この時も近くにある中高一貫校がそこまで頭の良いところが無かった。貴方には勿体無いという理由で先生と両親ともに却下された。
小学校6年生の時、先日書いた様な事件があったり(血肉と白色の平穏より)、あとはとにかく先生に贔屓されている私はうっすらみんなは嫌だったのではないかと思う。でもそれを思われないためにごますりしまくった。すりすりしまくり。まじですりまくった。みんなを褒めまくって自分を謙遜してみんなに優しく、強そうな権力に従うことでみんなにも好かれるやつになった。
でも私は、贔屓されたいなら私みたいに先生のロボットになることに徹して先生に好かれることに徹したらいいのに何故しないのか不思議だった。
常に先生の顔色を伺って正解を探して生きていた私が好かれるなんて当たり前で、教室の真ん中で大きな声でふざけて悪さをしている羨ましい男女が、多少贔屓されないなんて当たり前でないと流石に不条理だ。
私は先生や親の顔色を見て生きることを小学校2年生からものすごく熱心にやっていた上、小学校4年生の失敗からクラスメイトの顔色もみて生きていたから、もはや自分の意思がよく分からない子供になった。
そんな小学生の私は、今と比べてどのくらい幸せだったんだろうか。
こんな大層に書いたが、どこかの学校のクラスには必ずいるような優等生キャラだったというだけだった。よくいるキャラ。
よくいるキャラのよくありそーな話だった。
これが私。
異端者だったのではなく、よくある範疇のよくあるズレ。今回こうやって幼少期を振り返って見たのにもかかわらず、今の社会不適合な私を仕方がないことにできないのは少しショックだった。普通に自分の怠惰でしかなくて、普通に残念。
ざんねんむねん、ざんねんざんねん。灰色